第94話 賢者と少女は塔へ突入する

 どこかの水牢にバリエラが閉じ込められている一方で、塔内の大迷宮では賢者の足音が通路を響いていた。自らの能力を発動させて蒼炎の翼を広げるアオ、それに続く妖精のアルエッタ、そして飛行する彼らを追い掛けて、ルーイッドがひたすらに駆け続ける。


 先頭にいるアオの蒼炎が松明の代わりになり、塔の暗闇を緩和しているおかげで、視界が閉ざされることはない。とはいえ、飛ぶ二人は物凄いペースで進んでいくので、ルーイッドも遅れぬように、身体強化を継続せざるを得なかった。更に、体力を奪われるにもかかわらず、賢者は小柄な少女まで背中に担いでいた。


「ル-イッドぉー! バテてないー? なんだったらアオに代わってもらえばー?」


「まだ大丈夫っ! アオには力を蓄えてもらわないと困るんだ」


 休みなく継続させる身体強化の反動のせいで、さっきから全身が引き千切れるように痛む。常に酸欠であるかのように肺が息を求めているが、苦しさを押し殺してでも、少女を運ぶ理由があった。彼女こそがバリエラ救出のための鍵だった。


 その話はルーイッドたちが、この少女を救出したときの出来事にある。



 ◇ ◇ ◇



 成長を続けていた黒い巨樹が根元から折れたのを見て、ルーイッドは少女を蝕んでいた魔物の力に、バリエラの浄化の力が打ち勝ったことを悟る。案の定、力を失った巨木は鈍い音を立てて中折れし、草木の壁を大きく破壊した。周囲へ蔦や茨が伸びる様子もない。あれほど、しつこかった黒い植物たちの再生力は完全に失われたようだった。


(ど、どうにか、止められた……)


 少女を支えていた手を離し、その場に座って安堵の息をつく。すでに全身が疲労困憊を訴えていた。


「ちょー、ルーイッドー、まだやることあるでしょー? ここからが本番なんじゃないのー?」


「……そうだね」


 アルエッタに諭されるまでもない。疲れから生じた気怠けだるさを振り切って、ルーイッドは小さく頷く。あまりゆっくりと休んでいられる時間は無かった。目の前で倒れたままの少女から、情報を聞き出さなければならないのだった。


「君、大丈夫?」


「…………」


 声を掛けたものの、少女の反応は無い。代わりに、ゆっくりとした寝息が返ってきた。ずいぶんと消耗していたのだろう。それまで魔物化に抗っていたのだから無理もない。


 だが、罪悪感はあるものの、今回は無理やり起こさざるを得ない。悠長に目覚めを待っている暇は無かった。早くバリエラの情報を聞き出して、外での戦いに戻らなければならない。……そう考えていたのだが、さっきから隣の妖精が煩かった。


「えっ、ルーイッド! まさか、寝ている無防備な子をイジメちゃう感じ? まさかまさかの!?」


「誤解を招く言い方するなよ! あまりに邪魔してくるなら、本当にその羽根、引き千切ってもいいんだよ?」


「ダメぇー! 苛められるぅー!」


「………………」


 何を言っても煩いアルエッタに、流石のルーイッドも閉口した。これの相手をするよりも、さっさと少女の起こし方を考えたほうがいいんじゃないかと思えてきた。


 とりあえず、小さな背中を軽くさすった程度では起きないのは確認済みだった。なら、いっそ古典的なやり方で、……例えば、水を顔にかけたりすれば目覚めるかもしれない。だが、そんな用意はしてないし、そもそもやり過ぎである。だが、あまり時間が掛けられないのは事実。


 まあ、ちょっとだけ様子を見るか、と考えを保留にしたところで、ふとルーイッドは違和感を抱く。


「……ねえ、アルエッタ。この子の魔物化ってもう止まったんだよね?」


「あったりまえじゃない! あたしを誰だと思ってるのー! そこらの妖精とは格が違うんだからねぇー!」


「いや、そもそも妖精って君一人だけなんじゃないかな、ってそんなことは置いといて……」


 倒れた少女のほうへアルエッタの顔を向けさせた。それまでの魔物化の影響で、樹皮に似ていた硬い肌は、柔らかい人本来のものへと戻っており、ボロきれのような服の合間からは色白で若干血の気が足りてない人間の手足が見えている。だが、その裾の隙間から、不自然なことに黒っぽい蔦が顔を覗かせているのは気のせいだろうか。


