急章 魔領進撃編

1.黒い魔物の罠

第65話 奇襲に賢者は応戦する

 時間はさかのぼり、明け方の白い空が王都シャフレの上に広がっていた。薄明に包まれた白い街並みには普段であれば、人の行き交う姿はない。目覚めた人々が少しずつ現れる静寂な時間。だが、今日に限って街は喧騒が飛び交っていた。


 兵士団が動員され、街中を駆けまわる。一部の建物には火の手が上がり、各所から黒煙が空へと伸びていた。そして、街道へと伸びていく黒い群れ。王都シャフレは大量の黒い魔物に襲撃されていた。


「どないしますぅ? 親衛隊も私しか残っておらんし、正直な話、人手不足すぎて、どないしようもありませんのやけど……」


『……みんな、調査のために出払っているのが痛いわね』


 通信魔法ごしに、濃緑髪の親衛隊員がバリエラに相談をしていた。白制服の上から黒いローブを羽織ったニャアイコは地上で交戦する兵士団と違い、浮遊するように空を渡り歩いて街全体の戦況を把握している。重力魔法に長けた彼女だからこそ、兵士団と黒い魔物たちの戦いに巻き込まれずにいるのだった。


 黒い魔物は個別で見れば、たいした強さではない。それこそ親衛隊を投入すれば、賢者が出向くことすらなく、事態を終息できるだろう。だが、肝心の親衛隊のメンバーは、例の冒険者たちの失踪事件を追って、国中に散らばってしまっていた。ルーイッドたちに至っては言うまでもない。


「王都に例の魔物がこんだけもまぁ、ぞろぞろと残っとるなんて思いませんでしたわぁ。最近、ここらで失踪報告なんて出とらんかったですし」


 誰もいない白い大通りを我が物のように駆ける黒い魔物たち。その様子に視線を向けたニャアイコは、浮遊したまま制服の袖裏から細長い紫針を一本取り出す。ペンほどの大きさのそれを彼女は魔物の群れへ投擲した。


 地面に刺さった針から大きな魔法陣が展開される。そして、その範囲内にいた魔物たちは突如、大きな力に押し潰されるように形を崩す。


「ほんま多すぎや。せっかく貯めとった魔針はりが、あっという間に無くなってしまいますやん」


『今更、何を言っても仕方ないわよ。……それで、救援は呼べたの?』


「てんでダメです。さっきからいろんな場所で、隊長や他の仲間たちに通信魔法を飛ばしとりますのやけど、誰とも繋がりません。何かに邪魔されとる感じです」


『なんとか原因を見つけ出して。こっちはこっちで手が空かないから』


「了解です」


 ぷつんと通信が切れる。王都の中にいる者同士なら連絡は可能だったが、王都の外にいる者との連絡は叶わない。王都の内と外で見えない壁が張られているかのようだった。


 妨害結界が張られた可能性も探ったが、そもそも黒い魔物たちにこれほど大掛かりな結界を張ることなどできるのだろうか。賢者でさえ街を覆うほどの結界ともなれば、特大の結び石を欠いてはできないと聞いている。


「…………ほんま、どないしようかねぇ。……手掛かりがあるとしたら、さっきからこっちをジロジロ見とる怪しい人影が一つ」


 体を宙に浮かせたまま、ニャアイコは紫針を両手に三本ずつ指と指の間に挟んだ。白い街で黒い魔物たちの姿は、暗がりにでもいない限り非常に目立つ。しかし、彼女の視線は通りのほうへは向かず、白い街並みのほうへと向けられていた。


 至る場所で黒煙が上がる街。おそらく被害は建物内にも出ているに違いない。商業組合や冒険者組合の建物も襲撃を受けたのか、荒らされた様子が外からでも窺える。最も高い建物である時計塔にもボヤ騒ぎが起きているようだった。


 流すように周囲を一瞥したニャアイコは、ふと首を傾げた。その瞬間、彼女の頭があった場所を透明な一本の矢が通り過ぎる。お返しとばかりにニャアイコは時計塔の鐘に向けて、紫針を投擲する。壁に刺さった針からは魔法陣が展開され、塔の上部を一瞬で覆い尽くす。しかし、それよりも早く人影が飛び出して、隣の建物の屋根へと乗り移る。


「魔法で具現化させた矢。魔法士タイプの冒険者やねぇ。魔物以外にも敵がいるって情報が流れとったけど、冒険者がどうして邪魔するんかなぁ?」


 姿を現した冒険者風の男に対して、空中移動したニャアイコは頭上を取った。詠唱し出しす男に、すかさずニャアイコは詠唱省略した重力魔法を発生させる。引力を発生させて強制的に相手を宙に縫い止める魔法だった。


