第93話 賢者は魔人と再会する

 かつては鉄壁とされた城塞都市を、一方的に攻め立てる小鬼の群れ。石化の呪いによって彫像に変えられた守護兵たち。破られた第一の城壁。それら全ては灰色の魔人によってもたらされた結果だった。


 単体でも恐ろしいほどの身体能力は勇者にも引けを取らず、凄まじい雷撃の力は多くの兵を焼き尽くした。そして全てを硬化させる黒霧は、数多の軍勢も理不尽に石像へと変えてしまう。最終的には召喚された竜の勇者と相討ちになったが、その襲撃の爪痕は未だにレイガルランに残っている。


 だが、その魔人がいったいどうして、こんな水の牢獄にいるのか? 呪いの霧を浴びたわけでもないのに、動揺と混乱が重なってバリエラは固まっていた。


(…………は、灰色の魔人で、合ってるのよね?)


 一瞬、声を出しかけたが、思念だけで会話できることをすぐに思い出す。こんな相手に思考を読み取られていたのか、と思っただけで戦慄が全身を走る。


『オレに正確な名前は与えられていない。だが、お前の思考を読む限り、そういう呼ばれ方をされているみたいだな。クハハ、また会うことになるとはな。嬉しいぞ』


 こちらは全然と言ってもいいほど嬉しくなかった。予想外の相手すぎて、もはや感情が現実に追いついていない。


 もはや、いろいろな意味で詰んでいた。ただでさえ自由を奪われているのに、こんな場所にまで番人を用意されてるとは思わなかった。しかも、相手がよりによって灰色の魔人。戦いになれば即座に死が待ち受けている。たとえ結界で身を守ったところで、この魔人なら容易く壊せるだろう。


 罠に飛び込んだのは失敗だったと今更になって後悔する。敵の周到さを甘く見過ぎていた。このままでは何もできず、ただ消える運命を待つしかない。


(こんなの、どう抗えばいいのよ……)


 しかし、次にバリエラの頭に響いてきたのは、どこかしら苛立ったような咳払いの音だった。


『不快にさせる勘違いだ。誰が奴に手を貸すか。協力してるとは言っておらん』


(はぁ!? あいつはあんたの能力を使っていたわよ! そう言って、裏では協力してるんでしょ!)


 頭の中で叫ぶようにして言葉を浮かべると、灰色の魔人からの声は、やや気圧されたように、少しだけ小さくなる。


『威勢はいいのだな。……なるほど、確かにお前から見れば、オレが奴の駒という事実は否定できんか。事実として、オレの力は奴へと流れてしまっている。同じ能力を使えても不思議ではない』


(……じゃあ、利用されてるだけだとでも言いたいわけ?)


 黒の魔人が見せた硬化の霧は、レイガルランでの戦いのときに灰色の魔人が見せた霧と同じだった。かつて恐怖と猛威を振るった能力を、あの場にいたバリエラが間違えるわけがない。


 なんで取り込まれているのよ、と愚痴りそうになる。原形を留めないほど哀れな姿で徘徊していた、と黒の魔人が喋っていたが、それならさっさと消えて欲しかった。


『ふん、想像に任せる。だが、これも敗者の運命だ。……まあ、足掻くことまでは否定せん。やりたければ勝手にやるといい』


(……? 別に私を監視してるとかじゃないの?)


『どこにその必要がある。ここへ落とされれば、どれほどの強者でも脱出は不可能だ。いつかは奴に全てを奪われ、魂でさえも朽ち果てていく。オレもお前も等しくな』


(………………)


 本当に邪魔するつもりが無いのか、灰色の魔人からは攻撃してくる気配はない。あの凶悪さと不遜さを知る身からすれば、少し意外なことだった。


 本来、仲間であるはずの黒の魔人に裏切られて、この空間に囚われてしまっている。そう考えると、少しだけ同情できるような気がした。


『聞き捨てならん冗談だな。敗者であるオレに権利はない。だから、こうして最期を待つのだ。その過程で奴にどう利用されようが、知ったことではない』


(い、潔すぎるくらいね……。思考を勝手に読むのは頂けないけど)


 少し考えを浮かべただけで降ってきた即答に、バリエラは内心で眉を曇らせた。


(言っとくけど、私は消えるなんて真っ平ごめんよ。だから、さっさと脱出に挑ませてもらうわ)


『足掻くだけ足掻くといい。期待はしないがな』


 冷淡な態度だけを残して、灰色の魔人の声が聞こえなくなる。どうやら静観しているようだった。再び訪れた静寂の中で、バリエラは改めて、この空間から抜け出すことを決意する。邪魔が入らないのであれば、用意していた策を使うことができた。


 まず、バリエラは口の中を動かした。黒い水には身体を縛る効果があるようだが、直に触れていない部分であれば、まだ自由を奪われてはいなかった。いや、それでも本来は、動かすのは困難だったのかもしれない。でも、そうならなかったのは、ギリギリで準備することができた、これのおかげに違いなかった。


