第75話 賢者と少女は逃げ道を求める

 浮かべた光によって照らされた一段一段を、足を踏み外さないように慎重に上がる。途中で階段は角度を変えており、曲がった壁に沿うようにして造られていた。丸い大広間の石壁をぐるりと一周したときには、下はもはや奈落の底であるかのように闇で満たされている。急勾配で険しい階段が、賢者たちが足を滑らせるのを待つかのように延々と続いていた。


「――大丈夫?」


「だ、だいじょぶ、です……」


 自らも上がった息遣いをしながら、バリエラは付いて来ている少女に声を掛けた。息切れを起こしたカナリナの顔は苦しそうに蒼白くなっていた。休みたいというのが本音ではあったが、またあんな地震が起これば一溜りもない。


 バリエラは新たに光の球を生み出して天井に向けて放った。浮遊する灯火は上空へとゆっくり進み、やがて行くべき道を照らし出す。続いていく階段の先にぽっかりと出口のような穴が開いているのが見えた。


「あと、もうちょっとみたい。頑張りましょ」


「…………」


 息を落ち着かせていたカナリナが小さく頷く。もうそこまでの距離はない。根気でどうにか登りつめ、バリエラたちはやっとの思いで階段を上がりきった。


 すかさず二人とも通路の入り口で荒い息を整える。バリエラもカナリナも基本的に体力が無いと言われる魔法士の例に漏れなかった。


 階段の後の廊下には、これまでの牢部屋にあったような赤土の壁と違って、無機質な灰色の石壁が続いていた。壁の両側に松明のようなものが置かれているが、今は完全に消灯されている。


 バリエラは魔法の光で先を照らし出す。通路は長く続いているようだが、一定の間隔で壁に木製の扉が取り付けてあった。なんというか、建物らしい雰囲気になった。


「少なくとも迷宮のような地下と比べれば、場所の把握はしやすそうね」


 手近にあった扉の一つに手を掛ける。当然のように開くことはない。鍵が掛かっているというよりは、老朽化して扉自体がどこかに引っ掛かっているという印象だった。やろうと思えば、魔法で破れるかもしれない。


 カナリナも別の扉に耳を当てて、中から物音がしないか確かめているようだった。しかし、何も聞こえなかったのか、バリエラに向けて首を横に振る。


「この扉も、……あれ?」


 押されたことで耳障りな音を立てたドアに、カナリナが動揺して慌てて周囲を見回した。今のところ何も変化は起きていない。とはいえ、まだ部屋に魔物が潜んでいる可能性があるので、バリエラがいつでも魔法を放てるように傍に付き、カナリナに扉を開くように勧める。


 カナリナがゆっくりと扉を押し込んでいく。木の扉は軋んで大きな音を鳴らしながら、暗い室内を開放した。鼻につく臭いにバリエラたちは顔をしかめる。床や壁一面にこびり付いた長年の塵埃じんあい。溜まりに溜まった白いほこりが部屋全体を覆い尽くしていた。


 中央には骨組みしかない鉄のベッドが一台。その隣には、白布が被された大椅子が鎮座していた。床には他にもよく分からない器具たちが横たわっているが、例外なく埃除けの布で覆われている。


「何なの、ここ?」


「すごく変な臭いです……」


 足を踏み入れただけで舞ったほこりが奇妙な異臭を放つ。不快感のあまり探索を諦めて、部屋を出ようかと思ったほどだった。それでも調べないわけにはいかない。意を決した賢者は埃を被った白布の一つをめくりあげる。


「…………っ」


「…………!?」


 無数の鉄のとげにバリエラもカナリナも言葉を失う。裂傷や刺傷に作るために生み出された無情で残忍な凶刃の数々。二人が目にしたのは木箱に乱雑に入れられた大量の拷問道具だった。


 つまりは、そういう部屋らしい。念のためにベッドや大椅子も調べてみると囚人を拘束するための鎖や手錠などが取り付けられてあった。中には古い血痕が残っているものもあって、実際に責具を受けた者がいたのだと思い知らされる。


 とはいえ、しばらく使われた形跡はない。そもそも部屋自体が埃まみれだったことから、ここを魔物たちは出入りしていなさそうだった。


「…………放置で良さそうね」


 特に有用そうなものも無い。仮に有ったとしても怨念がこもっていそうで持っていく気にはなれなかった。これ以上、長居する理由はないと出口のほうを振り向こうとしたバリエラは、同時に石のように固まっていたカナリナと軽く衝突して驚く。


「……カナリナ?」


 目を見開いている彼女の視線を追う。その先には、部屋の出口を塞ぐように、灰色のローブを被った人影が立っていた。背丈は高く、袖口からは黒手袋をした手が見えている。顔は長いフードを被っているせいで全く見えないが、薄い金髪の先端だけがはみ出している。


「――!」


 一瞬にして湧いた警戒心と驚きが先立って、バリエラも思わず硬直する。カナリナは少し混乱できるのか、何かを言葉にしようと口をパクパクさせていた。動揺を隠せない二人に対して、男は何も語らず、その場を立ち去った。


