第63話 賢者は勇者に剣を振り下ろす
「……ルーイッド」
「――っ!」
名前を呼ばれて、ルーイッドは思わず腕を止めていた。正気に戻ったかもしれないという淡い期待が、振り下ろされるはずだった炎の剣を、水の勇者の首横で静止させていた。
だが、黒衣の勇者は黒い短剣を生成する。ルーイッドの反応より早く、鋭利な先端が彼の胸へと刺し込まれた。
(しまっ……)
不意を突かれた賢者は、その凶刃を防ぐことはできなかった。だが、虹色の光がルーイッドの服から飛び出した。
「とりゃあああああ!」
迫力の欠片も感じさせない幼気な声と共に、虹の光がレイラの顔面に激突する。気絶から覚めたアルエッタが勇者に向けて跳び蹴りを放っていたのだった。
凶刃が触れる寸前に放たれた妖精の蹴りは、水の勇者を怯ませて、短剣を手から落とさせることに成功していた。
「…………うう、アッ!? ――ア゛ア!??」
獣のような唸り声が黒衣の勇者から漏れる。彼女の変化に同調するように、周囲に飛び散っていた黒い水も消えていく。あまりにも苦しそうに呻くレイラの姿に、ひたすらルーイッドは困惑していた。
ただの蹴りをくらっただけにしては過剰な反応だった。アルエッタが追い討ちとばかりに飛び回り、水の勇者の周囲を虹の鱗粉で満たしていく。その虹の
◇ ◇ ◇
同時刻、コンソールを連打する音が鳴り響く中で、人形神が口を開く。創造世界の様子を映し出したモニターには、虹の鱗粉を浴びる水の勇者の姿があった。
「いやぁ、忙しいねぇー。妖精ちゃんがいきなりチャンスなんて作っちゃうから、参っちゃうねえ」
妖精から振り落ちる虹の鱗粉、正確には鱗粉から発される光こそが、地上にいる妖精から神たちに向けて放たれる信号であった。神たちは虹の光によってマーキングされたバグに対して、直接的な除去作業を開始していた。
「チャンスはむしろ朗報だろう! それよりも喋っている余裕があるなら手を動かしてくれっ! この分離作業を失敗するわけにはいかない」
「はーいはい」
小うるさい同期の小言を聞き流しつつ、人形神は自分の腕を二本、三本と増やしていく。ただし、一つの手につき指は十本以上にまで分離していた。そのうえキーボードを叩くたびにコキコキという気味悪い音が周囲に反響する。
「気持ち悪いから、それはやめろって前に言っただろ!?」
「えー、せっかく効率いい形にしたのにー。だったら、これならどう?」
増えた多腕が一気に消滅し、人形神の腕は元の二本となる。ただし、その手指はムカデ足を思わせるような百に迫る細かい指によって構成されていた。
「――なんでも異形にするのは何故なんだ、人形!?」
「そのほうが、面白いからだよー」
「…………。先輩たち、二人共うるさいです」
◇ ◇ ◇
まるで、身体に溜まった泥を吐き出しているかのようだった。苦しそうに体を曲げた水の勇者は、口から黒々とした液体を嘔吐し続ける。地面に落ちた黒い水は、意思があるかのように動き回り、この場から逃れようと形を変えながら、のたうち回っていた。
「――レイラ様!?」
気を失って倒れたレイラの元に、ルーイッドは慌てて駆け寄った。病的だった白い肌には赤みが蘇っていた。呼吸も脈拍も正常。今はただ、昏睡しているだけだった。
一方、場に落ちたままの黒い水は宿主との繋がりが絶たれたのを悟ったのか、急に沸き立って人の姿となり、棒のような細い手足を垂らしだす。
「……魔人?」
「本当にそうなのか? 聞いていた話よりも貧相だが……」
見たところ、恐ろしさは微塵にも感じられない。だが、相手が風船のよう全身を膨らまし始めたことで認識を改める。背丈を二倍も三倍も増やして巨体となり、賢者たちめがけて腕を振り下ろそうとする。
しかし、ルーイッドたちが
「――ぶっ飛べっ!」
はるか後方から声がしたかと思いきや、出現した銀髪の少女が魔人の胴体に飛び蹴りを炸裂させる。衝撃は凄まじく、その一撃だけで魔人を転倒させるほどであった。
「ノルソン、大丈夫? あれが敵?」
「あ、ああ。遠慮なく倒してくれていい、メキ」
「分かった」
短い会話を終えたメキは、静かに敵のほうを向く。近くで気絶している水の勇者のことすら気づかない様子で、未だ体勢を立て直せない敵を見据えながら、彼女はゆっくりと歩き出す。
「言っとくけど、容赦はしない」
彼女の両腕から白い光が
その光は存在するだけで、周囲へ影響を与えていた。大気は呑みこまれ、太陽の光すら消されていく。己以外の全てを消滅させる破壊の光は、最初の白から暗い灰色へと、そして漆黒へと色を変化させていく。
「あまり手の内は曝け出してほしくないんだが……」
そんな呟きがノルソンの口から漏れる。次の瞬間にメキは消え、代わりに黒い魔人の裏側から、ずぶりと鈍い音がした。背後に回り込んだメキが手刀で、敵の胴体を刺し貫いたのだと理解するのには数秒かかった。
(だけど、相手には再生能力が……)
そのような予測も目の前の事象が潰し尽くす。漆黒の手刀で貫かれた魔人の体が、傷口から捻じられるように流動し、黒い光に吸い込まれていく。たとえ部分的に再生しようが、それごと吸い込んで、全て消滅し尽くす。
「……ァァ」
顔も口もない姿の魔人が無念そうな声をあげる。そのときには、巨大化していた魔人の体積は半分以上、黒い光にねじりこまれ消滅していた。風穴の中心にある漆黒に染まった勇者の腕を軸に、魔人は内側から滅ぼされていく
「……マダ、オワッテ、イナ、イ…………」
「うるさい」
いつの間にかに、メキの手が魔人の頭に置かれ、断末魔も許さずに頭部を消し去った。黒い魔人の胴体は瓦解し、地面へと崩れ落ちるが、彼女が振るった拳によって、地面ごとその存在を滅ぼされた。どこからか再生した黒い水が噴き出すということはない。
寸刻ほどに渡る静寂。しばらく経っても敵は現れなかった。そして、別働隊として山奥まで潜入していたサユイカたちから、黒い魔物の発生源が勝手に自壊したという報告を受け、賢者はようやく戦いが勝利に終わったのだと気がついた。
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