第62話 賢者は勇者の剣を振るう

 啖呵を切ったルーイッドは真剣な表情で勇者に剣を向けていた。だが、内心では動揺を隠し通そうと必死であった。というのも、めまぐるしく変わる状況に、半分くらい頭が追いついていなかった。


(まさか、ここまで投げ飛ばされるなんて思わなかった……)


 つい数分前の話だった。索敵魔法でノルソンとレイラの交戦を知ったことで、ルーイッドたちはすぐさま移動を開始した。だが、人の足で森を駆け抜けるのは楽ではない。魔物たちと遭遇することもあり、余計な足止めを何度もくらっていた。


 焦りを募らせる一行に、突然メキが自分に任せてほしいと提案をしてきたのが全ての始まりだった。言葉をそのまま信じて了解すると、メキはルーイッドを担ぎ上げ、問答無用で勢いよく助走をつけて、戦場に向けて一気に投げ飛ばしたのだった。


 当然、心の準備も何もない。見た目以上に怪力な魔導人形の勇者だから可能な芸当なのだろうが、下手をすれば、凄惨な事故を迎えて、ルーイッドの人生が終わるところであった。防御魔法を使えて良かったと彼は心の底から思う。


 ちなみに、彼のポケットにいたアルエッタは、現在も目を回している。作戦の用意も何もできた状態でない。だが、水の勇者の目の前に現れてしまった以上、戦わないという選択肢をとるわけにもいかないので、内心で心臓を震わせていた。


「それでは、――」


 ルーイッドは相手の戦い方を予想する。黒ドレスの水の勇者はゆっくりと剣を振り上げていた。濃縮されていた黒い水が、その手から溢れだしているかのように、黒い剣先から噴き上がっている。


 その黒い水滴が地に降り注がれようとする間際、身体強化を自らに施したルーイッドは魔力を解放する。


「――行きますっ!」


 ひとまず剣は使わずに、詠唱を省略した氷結魔法を発動させる。満たされた冷気が黒い水を瞬く間に凍てつかせる。更に深まる冷気は、勇者の体すらも凍てつかせようと氷へと姿を変えていった。


 水の勇者を倒すことが目的ではない。狙いは拘束と無力化。元の勇者へと戻すためにも、ルーイッドは彼女を捕らえる必要があった。


「…………」


 氷に囲まれつつあった勇者は、焦りすら浮かべずに、ただの一度だけ黒い剣で周囲を薙ぐ。それだけで容易く氷は粉砕され、冷気は急に熱気へと変化する。黒い水が炎となって、氷結魔法を打ち砕いた。


「炎の力――?!」


 索敵魔法で戦いが起きたのを知ったが、ルーイッドはどのような戦いが行われていたかまで確認できているわけではない。通常の水の勇者の戦い方を知っているからこそ、彼は水の力のほうに気を取られていた。


「気をつけろ、ルーイッド君。あの姿になってからの水の勇者が、本来の水の力を使っているところを俺は見ていない」


「そういえば、そうでしたね――っ!」


 黒い姿になったレイラを見たのは一度だけ。自らを燃やす黒い巨人を召喚して襲い掛かった、そのときだけだった。


 後方にいるノルソンからの助言を受けつつ、ルーイッドは渋い顔をする。水が相手なら氷結させれば、少なくとも阻害は可能と踏んでいた。だが、彼女が水の奇跡を使わないのであれば、こちらも手段を変える必要がある。


(――それなら、感電させるっ!)


