第66話 賢者は王都に帰還する

 異変に気づいたルーイッドたちが王都に戻ったときには、既に三日ほどが経っていた。騒がしく車輪を回転させて、屋根を天幕で張った馬車が白い街並みの中に入る。


 建物を修復する兵士たちが過ぎていく。街道にはいくつもの穴が開き、散った石畳の欠片が馬車を揺らす。賢者は壊れた街の様子に歯噛みしながら、暗い面持ちで仲間たちに目を向けた。


「どのみち間に合わないって、ノルソンさんからの伝言にはあったけど、……酷いな」


 道端には壁石の破片が転がり、建物には爆発痕が残っている。兵士たちが交戦したと思われる場所では激しい火の手が上がったのか、周辺全てが黒く焦げていた。倒壊した建物もあった。


「確かに酷えな。まぁ、状況を見る限り、王都が魔物に占拠される事態にはならなかっただけマシだ」


「バリエラ様とニャアイコに連絡が付かないのが気になりますけど……」


 手綱を握って馬車を御するクラダイゴや、周囲の様子を見ていたサユイカも被害を受けた建物を見て、それぞれに衝撃を受けているようだった。街の惨状に目を凝らしつつ、今後のことについて話し合っている。


 その一方で、竜の勇者アオ妖精アルエッタは目を閉じて眠っている。昼夜を問わない移動の間、特に夜間の警戒を二人は続けてくれていた。王都の近くまで来たことで緊張が解けたのか、今はすっかり寝入ってしまっている。


 そして、行きと違って今回は同行者がもう一人いた。


「――レイラ様、気分でも悪いんですか?」


 親衛隊の二人との話し合いがひとしきりまとまったところで、ルーイッドは虚空を眺める水の勇者に声を掛ける。一拍遅れて、レイラは不思議そうな表情を賢者のほうへ向けた。


「…………ん? ええ、大丈夫」


 一度、ルーイッドに笑みかけて、また水の勇者は元の場所に視線を戻す。王都に戻ると決めてから、ずっと彼女はこの調子だった。


 支配されていた状態だったとはいえ、彼女は間違いなくルーイッドたちに剣を向けた。ルーイッドを含め、エベラネクトに同行した全員、そのことについてはもう気にしていないのだが、彼女自身には納得しきれていないことがあるのかもしれなかった。


「――やはり、何か声を掛けたほうがいいですよね」


 小声でクラダイゴに相談を持ち掛けると、彼は『どうだろうな』と軽く答えた。


「どうせ、ミエラの奴に合わせる顔がねえってだけだ。俺が兵士団で教官やってた頃も、よくあんな湿気た面で勇者をしてたからな」


「聞こえていますよ、クラダイゴさん。……その通りで悪かったですね」


 以前の旅の仲間に悪く言われたのが刺さったのか、水の勇者が目元をやや険しくさせる。やや棘を含んだ言い方で返した。


「ルーイッドから聞いただけでも、私が放浪している間に、様々なことが起こっていたみたいでしたから」


「なら、しばらく絞ってもらえ。誰も見てないところで胃くらい痛めてそうだからな、あいつは。坊主たちのおかげで、少しはマシだろうが」


「……承知してますよ、それくらい。私のせいで負担を掛けたことは間違いないので」


 少し重たげに息をつくとレイラは再び口を閉ざした。クラダイゴからも、それ以上は話しかけることはなかった。ルーイッドも察して、わざわざ口を開かないことにして外を眺める。城にはもうすぐ着きそうだった。


 馬車の中でしばらく揺らされ、やがて賢者たちは城門の前まで到着する。


 駆けつけた衛兵たちが敬礼して門を開いた。城内でも戦闘があったのか、いたるところに傷跡が見受けられた。衛兵たちに事情を聞けば、巨大な魔物が城壁を攻撃していたという。触れることで何でも吸収する性質を持った魔物だったらしく、城壁の石材がヤスリで削り取ったように薄くなってしまっていた。


 実際、城内にいた兵を総動員しても止めることすら叶わなかったそうだ。バリエラが救援に来てくれたから事無きを得たそうだが、ほんの少しでも来るのが遅ければ確実に破られていたのではと思うほど、城壁は薄板と間違えるくらい削られてしまっていた。


 そこまでルーイッドは聞いたとき、衛兵たちは重々しい口調で賢者たちに報告した。バリエラがその魔物に拉致されたという話を。



 ◇ ◇ ◇



「おかえりなさい。ひとまず腰をかけましょう。疲れているでしょ」


 開口して一言目、会議室の扉を開けた賢者たちを迎えたのは、兵士団と同じ青制服に袖を通したヨリミエラの姿だった。胸には最高階級の勲章が輝いている。


「ただいま戻りました、陛下」


 一番先頭に入ったルーイッドが頭を下げてから入室する。それから親衛隊、竜の勇者、妖精と続く。そして最後、入室したレイラがヨリミエラと目を合わせて、少し気まずそうに視線をずらそうとする。