「ねぇ! ちょっと!?」


 束の間の思考停止を終えたバリエラは、慌てて追うように部屋の外へと出る。生存者なら近くに仲間がいるかもしれない。そうでなくても何か情報を共有できるかもしれない。


 既に男は通路の奥を歩いており、ローブの背中が暗闇に溶け込みそうになっている。それでもバリエラは声を張り上げた。


「待って! 聞きたいことがあるんだけど!」


 しかし、男の背中は無反応のまま暗闇の中へと消える。ことごとく無視されて、思わず憤りを覚えるが、こらえて拳を握りしめるだけで済ます。


「バリエラさん、あの人は……?」


 遅れて部屋からカナリナが出てくる。ただでさえ血色の悪い顔が一層蒼白になっていた。


「……っ! 大丈夫!? かなり気分が悪そうだけど」


「大丈夫です……。それよりも、さっきの人のことで、ちょっと思い出したことがあって」


「知ってる人なの?」


 尋ねるとカナリナは少し困ったような顔をしつつも頷く。


「別に知り合いといわけじゃないですけど、この牢獄で似た人を見たことあります。……魔物に連れて行かれて、それきり戻ってこなかった人です」


「確か、魔物が閉じ込められた人を連れて行くって、前に話していたわね」


 もしかすると連行中にうまく逃げ出せたのかもしれない。無視されたのは腹が立つが、ひたすら彷徨さまようしかない今の状況では、どんな相手であっても協力者は得たい。


「後を追いかけるわ。今は何でもいいから手掛かりが欲しいし」


「………………」


 カナリナは不安そうな視線をバリエラに向ける。もちろん、バリエラも不穏な予感をずっと抱え込んでいた。しかし、地下牢の広大さから、ここが巨大な建物だということは確信している。闇雲に探索していては、何と遭遇するか分かったものではない。


 ひとまず、男が消えて行った通路の奥へとバリエラたちは進んでいく。自分たちの足音だけが響く暗闇に支配された直線の道を、二人は一言も喋らずに歩いていた。


 照らす光の行き先に、自ずと意識が集中していく。全身を駆けめぐる緊張と、暗闇に対する本能的な恐怖が、少しずつ二人の歩みを慎重にさせた。


「……………………」


 ようやく辿り着いたのが、それぞれが上と下へと続く二つの階段。未だ地下にいるのなら上に、地上階にいるなら下に行きたい。とにかく、地上の出口に近付きたかった。だが、階段に表示などは無いので、今どのくらいの高さにいるのか皆目見当がつかない。


「どっちに行く?」


「し……上」


 迷いのある回答を受けて、バリエラは上階に向かう階段を見つめる。光で照らしてみても罠があるような気配はしなかった。


「じゃ、上に行くわよ」


「…………」


 階段の第一段目を上ろうとした、そのときだった。段差を踏むはずの右足が突如沈みこむ。自重を前に傾けていたバリエラは、体を支えることができずに、そのまま前へと転倒する。頭は階段にぶつからず、むしろ透過するように中へと呑みこまれた。


 広がったのは一瞬の闇と、それから赤褐色の壁。軽い浮遊感と共に平衡感覚を保てず、賢者は突然広がった世界で前倒れになる


「いたたっ……幻影だったの?」


 転んで前屈みになっていた賢者は痛みにうめく。背後を見やると人の背丈ほどの大きさはある高い段差がそこにあった。数秒遅れて、同じようにカナリナが上から降ってきた。小さな身体にバリエラは下敷きになり、今度は呻き声さえ上げられない。


「……? あれ、私」


「とりあえず、どいて……」


「あ、ごめんなさい」


「いいわよ。それより大丈夫だった?」


 カナリナはコクリと頷くが、相も変わらず調子が悪そうだった。少し目の焦点も定まりきっていない。口にはしてないが、無理しているのが見て取れた。状況が状況でなければ、もう一休みさせておきたい。


「……とにかく、ここは?」


 安全を確かめるように周囲を見渡すと、目の前に広がっていたのは牢獄でも見た赤土の世界だった。正確には、赤褐色の巨壁で四方を囲まれた、ひどく巨大な大広間。


 高い天井からは数えきれないほどの黒いみののような何かが垂れ下がり、黒々とした泡が表面に沸く。床面には蜘蛛の巣のような黒い染みが広がり、その部分だけ軽く踏みしめるだけでも泥をつついたような感触がする。


 その巨部屋の奥には、禍々しい黄褐色の複眼をした黒い大蛇が置物のように、とぐろを巻いていた。それを背景としながら、中央に何故か設置された、宝石が散りばめられた玉座に座る巨大な人影が一つ。


 少なくとも玉座と体の比率は合っていなかった。小さな椅子に無理やり座る大男という印象で賢者たちの目には映る。頭部には王冠をつけ、顔に鉄仮面をつけ、全身を貴族のような絢爛けんらんな衣類で統一している。ただし、装飾と鉄仮面以外は全て黒かった。


 鉄仮面をした黒影の王はバリエラたちに向けて乾ききった拍手を送る。


「巡回中の下僕を五体、徘徊中の魔物を三体撃破。そして、囚われていた同類を一人救助。先の者と比べると少し味気ないですが、なかなかの暴れようですねぇ。やはり連れてきた甲斐はあった」


 おごそかな見た目と反して、青年のような高めの声が響く。


「こんなに離れていても、とても強い魔力を感じますねえ。良い素体と天才的な頭脳が合わされば、いったいどんなものが生まれてしまうのか?」


 下品ではないが下劣、どことなく狂気まで含んでいそうな笑い声が、けたたましく響き渡る。神経を逆撫でしそうな冷たく気味の悪い声に、結界の賢者は思わず背筋に怖気おぞけを覚えた。声だけでなく、その存在感でバリエラは相手が何であるかを悟る。


(よりによって、絶対に出会いたくなかった敵に遭遇するなんて、ね)


 あまりにも唐突な鉢合わせだった。敵の領域での魔人との会敵。あまりにも絶望的すぎて、誰もいなければ笑っていたに違いなかった。

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