「まっさかぁ、取れた草が引っ掛かってるだけなんじゃないのー?」


「そう思うのなら、確かめてくれない?」


「ハッハー、ルーイッドも怖がりだなぁ」


 そう言いながら、アルエッタが少女の服の裾へ飛ぶ。それから見えていた黒い植物を引っ張ろうとして、……条件反射のように動いた少女の手に妖精は跳ね飛ばされた。


 情けない声を上げて、近くの草蔓くさつるの塊に妖精が頭から突っ込んだのを確認する。そこでルーイッドはもう一度、倒れた少女の身体を揺らす。すると今度は小さなうめき声が返ってきた。やはり、あの蔦は少女と繋がっていたらしい。痛覚が目覚ましになってくれたようだった。


 よくよく観察すると黒髪にも魔物化の名残があった。まだ完全な人間に戻りきれていないんじゃないか、とルーイッドは直感的に、そう思わざるにはいられなかった。


「ルーイッドぉ、騙したなぁぁぁ!」


 喚くアルエッタの相手をしている暇は無い。すぐ傍の妖精は無視して、ルーイッドは少女のほうへ何度か声を掛けた。閉じていた瞼が開いたのは、呼びかけてから三度目くらいだっただろうか。起きた少女は薄眼でルーイッドたちを見ると、しばらく訳が分からなさそうに呆然としている。


「やあ、起きたかい? 僕はルーイッド。とりあえず、君の名前は何て言うんだい?」


「……わ、……たし、……あれ?」


 少女は我を取り戻したように、ゆっくりと体を起こす。掠れた声が唇の隙間より漏れ聞こえてきた。耳を澄まさなければ聞こえないような音に、ルーイッドは未だに騒がしかった妖精の口を閉じさせる。


「まだ混乱しているようだね。経緯は省くけど、僕らは連れ去られた人たちを救助しに来たんだ。――それで君を助けたんだけど、まずは名前を教えてくれないかな?」


 内心では逸る気持ちを抑えて、ルーイッドはゆっくりと少女のことを訊き出していく。名前はカナリナ。出身は東の街ヨールクの近くにある辺境の村シルノ。やはり、黒い魔物たちに拉致監禁されていた一人だったらしい。牢にいたところを脱獄中のバリエラと出会い、共に逃走。しかし、いろいろあって魔人に捕まった。そこまでの記憶ははっきりしているようだった。


 しかし、それ以降の話を聞くのは難しかった。記憶が混濁しているらしい。


「……ご、ごめん、なさい」


 たどたどしく申し訳なさそうに謝ってきた彼女に、ルーイッドは首を横に振った。むしろ、辛い記憶まで引き出してくれたので、こちらが謝罪しなければならないくらいだった。


「大丈夫だよ。目覚めたばかりなのに、たくさん答えさせちゃって、こっちこそごめん」


「うーん。でも、ノルソンから聞いた情報と大して変わんなかったねー」


「……アルエッタ」


 余計な一言を挟むなよ、とルーイッドは妖精を軽めに睨む。慌ててアルエッタが口をつぐむが、流石にもう遅いだろう。一応、気にしていないかとカナリナの様子を窺ってみると、彼女はどことなく焦点の合わない目で、自分の両手を眺めていた。


「カナリナちゃん?」


「………………」


 それから突然、立ち上がろうとして、カナリナは足元をふらつかせる。慌ててルーイッドが受け止めようとすると、それよりも早く、周辺の植物たちが伸びて彼女を支え出す。


「――っ!?」


 その瞬間、ルーイッドの目には、カナリナが自らの意思で魔物としての能力を使ったかのように見えていた。


「これ……、やっぱり私の、ちから……」


 長い袖口から、あるいは外套の破れた箇所から見える黒い蔦。それは少女が魔物化していた証拠でもあった。そして、周囲には同じような植物たちが散乱している。全て自分が原因で起きたことだと、どうやらカナリナは悟ってしまったらしかった。


「わ、たし、……暴れて、ましたか……?」


 恐る恐る不安を募らせた顔で少女が尋ねる。嘘をついたところで意味はない。ルーイッドは誤魔化さずに、ただ頷くしかなかった。


 魔物化は完全には解けていない。だから、まだ君は人間と呼べる存在ではない。そんな厳しい現実を突きつけるしかなかった。


「残念なことにね」


「そう、ですか……でも、これで、良かったです……」


「そうなのかい?」


 カナリナから肯定する言葉が出てきたことに、ルーイッドは少しだけ目を見開く。どうであっても悪い事実には変わらない。最低でも困惑くらいはするかと思っていた。


「これで……、バリエラさんを……助けに……、行けますから……」


 たどたどしい口調ながら、小柄な少女から決意とも取れる言葉が出てきた。なんて意志の強さだとルーイッドは少しばかり感心する。操る植物に支えられながらも、一歩ずつ足を進めようとするカナリナ。だが、勝手に行こうとする彼女を賢者は止めた。