「おかえりなさい、レイラ。髪は染めたのかしら? ずいぶん短く切ったみたいね」


「そうですね、放浪するには丁度よかったんです」


 見逃がさぬとばかりに声を掛けられて、水の勇者はぎこちなく微笑んだ。レイラは元の水色の長い髪を、黒染めにして、ばっさりと短くしている。当たり前だが、その程度の変装で付き合いの長い者を騙すのは不可能だった。


「心配かけて、すみませんでした、ミエラ」


「その件は後で話しましょう。今すぐ共有しなければならないことも多いことだし……」


 囲むように長机を長方形に並べて、各々が席へと座る。そして改めて、エベラネクトにいた者と自分以外しかいないことを確認したヨリミエラは、ゆっくりと口を開いた。


「事態は急を要するわ。結界の管理者でもあるバリエラちゃんがさらわれてしまったの。何人かは既に聞かされているんじゃないかしら?」


 ルーイッドはただ頷いた。最初に、衛兵たちから聞かされたときの衝撃はもうないが、改めて知らされると、本当に事実なのだという落胆が胸を重くさせた。サユイカ、クラダイゴも表情を厳しくさせている。切り替わったばかりの竜の勇者ミドや、少し前に起きたばかりの妖精アルエッタは初耳の情報だったのか、目を見開いていた。


「……最悪ですね。よりによってバリエラが、ですか」


 状況の悪さを再認識するようにレイラが呟く。ヨリミエラもよく分かっているので大きく頷いた。


「これについては完全に私の落ち度よ。城が攻められたとき、バリエラちゃんに状況を見て来るように頼んだのは私。早計だったと今は思うわ」


 ヨリミエラが言うには、城を襲撃していた巨大な黒い化け物は、バリエラを取り込むと姿を変異させ、空を飛んで王都から消えたらしい。他の黒い魔物たちもほぼ同時に退散を始めたらしく、最初から狙いがバリエラだったことには間違いないとのことだった。


「…………多分ですが、バリエラなら捕まると知っていたとしても、じっとできずに向かったと思います。陛下が気に病む必要はありません」


 バリエラの性格を思い出しながら、ルーイッドは首を横に振る。元々、調査のせいで王都には、たいして戦力を残していなかったのだ。ヨリミエラの判断は責められない。


「……それで、街全体の被害はどのくらいですか?」


「ああ見えて、建物への被害は意外と小さかったわ。ほとんどの建物は半壊もしていないんじゃないかしら。ただ、冒険者組合関係の建物が倒壊してしまってるわね。これも狙ってされたんだとしたら、今回の相手は相当厄介ってことよ」


「……おい、ミエラ」


 回答中のヨリミエラに、クラダイゴが口を挟む。陛下は少しだけ不機嫌そうな表情を向けた。


「話の腰を折らないでください、クラダイゴ。それに今日の私は一度も、無礼講とは言っていませんよ」


「そうか、悪かったな。それで訊くが、親衛隊員で王都の守備に置いていた奴が連絡つかなくなっている。何か報告は受けてねえか?」


「……間が悪い人ね。その話を今しようとしたところだったのよ」


 ヨリミエラは軽く溜息をついて、どこからか用意したのか、水晶玉を机の上に置いた。それが魔道具だということは、ルーイッドもすぐ気がついた。


「残念だけど、兵士や冒険者には死傷者がかなり出てたわ。……そして、行方不明者も」


 四方を囲む机の中央に、水晶を魔法で移動させてヨリミエラは魔道具を起動させる。透明な球から上へと光が伸び、荒い映像が賢者たちに囲まれるように出現した。


 映し出されていたのは、五体の黒い人影たちに対して奮戦するニャアイコの姿。だが、力及ばず気を失った彼女は、黒い人影の内の一人によって担がれて、どこかへと消えて行った。


「兵士団の何人かが索敵魔法や遠見魔法で、捉えていた映像の一つよ。おそらくだけど、他にも連れ去られている人がいるみたいなのよ」


「なるほどな。……まあ、死んでねえだけマシか。賢者の嬢ちゃん含めて救出しねえといけねえな」


「しかし、参りましたね。こんな事態があった以上、全戦力を向かわせるのは流石に……」


 一度、終わって再び最初から流れ出す映像を目にしながら、親衛隊の隊長であるサユイカも苦々し気に表情を歪ませる。救助に行きたいのは山々だが、もしもの襲撃に対しても備えなければならない。絶対に戦力を残しておく必要があった。


