第74話 賢者と少女は闇を抜ける

 どれほどの長い時間を、この暗闇が群がる通路と牢が並ぶばかりの景色と過ごしたのだろうか。やっとの思いで、初めてまともな光が見えたとき、バリエラは思わず声が出そうになった。


 辿り着いたのは緩やかな曲面に沿った石壁に囲まれた円形の大広間。その中央に上へと伸びる階段が鎮座している。光は階段の側壁に立てかけられた木の棒から発されているようだった。


 階段の根元部分だけを灯火は淡く照らしている。階段がどこまで伸びているのかまでは、暗闇のせいで分からない。そのとき、カナリナがハッと気づいたように声を上げる。


「バリエラさん。ここ、魔法が普通に使えます!」


「みたいね」


 試しにとカナリナが詠唱をする。すると彼女の両手から、小さな虫のような淡い光が天井へとゆらりと飛んでいく。


 バリエラがずっと暗闇に浮かべていた魔力の火も、この広間に入った途端に消耗が軽くなっていた。よくよく見れば、据え置かれた杖の光も厳密には炎ではない。炎を模しているが魔力で具現化された光だった。やはり、この場所で魔力が吸い込まれている感覚はない。


「とりあえず、ここならまともな休息ができそうね」


 貴重な灯火に照らされる場所を選び、バリエラは息をつくようにへたりこんだ。たいした魔力を消費しない魔法でも、長時間ずっと行使し続ければ、どうあっても疲労は蓄積する。加えて、この道中は順風だったわけではない。牢を脱した魔物と遭遇して、バリエラたちは何度か戦闘をしていた。大怪我などはしてないが消耗は激しい。


 この木の杖は恐らくだが、先行した生存者たちが残したものだろう。今すぐ階段を上れば、追いつく可能性も高まるが、流石に一息は入れたかった。


 空腹を抑えるために小袋に入ったパン切れをバリエラは一つつまむ。カナリナにも渡そうと思ったが、彼女は首を横に振った。


「わ、私はそんなに疲れてないです。バリエラさん、どうぞ」


「バカ。変な遠慮しないの。まともに休めるのも今だけかもしれないんだから」


「でも……」


 無理やりパンの欠片をカナリナに押し付ける。渋々ながらもカナリナは口に含んだ。一応、破られた牢に置き去りにされた分なども回収しているので、食料に余裕がないわけではない。


 そもそも血色の悪い肌をしているせいで、見た目ではカナリナのほうが疲れてそうだった。聞けば、生まれつき肌が白っぽいらしい。だから、大丈夫というのが事実かもしれなくても、とても差し置いて食べる気にはなれなかった。


「…………本当に、この先に出口があるんでしょうか?」


 隣で座ったカナリナが食べながら呟く。階段はずっと上方向へ続いており、その先は黒暗こくあんで何があるか一切分からない。


「分からないから探すしかない。多分、この場所がこの牢獄から出る唯一の道なんでしょうし」


 先行した生存者たちが戻ってきた形跡は見かけない。もしかすれば、出口など存在せず、待ち構えていた恐ろしい怪物とかに皆やられてしまったのかもしれない。


(――大丈夫、判断は間違ってないはず)


 どのみち、ここを通るしかないのだとバリエラは自分に言い聞かせる。うじうじと考えていたとしても、堂々巡りで時間の無駄になりそうだった。


「…………あの」


 軽く仮眠をとりかけたところ、食べ終えたらしいカナリナから声を掛かり、バリエラは顔を向けた。何故だか、彼女は少しおどおどした様子だった。


「なに?」


「あ、いえ。……もしかして、さっきから怒ってます?」


「……? なんでそうなるのよ」


「だって、ずっと顔が怖いですし、声も少し大きいですし、イライラしたように指先で髪をいじっていましたし……」


 改めて自分を省みて、言われてみれば少し気が立っていたかもしれない、とバリエラは今更になって気がついた。


「ごめん、癖が出たみたい。別に怒ってるわけじゃないんだけど、これからのことを考えるとどうしても、ね……」


 知らず知らずのうちに、思い詰めた顔をしていたみたいだった。不安を感じさせるつもりはなかったのに、カナリナに精神的な負担をかけてしまったようだ。


(こういうとき、あいつルーイッドなら冗談くらい言って場を和ますのだろうけど)


 そんなスラスラと気の利いた言葉など思い付くはずもない。重苦しくしてしまった空気をどうしようかと悩んでいると、カナリナのほうから口が開かれる。


「……。そうだ、バリエラさんってどこから来た人なんですか? 私はシルノ村の出身なんです。すごく小さな田舎町っていう感じのところなんですけど」


「シルノ。……ああ、けっこう東のほうにある村ね」


「え、分かるんですか! 私が言うのもなんですけど、本当に何もない小さな村なので、地元以外だと知らない人のほうが多いんですよ」


 本当に驚いているのか、弾ませた声を出していた。ちなみにバリエラが知っていたのは、ほぼほぼ偶然だった。


「まあね。仕事柄、いろいろ覚えなきゃいけないのよ」


「どんな仕事なんですか。魔法士というのは見て分かるんですけど」


 魔法士といっても所属によって仕事は異なる。冒険者組合の所属なら民間の依頼を受け、商業組合の所属なら魔法道具や薬の売買を行うことが多く、兵士団所属なら都市や街の防衛や魔物駆除などに務める。中には無所属もいて、人知れず研究を行う者もいるらしかった。