 舌を動かして、口に隠していたものを外に押し出す。閉じた唇からは草花の造形の入った耳飾りが飛び出した。かつてルーイッドに渡したのと同じイヤーカフス。その片割れだった。


 外に出た途端に、黒い水に反応して壊れた装飾品に、バリエラはやっぱり口の中に入れておいて正解だったと安堵する。あらかじめ仕込んでいた治癒と浄化の力が、今まさに周囲へと振り撒かれていた。もしも、耳に付けたままであれば、無駄に壊れるところであった。


(まさか、私のほうが早く使うことになるなんてね)


 ルーイッドへは、離れた場所で危機に陥っても無事でいて欲しかったから渡していた。だが、元はといえば、レイガルランでの戦いで力を使い果たし、窮地に陥った自分の反省を生かして作ったものだった。それを元凶である灰色の魔人の前で使うのだから、少し運命を感じざるを得なかった。


 浄化の奇跡の効果で、やっと手足がまともに動かせるようになる。黒い水の力をしっかりと抑えこんでくれているようだった。それまで麻痺していた感覚が徐々に蘇っていく。


(よし、うまくいったわね)


『次はどうする気だ?』


 唐突な声に驚いたが、一旦は無視して、バリエラは改めて治癒と浄化を含ませた結界を、自身の体に張りつけておく。周囲に散布した奇跡の力は短時間で消える。生存と自由を維持するためにも絶対に必要なことだった。


『ほう……』


(うるさいわね……)


 暗い水底でバリエラは、自由になった肢体をゆっくりと立ち上がらせた。砂とも泥とも似つかない感触の地面。改めて踏みしめてみると異様な弾力があった。怪物の腹中にいるようで少し気持ち悪い。


 そして、そのまま水底へ手を差し向けた。まずは、この地面に穴を開けられないかを確かめる。一応は水中にいるから使える魔法に制限があるが、消滅魔法なら心配なかった。とはいえ、空気は無いので詠唱はできない。負担が増えるが、自前の魔力で何とかするしかなかった。


 さあ、今から魔法陣を展開しようとして、バリエラはふと違和感に気づく。いつもならば体内で練り上げられる魔力が全く生じなかった。


(嘘、生成できない……)


『やはり、そこで詰まるか。だろうと思っていたが』


 どこかから小さな溜息が聞こえる。こいつ、好き勝手に言ってくれるわね、とバリエラは思わず頭に血を昇りそうになる。


(手は出さないとか言った癖に、いちいち突っかかってくるじゃない)


『手は出していない。だが、口を挟まんと言った覚えもない』


(うっ……)


『少しは頭をひねったらどうだ。魔法程度の力が通用するわけがないだろう。奴本来の能力ちからが最も濃い場所だ。並み程度の能力は容易く奪われる』


(くっ……)


 灰色の魔人からの指摘に、ぐうの音も出なかった。傀儡にした者の能力を奪う。黒の魔人がそんなことを口にしていたのを、バリエラは思い出していた。そして、国中から姿を消していたのは魔法に長けた冒険者たち。魔法に関する能力は全て取り込まれたに違いない。事実上の魔法無効化。魔法主体の賢者にとっては頭が痛くなる状況だった。


『奴に養分を与えたいのなら止めんがな』


(分かったわよ。それ以外でやれってことなんでしょ。ほんっと、口うるさいわね)


 とはいえ、手段が限られている事実は変えられない。残りの能力で攻撃に転じられそうなのは、せいぜいレイガルランでの戦いのときに使ってみせた結界術くらいだった。治癒や浄化の力では、この水の空間を突き破る手段は思いつかない。


 しかし、結界を応用するにしても、あのときのように明確な相手は存在しない。押し潰すにしても、場に敵がいなければどうしようもない。バリエラが得意とするやり方では、逃げ道は作り出せそうにもなかった。


(とりあえず、思いついたこと何でもやっていくうちに、何とかなるといいんだけど……)


『……言っておくが、行動は最小限にとどめておけ。今のお前が張った結界ですら、奴が解析を進めているはずだ。ここで能力を垂れ流せば、流した分だけ奴に情報を与えることになる。奪われたくなければ、なるべく無用なことは省くといい』


(…………っ)


 釘を刺されて、バリエラは試しに発動させようとした結界の力を押さえ込んだ。言われてみれば、黒の魔人が何もしていないはずがない。この空間の外のことまで気にすることができていなかった。


(一応だけど、忠告ありがとう)


『ただの暇つぶしにすぎん。どのみち無駄なのだからな』


(まぁ、そういうことでいいけど)


 かつての敵に脱出の助言を受けるというのは、なんだか妙な話だった。おそらく灰色の魔人のほうにも裏で思惑があるのだろうが、この状況での協力は何であっても素直に有り難かった。