「とりあえず、各地に散らせていた親衛隊員は王都に集合させます。ですが、それを待っている時間は……」


「ないであろう。それならば、私が先に出て救出しに行っても良いが、奴らの行き先が分からぬ以上、どうしようもないのである」


 竜の勇者ミドが両腕を交差させて表情を曇らせる。確かに勇者ならば、救助に行かせるとしても問題はないが、あくまでも敵の本拠地が分かっていないことには、そもそも行きようがない。


「打つ手なしか……」


 会議は瞬く間に重い沈黙で包まれる。しかし、ここでレイラが突然、手を挙げる。彼女の一言で沈んだ空気は打ち破られることになった。


「…………。場所なら分かるかもしれません」


 ルーイッドも含め、場の全員が水の勇者に視線を向けた。ヨリミエラですら唖然とレイラのほうを凝視していた。


「ちょっと待って、レイラ。どういうことなの? 兵士団の監視網ですら突き止められなかったのに、どうして」


 驚愕するヨリミエラに対して、別に特別なことじゃないとレイラは首を振った。むしろ、今まで黙っていたことを申し訳なさそうに謝罪する。


「ごめんなさい、ミエラ。それにルーイッド、クラダイゴ、それから他の皆さんも。本来であれば、真っ先に伝えることでした。……私は、黒い魔物たちの操り主がどこにいるか知ってます」


 数人が息を呑み、何人かは訊き間違いではないかとでも言いたげに目を瞬かせた。ルーイッドもまた驚愕したが、同時に納得もする。むしろ、今まで何故思い当らなかったのか不思議なくらいだった。


「そうか……。レイラ様も操られていたからですね。黒い魔物たちにあるじがいるなら、指示や命令もそのときに……」


「そういうことだったのね、レイラ」


 推測は正しいと言うように、レイラは首を縦に振った。水の勇者が敵の居場所を知っているというのならば、話は実に簡単になる。バリエラや攫われた人たちも同じ場所にいるので救出しに行けばいい。ようやく闇に光明が差してきた。


「なら、さっそく兵士たちから何人かを選定して救助隊を送り込みましょう。ミドやレイラ様に同行してもらえば、戦力的にも問題はないはずです」


「………………」


 水の勇者が首を横に振る。何故、即座に却下されたのか分からず、ルーイッドは眉を顰めた。だが、諭すようにレイラは答えた。


「兵士は送り込めません。今、魔物たちがいるのは大結界の外側。大陸の中央を越えた先にあるに本拠地があります。黒い魔物たちは皆、そこを目指して移動しているはずです」


「魔領か。そいつが事実なら、確かに並みの兵士じゃ歯が立たねえな」


 クラダイゴが納得するように頷いた。かつて炎の勇者と魔王討伐したことがある彼は、その地の過酷さをよく知っていた。


「……もし魔領に入るんだったら、仮に救助ができても戻ってこれる余裕はねえ。それこそ、魔王を討伐しねえ限りはな」


「そんな危険地帯なんですか? 魔領は」


 ルーイッドが尋ねるとクラダイゴは大きく首を縦に振った。


「一応、聞いておくが、……レイラ、お前もあの地の魔物の強さは知っているな」


 話を振られた水の勇者は『ええ、知ってます』と答える。北の山脈を越えてくる魔物たちを相手にしたこともある彼女に、今さら問うまでもないことだった。


「魔物は歳月が経つほど強くなる。魔領っていうのはいわば、一切討伐されずに力を蓄え続けた魔物たちの棲み処だ。これまでにない危険地帯だと思ったほうがいい」


 どうするべきか、とクラダイゴが腕を組み、ヨリミエラのほうへ問うように視線を向ける。陛下である彼女は、静かに全員の顔を見て、それから口を開いた。


「救助に行かないのは最悪手になるでしょうね。バリエラちゃんを失えば、大結界を喪失することになる。国を窮地に晒すわけにはいけません」


 そして、ヨリミエラは結論を出すように全員に告げた。


「この中からバリエラちゃんの救助及び魔王討伐へ行く人員を選定しましょう。永きにわたる勇者と魔王との戦いに終止符をうつためにもね」


「……ミエラ」


 ヨリミエラは最後にレイラと視線を合わせていた。最後の言葉は、間違いなく水の勇者に向けて放たれていたものだった。


「レイラ、もう逃げちゃだめよ。あなたが戦いを望まないことはよく知っている。でも、魔王討伐から目を背けることは、あの人もきっと望んでいないことでしょうから」


「……分かってます。まだ迷いは残ってますが、今はあの人のことで戦う理由が一つありますから」


「そう、信じるわ」


 小さく笑みを溢して、ヨリミエラは会議の一時終了を宣言する。しかし、それが魔王討伐の始まりでもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る