 魔力の渦は確実に男を捕らえて、身動きのできない空中へと引き摺り上げる。そして、横顔をぶっ叩き、詠唱中の魔法を強引に中断させた。


「とりあえず、目的を吐いてもらわんとねぇ。そもそも、あんたら何者なん? …………? そういえば、あんたの顔、どっかで見たような気が?」


「………、――ォ」


「は?」


「――ウォオオオオオオオオッ!」


 突如、獣めいた呻き声を上げた男に対して、ニャアイコは思わず後ずさる。流石に意思疎通ができないとは思っていなかった。


「え、ちょ? ……あかん、バリエラ様に連絡せんと」


 何かに気づいたニャアイコは、通信魔法をバリエラに飛ばそうとした。しかし、時すでに遅く、男から発された黒い波動に魔法は粉砕される。


 同時に男の顔や腕に黒い斑点ができ、瞬く間に皮膚を真っ黒に塗り潰していく。手指や耳の先端は刃物のように尖り、目は充血したかのように紅く染まる。


 重力魔法からも解き放たれて建物の屋根に落下するも、その場で着地してニャアイコに視線を向ける。それから奇妙な声をあげて、鋭利な爪を振り回して跳躍する。


「――舐めとるんちゃうで!」


 ニャアイコは残りの針を投擲し、その内の一本を冒険者の額にめり込ませる。そこから展開された魔法陣が、地に刺さった針から展開される魔法陣と共鳴して、黒に染まった冒険者を強引に地上へ引き戻した。


 再び黒い波動を放とうとする男に対して、ニャアイコは先手を打って詠唱する。


「我はいんせきを信じし者! 世界に宿っとる力よ、目覚めい! 彼の者を永遠とわの牢獄に閉ざしてまえっ!」


 ニャアイコの手元から重力の球が放たれて、男を黒い球の内側に取り込む。変動し続ける強力な力場が、魔物と化した男を潰して引き千切って圧縮する。事実上の敵の消滅を確認したニャアイコは、魔法を解除して重力の球を消した。


「……ほんまに何やったん、今の」


 突然変異した男の冒険者。まるで自我など持っていないように暴れ出し、魔物のように襲いかかってきた。さらに気がかりはもう一つある。これ関してはバリエラへの報告事項でもあった。


 襲ってきた冒険者の顔にニャアイコは見覚えがあると思った。それも当然の話で、ニャアイコもバリエラも最近その顔を見ている。


「……ほんま、なんで行方不明届の出とった冒険者が……って!?」


 嫌な気配を察知したニャアイコは空中で周りを一瞥する。先程の男のように、全身が黒化した冒険者が五人ほど皆、ニャアイコのほうに視線を向けていた


「……いや、流石に無理やって。複数いっぺんに来られるのは」



 ◇ ◇ ◇



 一方のバリエラも王城内で忙しなく動いていた。城には文官や使用人など非戦闘員が少なくない。襲撃の開始が深夜だったこともあり、衛兵が最小限しかいなかったのが完全に対処の遅れへと繋がった。今現在、城内の魔物を駆逐できる者はバリエラくらいしかいない。


 いや、戦力となる人物はもう一人いる。一階と二階の非戦闘員を避難させ終えたバリエラは三階へと階段を駆け上がった。案の定、この階も黒い魔物たちの姿はある。だが、その魔物たちは凍らされるか砕かれるかして全て絶命していた。


 ゆったりしたブラウスとスカート姿の陛下ヨリミエラが、氷漬けの廊下に立っている。


「あら、遅かったじゃない、バリエラちゃん。上階のほうはだいたい奪還したわよ」


「ミエラ様、ご無事でしたか……」


「ええ、……ちょっと待ってね」


 一瞬、廊下の床が揺らめき、何もいなかった場所から獣のような黒い魔物が飛び出す。だが、ヨリミエラは平静を崩さず真横から杖で魔物を殴打し、追撃で展開させた魔法陣から氷の槍を放った。


 少し邪魔が入ってしまったわね、とあっさりと魔物を斃したヨリミエラは改めてバリエラのほうを向く。仮にも勇者と旅を共にした魔法士でもある彼女が非力なはずがなかった。


「バリエラちゃんも気をつけてね。派手に暴れ回る魔物が目立つけど、潜伏しているのも一定数はいるみたい。一度、駆逐した場所ももう一度、洗い直してもいいかもしれないわ」