 思考の時間は一瞬だった。だが、ルーイッドは眼前に出現したレイラに動揺する。腕に炎をまとわせた貫手ぬきてが賢者の顔に差し迫っていた。ギリギリのところで首を曲げて躱すものの、その火炎が頬の一部を焼き焦がす。


 反撃にルーイッドは左手を突きだして、魔法の雷撃を至近距離で飛び散らせる。気絶狙いの雷光は確かにレイラの胸を直撃したが、勇者は怯みすらせずに、二度目の貫手を賢者へ向ける。


「――っ!」


 近接戦では敵わないと悟る。ひとまず、距離を取るために後方へ下がろうとするが、黒い勇者が速さを見せつけるように間合いを詰めてきた。斬撃の範囲内にれたルーイッドを黒い剣で襲う。


 目の前を黒い一閃が過ぎ去った。強引に身体を倒したことで、紙一重で黒い剣は避けれたものの、賢者はバランスを崩して後ろ転がった。それと同時に、打ちつけるような鈍い音が耳まで届く。


 顔を上げるとノルソンの後姿があった。賢者と交差するように背後から乱入した彼は、レイラに渾身の拳を放っていた。


「威勢よく出た割には、手助けが必要みたいじゃないか」


 殴り飛ばした勇者を遠目にしつつ、ノルソンは賢者へ声を掛けてきた。


「……ノルソンさん」


「分かっている。まだ、俺のターンじゃない。君の気が済むまで頑張るといい。……ところで、その剣は飾りかい? 見たところ、強い力が込められているみたいだが?」


「…………そうですね」


 戦いの最初から、ずっと握りしめていた炎の勇者の長剣にルーイッドは目を向けた。ほぼ勢いに任せて抜き放ったのはいいものの、いざとなってみれば使いこなせる気がしてこなかった。


 クラダイゴは賢者である自分なら問題ないとは言ってくれたが、相手に剣を向けようとするときになって、この力を制御しきれる自信がない。戦いには勝たなければならない。だが、同時に水の勇者の命を奪ってもならない。


 そんな状況で、未知に近い力に頼るのは危険すぎる気もする。しかし、同時に今の水の勇者に対抗するには、この剣の力を借りるしかないという予感もあった。


「……ノルソンさんから見て、この剣はどう見えます?」


 そう言うと、ノルソンは剣に目を移す。彼の瞳孔がほんの一瞬、内側で回るように動いたように感じた。


「俺の測定が正しければ、あの勇者が操る炎よりも強い力を秘めているな。それだけでも十分、戦いに勝てる可能性はある。だが、加減できる相手じゃない。命を奪う可能性もあるだろう」


「…………そうですか」


「どのみち君が失敗すれば、俺が彼女を仕留める。君には二択が与えられている。今この場で全力を尽くして戦うか、諦めて戦いを俺に譲るか、だ」


 遠くで水の勇者が起き上がったのが見えた。彼女は黒い水の剣を逆手にもち、その剣先を地面へと向ける。ルーイッドはあの構えに見覚えがあった。


 元のレイラは多数の強敵を滅ぼす際に、大洪水を生み出して、激流の中に敵を呑みこんできた。そのときと同じ予備動作を、まさに今の彼女がしている。


 空でも飛べない限り、回避はほぼ不可能。仮に飛べても、水上から跳躍する彼女の剣技から逃れる保証はない。そうでなくとも長期戦になれば、魔力の使用に限界があるルーイッドは窮地に立たされることになる。


「……やらせてください。それと、さらに後ろのほうへ下がっていてもらえますか」


 間もなく、言葉どおりの火の海が生まれることになるだろう。その程度、ノルソンには問題ないのかもしれないが、避難は勧めておいた。


 深く呼吸をしたルーイッドは、強化の奇跡が未だ全身に染みわたっていることを確認する。それから抜き身のままの赤い剣を、遠くにいる黒い勇者へ向けて静かに構える。身をやや屈めて、突進のための姿勢を取った。


「そうか。なら、まだしばらくは君に任せよう」


 何かを勘付いたようにノルソンが退避する。その声も足音も、賢者の耳には届いていない。


 戦いを決意した命を奪う覚悟をしたルーイッドは、心の内で対話するように赤い剣に集中を込める。


「顔も見たこともない先輩ですが、エルジャーさん、力をお借ります」


 赤い輝きと呼応するかのように、周囲から熱が湧き上がる。賢者の体もまた、自らの奇跡の力で光り輝いていた。赤い剣に秘められた炎の勇者の奇跡が、ルーイッドの強化の奇跡と交わり、新たな光を生みだす。