 自殺願望としか言えない行為を黙って見過ごすことはできなかった。それ以前に、ふらついている子を放ってはおくわけにもいかない。


「あー、気持ちは嬉しいんだけど、今回の件は任せてくれないかな。流石に君は連れて行けないしね。危ないし」


「だ、だいじょうぶ、です……」


 連れていけないという言葉に動揺したのか、カナリナは慌てたように、ルーイッドの腕を蔦で振り払おうとした。ただ、ルーイッドも対処にはもう慣れている。小さく伸びてくる蔦程度ならば、全て根元から焼き切って止めてみせた。


「ごめんだけど、あまり力を使わせないでくれ。こっちもバリエラを助けるための体力も残さなきゃいけないからさ」


「やです……」


「そうは言ってもなぁ」


「感じるんです……、バリエラさんが残した力を。……そしてささやいてくるんです。バリエラさんはまだ生きているって……。存在を感じさせてくるんです……」


「だからって、バリエラの居場所が分かるわけじゃないんだろ」


「分かる、と思います……」


「…………。確認だけど、それはどれくらいの精度で?」



 ◇ ◇ ◇



 最初こそ、その言葉は咄嗟に思いついた嘘なのだろうと思っていた。しかし、後から考えると完全な出まかせとは言えないんじゃないかと、思い当たる節が複数あった。


 特に、魔物化したときのカナリナが顕著だった。バリエラがくれたカフスに反応を示したことや、ルーイッドに対して最初に攻撃ではなく拘束を仕掛けたこと、今思えばバリエラの力を感じたからこその行動だったのかもしれない。


 塔内部の通路を駆け抜けながら、ルーイッドは背中の少女に語り掛ける。


「カナリナちゃん、あとだい?」


「ずっと下のほうに……、かすかな気配がある、と思います……。だけど、まだ遠いです……」


 そうか、とルーイッドは頷き、アオに下へ向かう道を探すように伝える。カナリナは自身がバリエラの力を感じ取る能力に加えて、草木の根を壁や床に忍び込ませ、張り巡らせた植物から周囲や下階層の情報を得ることができるらしい。


 さらに単純な指令もできるらしく、うろついている魔物程度であれば、先に張らせた根に襲わせて、力任せに壁へはりつけにしてしまっているようだ。


 塔内部が魔法そのものを封じる空間になっているせいで、逆境だったルーイッドたちにとって、彼女は想像以上の助けになっていた。


 とはいえ、カナリナもまだ自分の能力を完全には使いこなせていない。だからこそ、ルーイッドが運搬に徹し、彼女の負担を少しでも減らそうとしているのだった。


「前方に敵はいるかい? アオ!」


「問題ないのだ! その子のおかげなのだ。とりあえず、真っ直ぐ進めばいいのだ?」


 前方で拘束された魔物を確認したアオが叫び返す。耳元での少女の囁き声に応じて、ルーイッドは即座に指示をした。


「しばらく進んだ先に分かれ道があるらしい。そこを右に曲がった行き止まりにある隠し階段を探してくれ」


「なるほど。それならば、床を壊して降りれば早いのだ!」


「……っ!? いや、それだと案内の意味が……」


 だが、カナリナに確認してみると駄目でもないらしい。それどころか、仕掛けられた罠を回避しやすくなるといって、むしろ推奨し始めるくらいだった。


 面倒だからという理由で、アオは先に進むどころか目の前の床を一気に破壊する。そして落下地点へは、カナリナが先に黒い植物たちを伸ばして安全を確保する。飛び込んでいった竜の勇者と妖精に続いて、ルーイッドも破壊されてできた穴の前に立った。


「なんか、バリエラの悪いところ強引なところ、真似してたりしないよね……」


「……?」


 不思議そうな反応を見せるカナリナに、内心で冷や汗を浮かべるしかなかった。だが、これが最短なのは間違いない。ルーイッドも腹を括って、バリエラ救出のために穴へと飛び込んでいった。

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