第76話 勇者は山脈を振り返る
廃れた山道を登るルーイッドたちは、北の山脈をもうすぐ半分越えるところにまで差し掛かっていた。この山脈は大陸を横断することで知られるが、実際には縦側にも複数の山が連なっている。事実上の巨大山地でもあった。もう既に大きな山を二つほど越えた気でいるが、まだまだ終わりは見えてこない。
茶緑の
ここに来て初めて知ったが、高く
遠い昔には、採石場として利用されていた場所だったのかもしれない。長らく放置され、周辺には緑を生やしていたが、土層の下では露出した石灰色の巨大な一枚岩が、遮られない日差しを反射させて輝いている。久々の人の往来を歓迎しているかのようだった。
「このような険しい山で囲まれた地にも、数多くの人がいたのであろうな」
「みたいだね。大陸の南側に住む人々は恐れて近寄りたがらなかったみたいだけど、大陸の北側に住んでいた人はそうじゃなかったのかもしれない」
興味深そうに採石場を眺めるミドの意見に、ルーイッドは思い付いた考察を垂れ流す。中央に巨大な山脈が横たわっていたせいか、大陸の北側と南側では文化がかなり異なっていたという。しかし、元より地理的に分断されていたからか、大陸の北側の様子を伝え残す書物や記録はあまり多くない。
噂によれば、かつては良くも悪くも一国強だった南側と比べて、北側は小さな武力国が密集し、戦乱が絶えなかったと言われる。もっとも魔王出現後の現在は、まともな国は
「……ふむ。ルーイッド殿、さっきからアオが頭の中で変な質問ばかりしているのだが、こうした険しい山には聖職者の修行の地らしいのである。ここにも修行している者が見つかるのであろうか?」
「あー、いたら嬉しいね。貴重な戦力になってくれるだろうけど、難しいんじゃないかな」
「何故?」
「魔王誕生前ならともかく、今の時代なら、この山で修行するのは自殺行為過ぎると思うよ。強力な魔物が多いみたいだし」
「確かに、言われてみればそうであるな」
時には、くだらない雑談も飛び交っていた。それができるのも水の勇者が行使する霧でできた探査の網のおかげだった。魔物は回避するか、遭遇する前に仕留めるか。このため、ルーイッドたちの山越えは順風満帆といっていいほどだった。
「……ここも、変わりませんね」
一番先を進む水の勇者が、崖下のそこらかしこで
「あえて今まで訊かなかったんですが、やっぱり入ったことあったんですね、北の山脈に」
「…………」
水の勇者は静かな沈黙で返答する。否定はしない。
道案内する彼女は、常時索敵しているとは言っても、この山脈のことを非常によく知りすぎているような気がしていた。事実、道中で迷ったことは一度としてなかった。
「国で伝わっている話では、レイラ様の旅はシャフレの再建をしたところで終わってませんでしたっけ。それ以上、北へ行ったという話は確か無かったはずでしたけど」
「王都の再建の前に、私たちは魔王討伐のために北の山脈を超えようとしたことがありました。……四人で」
『四人』という単語だけに、他とは異なる重い響きが含まれていた。レイラ、ヨリミエラ、クラダイゴ、……そして、最後の一人に挙げられるのは炎の勇者だったエルジャー。
「ここまで私が案内してきた道は全部、かつての私たちが通り抜けてきた場所です。結局、この山々を全て越えることは無かったので、途中からは本当に地形を把握しつつ進むことになるのですが……」
「うわっと……!」
唐突にレイラが立ち止まったせいで、ルーイッドは転びかけた。目の前にあるのは、積もった土砂と途切れた道。元々は分厚い岩盤を切り通した細道があったようだが、長らく誰も利用しないうちに崩落してしまったらしい。迂回しようにも右側は岩壁、左側は崖だった。
「レイラ様、どうするんですか、これ……」
「大丈夫です」
一言だけ告げたレイラはふと道を外れる。切り立った岩壁を飛び降りて、採石場の砕かれた石片たちを緩衝材代わりにして着地し、
小さくなった人影に、ルーイッドもミドも唖然と口を開いた。勇者でなければ落下死もありえる高さだった。
「……。まさか、レイラ様って、まだ正気を失ってるんじゃ?」
「ルーイッド殿、現実逃避しても仕方ないのである」
「えっと、レイラさまー? ほんとに降りなきゃ駄目なんですかー、これ?」
大声で呼びかけるが、水の勇者に届いた様子はない。追いついてくるのを待つ彼女に、ルーイッドは仕方なく無言でミドに視線を送った。強化をかけても怪我をしない自信は無かった。
「――ごめん、頼むよ」
「了解である」
竜の勇者であるミドがルーイッドの肩を掴み、普段はコートの内に隠している両翼を大きく広げる。治りかけの飛膜がバタバタと風を孕み、賢者を崖下へ飛翔させる。
ちなみに、先ほどから姿を見せていないアルエッタだが、ずっとルーイッドの制服のポケットで爆睡していた。崖から降りる際に激しく揺らされたはずだが、一向に目覚める気配はない。
どうにか水の勇者の元まで辿り着いた二人は、彼女の手招きに応じて背中を追った。長年に渡って放置され続けた採石場は、風化や劣化で岩盤の一部が砂となって、地面が少し滑りやすくなっている。
