第95話 賢者と少女は地下へ降下する

 断続的な破壊が巨大な塔を揺さぶっていた。竜の勇者の剛爪によって、下層の壁が穿たれる。掘り進めるように突破するアオに続いて、アルエッタやルーイッドも地下の階へと飛び降りた。


 階層は赤褐色の土壁だった。基本的に光はなく、アオが灯した蒼炎を道標にする他ない。そのうえで魔物の徘徊が多く、天井から降り立った途端に、強襲を受けることもしばしばあった。根を張らした黒い植物たちから情報を得られるカナリナがいなければ、まともに奇襲を受けていただろう。


「いったい、どれだけ続いているのだ? 何度、床を壊しても新しい床に出くわすのだ」


「想像以上に深いね。上だけじゃなく下にもずっと伸びてるなんて」


「……まだ下です。……バリエラさん、……まだ深くにいます」


 待ち構えていた魔物を掃討し終えたアオが軽く息をつく。すでに十階分の床壁は突破したはずだった。それでも、カナリナが言うにはバリエラの反応は、もっと地下深い場所から発されているらしい。つまり、それだけ塔も続いているということだった。


「流石に一度は休息を、……ってそんな場合でもないか」


「そだぞー。暗いし、まともに前が見えないしー。さっさと助けて、こんなところ早く出ようよー」


「うむ、分かってるのだ」


 再び竜の勇者が床壁に拳をぶつける。いつもはそれで硬い土壁に無数の亀裂が入り、通路は崩れ落ちる。


「む?」


 しかし、今回はそうならず、アオが不思議そうな声を漏らす。試しに散った破片をどけてみれば、赤褐色の層に隠されるようにして灰色の石壁が顔を出す。二重構造になっていたらしい。


 念のためカナリナに尋ねてみると、塔には通路ばかりの赤褐色の階だけでなく、複数の部屋で区画分けされた灰色の階もあったそうだった。


「すみません……。操れる植物たちで、先の様子を見ようとしたんですが……、壁が硬すぎて、根っこが通せなかったんです……。うまく壊せますか……?」


「問題ないのだ。この程度に穴を開けるくらいなら助走をつければ行けるのだ」


 アオが軽く宙を飛んだ勢いのままに剛力を振るう。打ちつけた拳から今度こそ大きな亀裂が生じ、ど派手な崩落を引き起こされた。穴が生じた先からは、瓦礫が下階に落ちる音だけが反響していた。すぐ近くに罠や魔物はいないのを確認して、ルーイッドたちは慎重に全員で降り立つ。


 いかにも迷宮らしい赤褐色の階と違って、灰色の階の廊下は無機質な壁と扉ばかりが続いている。天井近くの壁には燭台が一定の間隔で立て付けられていた。アオの炎でも灯すことができそうだった。


「光が複数あるだけでも、だいぶ見通しやすくなるね。それにしても、ここは……」


 見える範囲にある燭台全てに炎を灯し、少しは明るくなった通路をルーイッドは見回した。試しに一部屋だけ扉を開いてみると、そこでは壊れたテーブルと椅子が埃を被っているのみ。誰かが入るのを待ちわびているような無人の部屋。ルーイッドは顔をしかめると扉をゆっくりと閉ざした。


「エッホエホッ! ――埃くさい!」


 あおられて舞った塵埃ちりほこりにむせたらしい。アルエッタが咳をしている。アオも少しだけ不快気な表情をしていた。


「ごめん……。ついでだから調べたけど、必要なかったね……。有用そうなものは何も無さそうだったよ。昔は誰かが使っていたんだろうけど、魔人にとっては不要なのかもね」


 予想ではあるが、元々この塔は魔人が建てたわけではないのだろう。無人となった建造物を乗っ取って改造した。そうでなければ、人の痕跡があることについての説明ができない。


「私とバリエラさんが……、牢のある階から出たときも……、こんな感じの通路には出ました……。あのときは魔法が自由に使えたので……、まだ良かったのですが」


 カナリナの呟きを聞いて、ルーイッドも試しに魔法を使ってみようとする。だが、手のひらに魔力が形を成す感覚はまったく生じなかった。どうやら、ここも魔法禁止のようだった。


 長居しないほうがよさそうだった。そう思って、アオに再び床を破壊するように指示をしようとすると、ふとカナリナに止められる。


「少しだけ……、探索してもらえませんか……? なんだか知っている場所のような気がするんです……」


「探索と言ってもなぁ……。一本道しかないんだけど」


 あるのは左右に伸びる廊下しかない。一応、部屋にも入れそうだが、さっきのように無駄足になりそうだった。


「こっちのほうです……。記憶が正しければ……ですけど……」


 カナリナが通路の一方向を指し示す。念入りに本当にそっちでいいのか尋ねると、彼女はゆっくりと頷いて見せた。


「多分ですけど……、この先に階段があります……。そこを下りれば……、私たちを閉じ込めた牢屋のある階に到着するはずです……」


「バリエラはその階に?」


「……えっと、だったらいいんですけど」


 彼女自身もあまり確信を掴めていないのか、やや濁すような言い方だった。だが、どのみちバリエラへの案内に関しては任せるしかない。その彼女が言うんだから、信じるしかなかった。すみません、と小さく謝る彼女に、大丈夫だよとルーイッドは伝えておいた。


 警戒を欠かすことなく進んでいくと、途中で廊下から天井と左右の壁が消える。薄暗いまま、先へ行こうとするとアオが危うく足を踏み外しかけた。釣られて止まったルーイッドたちの前に広がっていたのは巨大な穴。大きく口を広げた闇が侵入者を呑みこまんとしていた。


