第56話 賢者たちは魔物に対抗する

 渓谷は黒で塗り潰したかのように、谷間を魔物たちが埋め尽くしていた。人間の大きさの数倍はある大蜥蜴、八本以上の足をもつ大蜘蛛、頭を複数もつ巨大蛇。中には鱗や羽毛やら複数の鳥獣が混成されたような外見の魔物も複数見られた。魑魅魍魎たちは山から流れる川に沿いながら、あたかも兵団のように進む。


 渓谷を流れる川はやがて、エベラネクトの市街へと辿り着くように続いている。果樹園のある山々を通過しないのは幸運だったが、どちらにせよ、およそ三時間も経たないうちに、魔物の群れは街へと到達し、全てを滅ぼそうとするであろう。


 先陣を切るのは小型の魔物群。主にエベラネクトに潜伏していた小蜥蜴たちだが、彼らは仲間同士で体を融合させて、牧羊犬程度の大きさにまでなっている。蟻のように群がりながら、谷間を行軍していた。


 黒い魔物たちの中には、道標である川に身体を付けているものもいた。支流から本流を経て、さらに幅広くなった河川に、全身や足の一部を濡らしている。


 やがて、彼らは緩やかな斜面が続く開けた土地に出た。目の前を遮るのは、無造作に転がる岩くらいしかない。


 しかし、行軍は突如、流れる川から隆起した水柱によって遮られた。


 水の高低が逆転したことで、溢れだした濁水が周囲の魔物たちを押し流そうとする。言語化のしようのない悲鳴や喚きが、群れのあちらこちらから次々と湧き上がった。


 ――水底より、鋼鉄の巨体が姿を現す。


 巨躯から流れ落ちる水からは、川底の砂や石が同時に洗い落とされていた。水中よりも更に深く、水底よりも下に潜っていたとしか思えない、巨大な質量の塊だった。


 落ち流れる水の塊と共に、刃物のような鱗で覆われた獰猛な脚が、一番手近にいた黒蜥蜴を踏みつぶす。無数の牙を生やした巨大な顎が落ちる水の膜を突き破って、近くの黒蜥蜴たちを食い破る。瓦解した先陣に魔物の群れに混乱が引き起こる。


 大量の水が滝のように流れ切った後より出現したのは、全身を鋭利な鋼の鱗で覆った大鰐おおわに。身を軽く揺すっただけで、川水は氾濫し、近くに自生した木々が小枝のようにへし折られる。その大きさは、かつて戦いで巨大化した灰色の魔人や竜の勇者を、明らかに凌いでいた。


 大鰐は眼前の魔物たちに向かって猛進する。勢いよく迫る鋼の巨体は、避けることを許さず、触れる敵を鋭利に尖った鰐肌で切り刻む。


 魔物たちの進軍は、全身が刃と化した鋼鉄の巨大鰐によって停滞した。



 ◇ ◇ ◇



「とんでもねえ化け物だな」


 数で攻める魔物たちと、それを真っ向から蹂躙する機械獣の争いを、断崖の上から見つめる影があった。親衛隊のサユイカとクラダイゴ、それから竜の勇者であるアカ。彼ら三人は戦況を見渡していた。


「メキさんはノルソンさんがひとまず足止めしていると言っていましたが、やっぱりあれが……」


「だろうな。話伝手にしか聞かねえが、かなりの戦力を保有していたようだな」


 敵を踏み荒らす鋼の巨体は、特攻してくる魔物の激突や爆炎すら意に介さない。まさしく蹂躙という言葉がふさわしい暴れ具合だった。巨体が過ぎたあとには、地形以外の何も残らない。近くの木々や岩だろうが、まとめて薙ぎ払われ、魔物たちは完全に進軍を阻まれていた。