 一方の黒い姿のレイラは、地に黒い剣を突き刺して、大地から黒い大津波を発生させる。空気と触れて燃焼する巨大な壁が、賢者たちへ雪崩れ込んできた。


 降りかかる炎を前でもルーイッドは構えを解かず、ついに炎の波に焼かれて潰される。


 ――はずであった。


 業火の海の中で、ルーイッドはまだ自意識があることを確信する。紅一色の視界の中で、炎に全身を焼かれもしなければ、灼熱の空気に意識を奪われることもない。


 まるで、赤い剣の持ち主を傷つけることを拒んでいるかのように、炎たちがルーイッドを避けている。炎の勇者の剣が秘める能力を確信して、灼熱の中にいる賢者は呟いた。


「……火はもう効きませんよ、レイラ様」


 突如、業火の海が二つに裂かれる。同時に、赤い剣先を見せつけたルーイッドが、炎の大津波を引き起こしたレイラの眼前に出現した。


 胸元を抉らんとする刺突を、レイラは黒い水の障壁を生み出して強引に受け止める。だが、守るはずの壁が脈絡もなく崩壊を引き起こす。


「――??!」


 黒ドレスの勇者の顔に動揺が走る。そして、壁を貫通してきた賢者の刺突を紙一重で避けた。


 だが、彼女は気付く。避けきれなかったドレス部分が容易く切り裂かれたことに。形態や性質を変化させたことで、鋼鉄以上の硬さを誇る黒い水の装甲が、あっけなく破られてしまっていた。


 黒ドレスの勇者は、――正確には彼女を操る者は、とある事実を知らない。賢者が今まさに振るう剣が、かつて炎の勇者が愛用していた長剣が変化したものであることに。そして、彼の奇跡の性質の一部が溶け込んでいることに。


 炎という事象に対する絶対的な干渉権限。神に与えられた奇跡による権能が、堕ちた勇者に対して牙を剥く。


「――許してくれとは言いません」


 今度は向かってきた黒ドレスの勇者に向けて、ルーイッドは身を守るように剣を正面に構える。相手の剣は黒い水を濃縮させ、先ほどの何十倍もの強度を獲得していた。それでも、ルーイッドが握る赤い剣身にぶつかるや否や、徐々にその剣の形を崩していく。


 どれほどの硬度や強度を得ようが、内側から燃えれば意味がない。黒い勇者が生み出す剣はことごとく強制的に燃焼し、一つの形状に留めておくことが困難になっていた。


 最初の戦いとは逆転して、レイラが跳び退き、ルーイッドが追い打ちをかける。距離を離しきれない勇者は否応なく、賢者に剣戟を挑むことになる。


「――だけど、あなたを解放する方法は見つからなかったんです」


 上から袈裟に薙がれた赤い剣身を、勇者が壊れゆく黒い剣で途中まで受け流し、それから回避する。一度、距離を取って切断された剣を復活させたレイラは、質量に物を言わすように剣を巨大化させた。そして、賢者を上から押し潰そうとするも、赤い剣が受け止めたことで、黒い塊は一瞬で燃焼しきる。


 機と捉え、賢者は脚力を更に増幅させて前へと踏み込む。勢いの乗った体当たりで黒い勇者は体勢を突き崩された。尻餅をついたレイラに対して、ルーイッドは炎の勇者の剣を大きく振り上げる。


 もしも、レイラが元の水の勇者であれば、この炎の剣を対処することは容易だった。神に与えられた彼女の力は元を正せば、炎の勇者に対抗するためのものだった。


 だが、今の彼女では、どんなに魔物や巨人を召喚しようとも、全てが黒い水で構成されているが故に、全てを燃やし尽くす剣の前では成す術がない。


「すみません。――あなたを討ちます」


 口から謝罪の言葉を漏らしながら、ルーイッドは炎がきらめく刃を、水の勇者に向けて振り下ろした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る