「カナリナちゃん?」


「あ、あの、階段はそこに……!」


 慌てたようにカナリナが指で左手側を示すと、そこには丸みを帯びた壁に沿って、螺旋状に設置された平べったい階段があった。急勾配なのに手すりすらない不親切な設計。当然、足を滑らせれば転落死は免れない。空を飛べない限りは。


「私とバリエラさんは……、その階段を上がってきたんです……」


「……。この真っ暗闇で、この階段はきつくない?」


 背筋がぞわっとするような深い穴の奥底を見据えて、ルーイッドは思わず訊き返した。こんな一寸先も見えない場所で、どこに足場があるか分からない階段をどうやって上り進めたというんだ、うちのバリエラは。大胆にもほどがあるでしょ、と開いた口が塞がらない。


「私たちのときは……、光魔法で照らせたんです……。今はなぜか……、使えないんですけど……」


「まぁ、言っても仕方ないことだし、ここでもアオを先頭にして慎重に進んでいこうか……」


 あまりにも平然と言われたので口に出すのは伏せたが、多少の光魔法で照らしたところで、ろくに見えるはずがない。どうやらバリエラの強引さは、連れ去られてからも健在だったらしい。今のカナリナの肝の大きさには、そういう影響もあるのかもしれなかった。


(流石に、僕は見習いたくないけどね……)


 頼むよ、とルーイッドはアオの肩を叩く。蒼炎をまとえることで松明の代わりになり、自ら飛翔できる彼ならば転落しても心配はいらない。この中で一番、先駆けには適任だった。


「任せるのだ。ちゃんと引き上げるから安心するのだ」


「僕が落ちる前提なのはやめようよ……」


 意気揚々と階段を下りていく竜の勇者の灯火を目印に、ルーイッドも慎重に続いていく。流石に迷惑が掛かるとでも思ったのか、途中でカナリナが降りて自分で歩きましょうかと打診してくる。だが、万全と言い難い彼女が、こんな場所でよろけたときのほうが危険だった。


「すみません……」


「いや、謝らなくていいから。今の僕にはこれくらいしかできないし」


 完全にお荷物になっていると思っているのだろうか、さっきからカナリナが気落ちしている。しかし、実際のところは、彼女がいなければ、そもそもバリエラを探すことが不可能だった。


 そもそもルーイッドとしては、むしろ魔法を封じられた自分のほうが足手まといになりかけているんじゃ、と思っているくらいだった。だから、これくらいの苦労は引き受けなければ格好が悪い。


「ん? 思うんだけどぉー、アオなら二人分くらい余裕で行けるんじゃないー? ――アオ、ちょっとこっち戻ってきてぇー」


「えっ、アルエッタ?」


「……うむ? 戻ればいいのだ?」


 呼びかけに応じて、先行していたアオが足早に戻ってくる。それから妖精から説明を受けて、ささっとルーイッドから少女を取り上げた。それからルーイッドも背中に乗せようとする。


「さあ、早く乗れぃー、ルーイッド! アオの背中は小さいから落とされないようにねぇー」


「………………」


 なんで、こういう時だけは気遣いができるんだよ、と呟きたかったが、今になって言っても仕方がない。せっかくの厚意を無下にするわけにもいかず、勧められるまま背中に乗っておく。


「疲れたなら早く言って欲しかったのだ。いつでも代わる用意はできてたのだぞ」


「いや実は、まだまだ大丈夫だったんだけどね」


「無理は禁物なのだ。それに、こうしたほうが早く一番下に着くはずなのだ」


 遠慮は無用とばかりに、アオが勢いよく飛翔する。蒼く燃え上がる翼を大きく広げて、力強く宙へと羽ばたいた。そして、そのまま全員で降下していく。


 闇に浮かぶ竜の蒼炎は、丸く反った壁を色づかせる。塔の壁に螺旋を描いた階段が面白いくらいの速さで過ぎていった。真面目に階段を歩くのが莫迦らしく思えるほどにアオはスピードに乗っていた。


 竜翼の羽ばたきと、遠くから妖精の羽音だけが静かに聞こえてくる。アルエッタは追いかけるのに必死らしい。騒がしい声が今は聞こえない。


「あの……」


 緊張感の混ざる沈黙の中で、カナリナが静かに呟く。


「何か……、変な音、聞こえませんか……?」


「――え?」


 何も不自然な音は聞こえていなかったので、ルーイッドは少し目を丸くした。だが、指摘されてから耳に意識を集中させていくと、確かに行き先のほうから、引きずるような鈍く重厚な音が立てられている。ルーイッドたちが下降するにつれて、その音の厚みは徐々に増していた。


「――アオ、下方に何かいる」


「ならば、正体を先に暴くのだ」


 その次にアオは鋭い歯を敷き詰めた大口を開き、穴の奥底にある音の発生源へ向けて、蒼炎を放射する。その瞬間、塔の壁が小さく揺れた。強烈な熱と光によって、深かった暗闇が晴らされる。


 そこに沈んでいたのは、とぐろを巻いた巨大な黒い怪物だった。背中に無数の触手を生やし、先ほどアオが放った光を吸ったのか、輪郭を鈍い緑光で浮き上がらせていた。頭部には目や鼻や口といったものはないが、全体の姿は巨大な蛇にも大蛞蝓おおなめくじにも見えなくない。


 それを目にして、最初にカナリナが口火を切った。


「地下牢にいた魔物……。だけど、あんな大きさのは……」


 絶句する彼女に構うことなく、アオが臨戦態勢に入って急加速する。暗闇の中でうごめく化け物は、戦闘の気配に応じるように頭部をこちらへ向けていた。

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