「ですが、助かりますね。どのみち私たちだけでは多勢に無勢だったでしょうし」


 同じく呆れていたサユイカの言葉に、アカが不満そうに首を横に振る。


「ふんっ、過小評価されては困る。群がった雑兵の処理くらいわれにもできるわ」


「それだと俺らまで足止めをくらうだろ。奴らの発生源を叩かなきゃならねえんだぞ。終わらねえ戦いに参加するつもりはねえぜ」


「ふん、元よりあの程度の群れに興味などない。我らが狙わねばならぬのは大物だからな」


 魔物の軍勢を辿っていけば、この群れを生み出した元凶とでもいうべき存在とぶつかることになる。それこそが魔人であるとサユイカたちは推測していた。


「付け加えれば、水の勇者がいる可能性もある。……賢者の考えでは、水の勇者は魔物たちと共に街を攻めに来ることになっていたが、我らが鉢合わせる可能性もあるだろう」


「……。それなら、ルーイッド様にも来てもらえば良かったですね、こちら側に」


「今更すぎんぞ、嬢ちゃん。それとも、今から坊主たちと合流しに戻るか?」


 揶揄うような笑みを浮かべた副隊長にサユイカは顔をしかめた。心外だと言わんばかりにクラダイゴに抗議の視線を送り込む。


「そんなことしてる暇はないです。時間に猶予がないから、別動隊にしたんですから」


 強化の賢者であるルーイッドと妖精のアルエッタ、それから魔導人形の勇者であるメキ。彼らは街に残っていた。住民の避難を進めながら、向かってくる魔物たちを迎え撃つための準備を進めている。


「なにをぐずぐず喋っている。この場に留まる意味はもうないだろう。……さっさと行くぞ」


 背中の竜翼をアカが広げた。未だ痛々しい傷痕が残る中折れした翼に、渦を巻くように風が纏いつき、やがて巨大な魔法翼となった。それから親衛隊の二人に手を差し出すように求める。


「……きついんですよね、これ」


「文句を言うな、小娘」


 両手を握りしめた竜の勇者が飛翔する。風に煽られるように浮遊した三人は、魔物の群れを遡るように飛び去った。




 ◇ ◇ ◇



 一方の賢者たちは、兵士団の駐在所にある物見台で、エベラネクトの街の様子を窺っていた。少し前まで長閑だった街は、現在は避難指示に従う人々で騒然としていた。兵士たちが誘導し、体の弱い老人たちや小さな子供を連れた母親たちなどを優先しながら、馬車に乗りこませていく。


 移送のための馬車は農家たちに協力を要請した。幸いなことに、果物や山菜の出荷等で使われる荷車がエベラネクトには十分にあった。


「この街って、思ってたより人がいるんだねー」


「そうかな? 日中は、山で農作業する人や、山菜取りに出掛ける人が多いから、そう見えるのかもね」


 百人近くはいる街の人々を上から眺めながら、隣のアルエッタが喋る。妖精であるため、人目に触れるわけにはいかない彼女だが、今は姿を現していた。ルーイッドたちは兵士団の駐在所に建てられた物見台で、エベラネクトの街全体を俯瞰していた。


 駐在所の兵士たちが混乱や騒動を生じさせないように、人々に呼びかけを行っている。準備が整った馬車は、隣町へ出発し避難は順調だった。今のところ、これといった暴動もないので、ルーイッドは胸を撫で下ろしていた。


「この調子でなら、魔物たちが到達するより前に、なんとか避難は終わりそうかな」


「みんなが避難したらさー、私たちはどうするのー? サユイカたちと合流する?」


 ルーイッドは首を横に振った。親衛隊の二人と竜の勇者には、唐突に現れた黒い魔物の軍勢が、どこから発生しているのかを突き止めてもらうように頼んでいる。もちろん、彼らのことが気にならないわけではないが、ルーイッドにも役目はある。


