第72話 勇者たちは魔の地へ向かう

 魔領と人の領域の境界は、北の山脈と呼ばれる天高い山々が連なった地帯で分断されている。険しい傾斜と馬車を入れることすら困難な細い山道は、旅慣れた者でも行き来が難しいと言われていた。魔王出現後の現在では、凶悪な魔物までもが徘徊するようになり、なおさら人の往来を拒絶している。


 にもかかわらず、その山々を四つの影が進んでいく。


「寒いし、疲れたし、眠い。ルーイッドぉー、なんとかしてー」


「……アルエッタ。人の肩に乗って楽をしてるんだから、文句言わないでよ」


「ふむ、せめて空の魔物が少なければ、私が飛んでも良かったのであるが……」


 断崖と隣り合った狭い山道が続く。辛うじて二人が並べそうな道幅ではあったが、横から荒れる強風のために強化の賢者たちは一列となって北の山脈を進む。


 先頭を水の勇者であるレイラが歩き、その後を強化の賢者であるルーイッドが続く。最後尾を三つの人格を有する竜の勇者が務め、妖精であるアルエッタは体が小さいために三人の列の間を行き来している。バリエラの救出と魔王討伐のために選抜されたのが、この四名だった。


「それにしても、クラダイゴさんが加わらなかったのは意外だったね……」


 魔領に入ることに首を横に振った剣士をルーイッドは思い出す。クラダイゴは魔領に踏み入ったことのある、唯一といってもいい人物だった。だが、そんな彼は、自分はもう足手まといになると断言したのだった。


「足を引っ張ると言うなら正直、僕だって怪しいんだけどな……」


「そうは思わぬな。少なくともレイラ殿を元に戻せたのは、ルーイッド殿がいなければできなかったことであると私は考える」


「そうかな」


 今は緑の目をしている竜の勇者に、ルーイッドは少し納得がいかなさそうに首を傾げる。


「でも、あくまで剣の力で勝ったようなものだし」


「十分なのである。その剣も認めてくれているということなのだろう」


「でもなぁ……」


「……。私もミドに同意見ですよ。あの人の剣があなたの手に渡ったのも、きっと意味があることなんでしょうし」


「レイラ様……」


 気付けば、先頭を歩いていた水の勇者がこちらを振り返っていた。黒く染めた髪をなびかせて、その紺碧の瞳がルーイッドの腰に携帯された赤鞘を射貫く。


 中には炎の剣が入っていた。抜かれていないにもかかわらず、周囲に熱を放ち、山道で吹きすさぶ寒波から賢者たちを守ってくれている。


 季節的にも冬が近い。山々の中には頂上が白い雪で染まっているものもあった。皆、防寒具を何かしら着込んでいた。


「………………皆さん」


 それから水の勇者は後方にいる全員に話しかけた。


「このまま進んでいくと、すこし広い場所に出られそうです。そこで休憩しましょうか」


「あの、レイラ様、索敵ぐらい僕がやりましょうか? 流石にずっと力を使い続けるのは負担が……」


「慣れているので問題ありませんよ」


 気を遣わなくても大丈夫というように、水の勇者はルーイッドたちに静かな笑みを見せる。ほぼ常時索敵していて、決して易しくない山道まで登っているというのに彼女は顔色一つ変えていなかった。


 水の勇者であるレイラが展開しているのは索敵魔法ではなく、水の奇跡を応用して生み出した極薄の霧。自分で創造した水であれば、レイラは手足とほぼ同じように操れるらしく、今回は探知機のような扱い方をしているらしい。


 ちなみに、やろうと思えば、気づかぬうちに霧を薄刃に変えて、敵を両断することも可能だという。


「やっと休憩できるの? じゃあ、どんどん進んでけー」


「人の肩に乗って言うことじゃないよね、アルエッタ」


 しばらく道を進むと隣の断崖は消えて、岩場で囲まれた平地へと出た。当然その先にはまた坂道が続く。道の半ばであることには変わりないが転落の恐れはなく、小休憩には丁度よさそうではあった。……切り刻まれた魔物の死骸が転がっていることを除けば。


 肉体が霧散しかけている魔物たちを見て、ルーイッドは察したように、水の勇者のほうへと視線を向ける。


「大丈夫みたいですね」


 靴で軽く死骸をつつき、完全に息絶えているのを確認して、水の勇者は近くの岩に平然と腰を下ろす。周囲の敵を警戒しないことからも、この死骸の山を築き上げたのは彼女であるとルーイッドたちは悟る。