「……よく気づけましたね。私でも浄化の奇跡を併用しないと看破できないのに」


「そこまで驚くことはないわ。レイラと旅をしていた頃に、潜伏する敵とは何度も戦ってるのよ。私の勘もまだまだ衰えてないみたいね」


「ところで、他の人たちは大丈夫なんですか?」


 訊くとヨリミエラは当然だというように首を縦に振る。


「もちろんよ。けど、安全な場所がないから、とりあえず私の部屋に避難させているわ」


「それなら一階の会議室に移動させてください。私の張った結界が置いてありますので」


 そこまで話した途端に、とてつもない振動がバリエラたちを襲う。城全体が揺らされたかのような強い衝撃に、二人ともにその場に座り込んで、ひとまず難をしのぐしかなかった。


 揺れが収まってからヨリミエラが口を開く。


「……反対側のほうね、音がしたのは。外側から何かが攻撃でも受けたのかしら」


「それなら私が行きます。陛下はさっき言った場所に、戦えない人たちを避難させてください。それに、さっきの揺れで怪我人が出たかもしれません」


「確かに、私も治癒魔法は得意だけど、あなたのほうが治療は適任じゃないかしら?」


「外に何がいるか分かりません。だったら賢者の私が行ったほうがいいと思います」


「……そうね。お願いするわ。気を付けなさい」


 少し心配そうな顔をしながらもヨリミエラに対して、バリエラは首を縦に振る。それからは脇目も振らずに衝撃があった場所へ駆けた。


 強い衝撃音がしたほうへと向かうにつれて、戦う兵士たちの声々がしだいに大きくなっていく。案の定だが、外で兵士団が何かと交戦しているらしかった。自身に風魔法で加護を付けたバリエラは天井のない外廊下へと出て、そのまま地上へ飛び降りる。


 バリエラは思わず目を見開いた。周囲の建物と比べてもはるかに高い城壁に、巨大な黒い何かが身体をもたれかけている。


 蛞蝓なめくじのような軟体の全身を反り立たせ、頭部だけは下にいる者を見下すように垂れていた。肢体と呼べるものがない代わりに、背中には長い毛のようなものが生えており、周囲を探るように絶えずうごめき続ける。


 青制服の兵士たちが対処しようと出動しているが、魔法による砲撃も刀剣による斬りこみも意味を成していない。その黒い表面に触れたものは何であれ、体内へと吸い込まれていた。城壁の一部も削り取られているらしく、断片が流れていくのが見える。


「――我は破邪を信じる者、世界に宿りし力よ、目覚めろ」


 突然、上から降ってきたバリエラに交戦中の兵士たちから驚きの声が上がる。しかし、バリエラは気を留めることなく敵を見定めるや、即座に消滅魔法の文言を唱える。極限まで威力を高めるために詠唱は省略しない。


 更に、灰色の魔人との戦いでの経験から、同時に浄化の奇跡も上乗せする。白い光が結界の賢者の全身から溢れだした。


「――邪悪に光の裁きを下せ!」


 詠唱の終わりと共に、消滅の閃光がバリエラの展開する魔法陣から放たれた。真っ直ぐ伸びた純白の奔流が、黒い軟体生物の頭部を的確に捉え、跡形もなく吹き飛ばす。だが、無情にも黒い巨躯は、一瞬だけ震えただけですぐさまに頭部を再生させた。


 ある程度予想はしていたものの、厄介な能力にバリエラは眉をひそめる。再生そのものを止める手立てはない。だが、……。


「……その手の敵とは既にやりあってるのよ!」


 浄化の奇跡を発動させたまま、バリエラは炎の魔法を詠唱しようとする。再生よりも早く燃やし尽くせば問題はない。灰色の魔人のように不可思議な力で守られていたとしても、浄化の奇跡があれば無効化できる。


「我は滅却の炎を信じし――、……?」


 ふと気づいて、バリエラは詠唱を中断する。今まで城壁のほうに向けられていた黒い軟体生物の頭部が、自分のほうへ向けられていた。明確に眼と呼べるものがないにもかかわらず、この瞬間、バリエラは黒い生物と視線が合ったような気がした。


 ――黒い生物の頭部がぐにゃりと変形し、結界の賢者に向けて放たれる。


「っ!?」


 咄嗟にバリエラは自分の周囲に結界を張る。だが、黒い液体が障壁全体に貼りついていき、周囲の視界を真っ黒に潰していく。それでも結界は壊れていない。壊れていないのにもかかわらず、賢者は異様な浮遊感を身に感じた。


(――まさか)


 結界を地面から剥がされそうとする力が働いていた。上へと吸いこむ力が半球の結界上部を引っ張るように変形させている。バリエラも対抗するように地に縫い止めているが、明らかに相手のほうが力は大きかった。


 結界が剥がれる寸前で、バリエラは結界を拡大させて足元も障壁で覆う。結果的に球体となった結界は、賢者を内部に入れたまま、黒い生物の体内へと引きずり込まれていった。


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