「……まぁ、王都で魔法の研究をしたりとかね」


「バリエラさん、研究者なんですか!?」


「そう。だいたい似たようなことしているわ」


 流石に賢者であることは伏せた。大結界の管理や王城で諸々の事務をやっているが、治癒系魔法の研究もしてはいるので嘘はついていない。


 あまり詳しく深掘りされても困るところだが、カナリナの興味は王都のことに移ったようだった。


「王都って大きな城があるんですよね。私、まだ行ったことないです。というか、あまり地元から離れたことがないだけなんですけど。ヨールクにはギルドがあるので頻繁に行くんですが」


 ヨールクは最東端の街でシルノ村よりやや北東に位置する。大結界維持のための結び石が置いたということもあって、ほどほどに発展させた街だった。当然、バリエラも訪れたことがある。ヨールクも例の失踪が相次いだ場所ということを思い出し、少し複雑な気分になった。


「カナリナには将来、何かなりたいものとかあるの?」


 あまりにも興味津々だったので、何か夢でも持っているのかもしれない。そう思って尋ねてみたものの、カナリナはやや戸惑った様子で恥ずかしそうに顔を下げる。


「私ですか? えっと、今は魔法の勉強に必死で、あんまり将来とかは、考えてなかったかもです……」


「そっか。確かに、魔法は分野や系統が多種多様あるせいで、学ぶ量が尋常じゃないから、それどころじゃないのも仕方ないわね」


「でも、魔法を学ぶのは楽しいですし、いつか誰かの役に立てたらなって。そう思うんです」


「それならいいんじゃない? 魔法を学べば、就ける職の選択肢も多いだろうし」


「うーん。そういう感じで勉強しているわけじゃないんですけど」


 やや眉をひそめて首を傾げながら、カナリナはうまく説明しようと言葉を紡いでいるようだった。


「なんというか、魔法って凄いじゃないですか。いろいろできるし、本当に何でもできる可能性があるっているか」


「別に、そこまで万能ってわけじゃないわよ」


「……バリエラさん。すごい冷めてる感じがします」


 不服そうに口を尖らせてカナリナから抗議の視線が送られる。奇跡の力でさえできないことがあると知るだけにバリエラ自身は、魔法に対してそこまで凄いと思ったことはなかった。


「別に冷めてはないわよ。だけど、魔法だって限界はある。例えば、死んだ人間を生き返らせるとかね」


「それくらい知ってます。でも、人を助けられることもいっぱいあるじゃないですか」


「あくまで手段ってだけの話よ」


「だから、その手段が凄いんじゃないですか。魔法って誰でも覚えられるわけじゃないって、お母さんも言っていました」


「確かに、それは事実なんだけど、――ああ、もう面倒くさいわね」


 なんで自分まで少し熱くなっているんだ、とバリエラはふと思った。半分口論になりかけているのが馬鹿らしくて、やれやれと首を横に振る。


「とにかく魔法にはできること、できないことの二つがあるの。どこまでやれるのかは自分で勉強しなさい」


「むぅー」


 納得しない顔でカナリナは不満そうに唸った。長く喋っている間に、魔力が回復してきたのでバリエラは立ち上がる。


「そろそろ出発するわ。この話はまた後で。脱出してからでいいわね」


「分かりました。――あれ?」


 続いて立ち上がったカナリナが不思議そうに階段上へと視線を向ける。バリエラも覗くが、やはり暗くて何も見えない。


「……今、何か聞こえたような」


「えっ?」


 そのとき不意に地面が揺れる。天井に近い石壁から順に、それから床へと強い振動が伝わっていく。身体を揺さぶられるような激しい振動が上階から広がっていた。二本足で立つことすらままならない。転ぶまいとバリエラは、辛うじて壁を支えにして事なきを得る。カナリナは尻餅をついてしまっていたが。


 思いのほか短い時間で振動は終息した。物が落ちてこなくて良かったとバリエラは思う。天井が暗闇に覆われているせいで、頭上から何が降ってくるか分かったものではなかった。


「上で何が起こったみたいね」


「ほ、本当に行きますか? 階段を上っているときに同じのが来たら、落っこちちゃいますよ?」


 階段に手すりのようなものはない。それでいて一段一段が急な勾配で配置されている。


「でも、ここしか道はない。揺れがまた来ないうちに上がってしまいましょ」


 行きましょうと誘うようにバリエラは手を差し出す。実際、この階段を進むしか脱出の糸口は見つかりそうもなかった。やがて、カナリナも覚悟を決めたのか、その手を握り返す。


 新たに魔法で光を灯して足元を照らしながら、二人は闇に包まれた階段に足を踏み入れた。その先に待ち受けているものが何なのか、彼女たちはまだ知らなかった。

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