「……精神を支配されていたときに同じ戦術を使われていたら、私どころかアカでもやられていたかもしれないのである」


「そうだね……」


 戦慄した様子の竜の勇者に賢者は頷く。思い返せば、黒化した水の勇者はまだ動きが単調で、隙が見つけやすいほうだった。だからこそ、ルーイッドの剣技でも通用したし、機を見て攻め手に出ることもできた。しかし、今の彼女と仮に同じように戦ったとしても、ルーイッドには自分の勝利を想像できない。


「真の経験の差なのであろうな。私も造り主から実戦の知識は授かっている。だが、実際の経験となると彼女には及ぶまい」


「ミドでもそう思うんだね」


「ふーん」


 肩の上で話を聞いていたアルエッタがおもむろに羽根を広げて、レイラのほうへと飛んでいく。染められた黒髪に飛び込んだ妖精は、そのまま勇者の頭に張り付いた。


「あ、こら」


「どうかしましたか?」


 勝手に人の頭に着陸したにもかかわらず、水の勇者は特に怒るような素振りを見せない。その代わりに、そっと自分の掌にアルエッタを置く。小さな人形のように乗せられているアルエッタは何故か目を見開いている。


「――ルーイッドたちよりも扱いが紳士的だ!?」


「そこ比べていたの?」


 堂々と失礼を働いた妖精にルーイッドは呆れつつも、水の勇者の前まで駆け寄って頭を下げる。


「すみません、レイラ様。アルエッタが変なことをして」


「ぐえ」


 有無を言わさずにアルエッタを握り捕らえたルーイッドに、レイラは少し困り気な顔をする。


「これくらい別に構いませんよ。小さくて可愛いですし」


「ヤバいよ、ルーイッド。この人、普通にあたしのこと褒めてくれる!」


「レイラ様、あんまりアルエッタを甘やかさないでください。見ての通り、すぐ調子に乗り出すので」


「ふふ、ルーイッドにそう言わせるということなら、余程ということなんですね」


「……。レイラ様の中での僕って、どういう評価になってるんですか?」


 まるで自分が問題児だったかのように扱われ、ルーイッドは不服そうにした。しかし事実として、昔のレイラから見た彼は十分に問題児だった。完全に忘れて棚に上げている賢者教え子に、水の勇者は過去を振り返りながら答える。


「あなたは型破りなことが好きでしたからね。決まり事や約束事があっても、必ず裏をかこうとしてきますし」


「でしたっけ?」


「え、もしかして面白い話? ――ぐぇ」


 さっそく食いついてきたアルエッタは即座に締め上げて黙らせる。嫌な予感を感じたルーイッドは暴露話になる前に話題を切り替えた。


「――それにしても、思っていた以上に歩きますよね。最初は、頂上を目指しているわけじゃないから、そこまで遠くないと思っていたんですが」


「私たちが勇者や賢者が召喚されるよりも昔は、この山岳地帯そのものが一つの国だったらしいですね。エルジャーから聞いた話なので、私も詳しくは知りませんが」


「エルジャー、……炎の勇者からですか」


 ルーイッドは自然と腰の鞘に触れていた。この剣も元は炎の勇者の所有物。会ったこともないはずなのに、縁を感じずにはいられなかった。


 創造主からは世界を滅亡させかけた勇者と評価され、人々からも多くを燃やし尽くした凶悪な魔王と恐れられる。だが、クラダイゴからもヨリミエラからも、そしてレイラからも語られる炎の勇者の姿は、世間と明らかに乖離していた。


 炎の剣を携えさせてもらっているルーイッドもまた、その剣から流れる力の温もりを感じている。いつの間にか、かの勇者に親近感を抱いていることに自分で気づいていた。


「レイラ様、炎の勇者はどういう人だったんですか?」


「………………」


 気付けば尋ねていた問いに対して、レイラはただ静かに沈黙で返答する。それからゆっくりと岩から腰を上げる。


「そろそろ休憩を終えましょうか。死骸に反応した空の魔物たちが降りてくるかもしれませんから」


 避けるように会話が切られ、ルーイッドは顔を強張らせた。その反応を知ってか、レイラは隠しているわけではないと補足する。


「エルジャーのことはまた後で話します。きっと、ここで語り尽くせる内容じゃないですので……」


 そう言って、水の勇者は傾斜のある山道のほうへと歩き出す。休憩を終えたルーイッドも少し当惑しながら、それでも彼女が進む方へと付いていく。北の山脈はまだまだ続く。その内に話してくれるだろうとルーイッドは思うことにした。

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