 与えられた時間も手数もそれほど多くはない。お世辞にも環境は楽とはいえない。だけど、ここまで絶望的であれば、逆にバリエラは悲観を切り捨てることができる。まだ頭は働くし、身体も動かせる。やるだけやるしかない。


 それからバリエラは、まずは頭の中だけで何回も思案を重ねて、手段を探っていった。攻撃向きではない奇跡で、この黒い水の牢獄をいかに破るか。ほんの僅かでも可能性があるものを列挙しては捨て、数を絞っていく。


『……思いついたか』


(いけそうなものを一つだけ試すわ)


 引き起こすのは結界の力。それを一点に凝縮させて固形化させていく。そして、そのままバリエラは球状となった結界を掴み取った。真っ暗で何も見えないが、今のバリエラの右手には、拳ほどの大きさの丸水晶のような結び石が抱えられている。


 耳飾りに組み込んでいたものは、一定の攻撃を受ければ、自壊するように設定していたが、今回は純粋な力の塊として存在させた。そして、バリエラには結界を自在に変化させる能力が与えられている。今、やろうとしているのは、まさに力の応用だった。


 水晶型の結び石を長く棒状に引き伸ばし、鋭利な穂先を先端に据える。それだけでバリエラだけの武器が完成する。


(――できたわ)


 結界を素材にした短槍をバリエラは両手で握る。槍としての性能はよく分からないが、強度だけは申し分ないはずだった。この水中牢獄に穴を空けてやることくらいはできるに違いない。


『とりあえず、やってみたらどうだ』


(言われなくても、そうするわよ)


 バリエラは槍の穂先を水底へと向ける。謎に柔らかい地面だからこそ、自分でも貫けると判断した。だが……


(――わっ!?)


 穴を空けるどころか、信じられないほどの弾力で跳ね返ってきた槍に、押し返された賢者は転倒した。バリエラの個人的な技量の問題だけではない。単純に力が足りていなかった。


『槍の先端が思うより丸い。造りこみが甘すぎる上に、お前が非力では話にならん。これで貫けると思っていたのか?』


(分かってるなら、さっさと教えなさいよ、バカ! ……というか、何で目が見えない癖に、そんなことが分かるのよ。まぁ、助言はありがたいけどね。とにかく作り直せばいいってことでしょ?)


『できるのか? 鍛冶師でも何でもない、ただの娘に正しい槍が作れると思えんな。これならば、適当にへし折られた棒の継ぎ目のほうがまだマシだ』


(言ってくれるじゃない)


『――ふん』


 素っ気ない対応に、今度こそ頭に来た。なら、やってやろうじゃないと意気込み、二本目、三本目と作っては試し、失敗しては消しを繰り返していく。だが、黒い水によって視界が封じられた環境下、ただ槍の先端を鋭利にするというだけでも困難を極めた。


 あまり試行回数を多くすると、黒い魔人による解析を進めてしまう。途中からは新しく生成するのを止めて、同じ槍の穂先を何度も調整していく。それでも地面を貫ける程度の短槍は出来上がらなかった。最後に一突きした分だけは少し手応えがあっただけに、跳ね返された時の落胆はより大きかった。


 何度目になるか分からない尻餅にも慣れてきた頃に、バリエラの脳裏に魔人の声が響く。


『遊びには満足したか? 賢者』


(うるさいわよ。私の失敗を笑い物にでもしてるわけ?)


『クハハハハ。なかなか愉快だったのは認めよう。本当によく足掻く、ひどく無様だった』


 あまりにも長く続く笑い声に、賢者は表情をしかめるしかない。何も成せなかったことに変わりはなかった。


『だが、その姿勢は嫌いではない』


 そのとき僅かに、頬を撫でるような水の動きをバリエラは感じた。驚く間もなく、ゆっくりとした流れが背中を押してくる。弱々しい微力な潮流が、この黒い水の空間の中で発生していた。


『今、オレに残る力で場に干渉をかけている。水の流れに逆らわず進んでいけ。お前に見せるものがある』


(見せるって、私には何も見えないんだけど)


『気にせずに行け。行けば分かる』


(………………)


 そよ風のような水流は変わらずバリエラの背中を小さく押してくる。一応だが、相手は魔人。勿論、騙されている可能性も否定できない。しかし、今は拒否する気分にはなれなかった。


(……分かったわ。あんたが何を考えているのか知らないけど、従ってやるわよ)


 危険は承知の上、というか今更だった。だから、バリエラは賭けることにした。もちろん、なぜ灰色の魔人が突然になって協力してきたのかは分からない。だが、自分一人ではもう確実に詰んでいたことだろう。だったら、話に乗るのも悪くなかった。


(あんたは敵だったけど、今は信じるわよ)


『元敵を素直に信じるな。だが、今回ばかりはそれでいい』


 声に導かれてバリエラは水底を迷いなく進んでいった。その先にきっと、脱出のための糸口があると信じて。

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