「あのときも道は塞がっていて、私たちは迂回して崖下を通ることに決めました。今回と違って、降りるためにロープは使いましたけどね」
「だったら、普通に降りてくださいよ。そのための準備もできたんですから」
空気を吸うような感覚で無茶な事をされ続けたら、一つしかない命では足りなくなる。
「そうでしたか。ロープもどちらかといえば、ヨリミエラが自分の為に用意したようなものだったので、あなたたちなら普通に問題ないかと……」
「………………うわぁ」
単純に、水の勇者に同行していた面々が凄すぎたというだけの話だった。
「む、それはつまり、クラダイゴ殿は飛び降りたということか……? やはり、凄まじい御仁であるな」
「というより、ヨリミエラ様がロープを用意していたって後から知ったんじゃないかな。……勇者の御守りなんてしていたら命がいくつあっても足りないって、軽く愚痴られたことあったし。まぁ、平然と飛び降りそうでもあるから何とも言えないけど」
このとき王都では、偶然にもクラダイゴがくしゃみをしていたが、もちろん噂されていると気付いた様子はない。
「…………本当に変わりませんね。あれからだいぶ経っているはずなのに」
「……?」
賢者たちは喋りをやめて、レイラの視線の先にあるものを見つめる。崖上からは見えなかった採石場の一区画。それまで白い石が無造作に落ちていただけの景色が、一つの採石跡を過ぎた途端に変容していた。
黒く
激しい戦いの痕跡だとルーイッドはすぐに悟る。しかし、ただの魔物との戦いでこれほどの惨状は残らない。強大な力を有する二者が激突しなければ、ここまでの爪痕は残せないはずだった。
「ルーイッド、それから竜の勇者、しっかりと目に焼き付けておいてくれませんか。ここは炎の勇者と私が、最初で最後に戦った場所です。この地で私たちは旅をやめました。……私にとっては忘れることもできない記憶に刻み込まれた地です」
焦げ付いた採石場の上り坂を踏みしめていく水の勇者は、一切の感慨も懐古を覚えさせない響きで語る。しかし同時に、その言葉から表現できない未練と
どういう経緯で、彼女と炎の勇者が戦うことになったのかは、未だ聞かされていない。だが、尋ねずとも分かることはある。
かつて炎の魔王として世界を蹂躙した元勇者と、彼に代わって魔王を滅ぼさなければならない新しい勇者。一時は共に歩んでいたとしても、いつか来てしまう決別は避けられなかったのだろう。
「この場所を抜ければ、この山脈の半分を越えたことになります。……炎の魔王が、かつての私に語っていたので間違いないでしょう」
これまで名前で語っていた
(レイラ様、もしかして、まだ……)
ずっと抱いていた懸念がルーイッドの中で
「レイラ様、今の魔王は炎の勇者を呑みこんだとされています。ですから、本当に最悪の場合、エルジャーさんの力が……」
炎の勇者の奇跡は、魔王に取り込まれている可能性があった。今はただの推測に過ぎなくても、以前に漆黒の
「だからこそ、私たちの戦いの記録を見て欲しかった。あの人の炎は恐ろしく強い。決して油断してはいけないと知ってほしかった。これは教訓で、そして私にとっては……」
続きの言葉をレイラは一度、呑みこんだ。それから一度もこちらを振り向くことなく、彼女は坂道を上り終える。その先は最初と変わらない山道の景色だった。そこで水の勇者は少しだけ昔の思い出を語る。
「私はずっと、
「………………」
「だから、あの人と
自虐もレイラは、なるべく感情を込めずに話しているようだった。ひたすらに淡々と無機質な語り口調を続けている。背を向けられたせいで、表情も見えはしない。
「一度は城を出て、長い期間を放浪して、恥ずかしいことに敵に心の隙間を利用され、……そして、あなたたちに連れ戻された。そのときに気づいてしまったんです。私もあなた達に全く同じ不安を味合わせていた、と」
「…………」
「要は、けじめをつけたいんです。バリエラを救出し、魔王を完全に討伐する。エルジャーの力が悪用されていたとしても私が止める。それが、あなた達とあの人に対する私の
溢れた感情が最後の一言を強く飾った。その一瞬だけ、水の勇者は後方にいるルーイッドたちに顔を向ける。悲壮も悔恨も
揺るぎない硬い決意を見せつけられて、賢者であるルーイッドは、ただ静かに首を横に振った。
「……流石に、それは駄目ですよ。僕もミドも、それにバリエラもいるんですから勝手に戦われたら困ります」
「そうであるな、抜け駆けは良くないのである」
「……それもそうですね」
レイラは頬を軽く綻ばせて、再び前を向く。ルーイッドは彼女が行く道の遥か先を見通した。魔王の領域に入ったせいか、夕暮れでもない空は奇妙な朱色に染まりかけている。進むにつれて荒廃する景色に、そこはかとない緊張を賢者は覚えた。
(……?)
ふと賢者は目を
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