「僕たちはレイラ様を探さなきゃならない。もちろん戦うことになるかもしれないけど」


「戦うのは嫌だなぁー。あたし、戦闘は得意じゃないしー」


「基本的に、僕とメキで立ち回ることになると思うから隠れてていいよ。魔物たちの発生源を叩き終えたなら、サユイカたちも援軍に来てくれるだろうし」


「やったー」


 言葉とは裏腹に、あまり気乗りのしない声で、妖精はくるくる飛び回った。それから、どこか憂鬱そうな顔でルーイッドの前で浮遊する。


「ところで、思うんだけどさー、誰もいなくなるとはいっても、街に魔物を入れちゃってもいいのー?」


「……魔物の侵入を防ぐこと自体、難しいだろうからね。レイガルラン並みに整った兵士団があったら、防衛戦も考えたかもしれないけど」


 小さな魔物被害ならば、エベラネクトの兵士たちでも問題ない。魔物の駆除自体は、辺境の兵士団でもよく請け負われている仕事だった。


 だが、大規模な戦闘となると話は違う。レイガルランのように、頻繁に魔物の襲撃がある都市ならともかく、小さな辺境の街でしかないエベラネクトに、ここまでの大規模侵攻を食い止められる兵力はない。


 そのうえ、これまでの魔人絡みの戦いでは、一般兵たちは蹂躙され、ほとんどが犠牲になっていた。メキがいても死傷者が出ない保証はない。


「だから発想を変えて、できる限り街に魔物たちを留めておく。そうして時間を稼げば、街の人が遠くへ逃げる時間も増えるし、僕たちもレイラ様を探しやすくなる。街には罠を仕掛ける予定もあるから、避難が完了した後のほうが忙しいかもね」


 ルーイッドは拝借した円筒状の遠見鏡で、果樹園方面へ広がる山野を覗く。まだ、この場所からは魔物たちの姿は確認できない。だが、木々が倒れる轟音や凶暴な魔物たちの奇声は、まだ遠く離れていたとしても、街まで確かに伝わってきていた。


 不安を掻きたてる魔物たちの声が街にこだまする。遠見鏡から目を離すと、数人ほど恐慌に陥ったのか騒ぎが起きたようだった。


「……アルエッタ、今から避難の手伝いをしに行くから、また隠れていてくれないかな?」


「はいよー」


 ルーイッドの制服の中へ妖精が入り込む。いざという時に鞄では邪魔になるので、彼女には申し訳ないが、狭いポケットに身体を潜ませてもらっていた。


 物見台の梯子を降りながら、ルーイッドは顔を引き締めた。不安や焦燥に駆られているのは街の人々だけではない。兵士たちの表情も心なしか暗く感じられた。


 だからこそ、賢者である自分が引っ張っていかなければならない。ルーイッドは気合を入れて表情を明るくさせる。


「――んんん? この感じは」


「アルエッタ、どうしたんだ?」


 地面に降りたところで、妖精がポケットを飛び出し、ふよふよと宙を泳ぐ。何かに手繰り寄せられるように飛んだ彼女は、そのまま銀髪の少女の頭の上に着地した。物見台の柱の影で、魔導人形の勇者が立っていた。


「…………?」


 メキは不思議そうにルーイッドへ視線を向ける。頭の上にアルエッタがいることには、あまり気に留めていない様子だった。


「なにか、ノルソンさんから連絡が来たのかい?」


 悪い知らせでも入ったのか、と賢者の目が鋭くなる。避難が完了しないうちに魔物たちが到達するようなことがあれば、ルーイッドたちで対処しなければならない。しかし、メキは首を横に振った。


「連絡は何もない。そっちはどう? 戦いに向かえそう?」


「あと少しかな。住民のほとんどは広場にいる。馬車も何台か出ているから、時間の問題だとは思う」


「そっか。じゃあ、まだ待機だね」


「待機だぁー」


 柱に背中をもたれさせながら、魔導人形の勇者はただ頷く。妖精は頭に乗るだけで満足しているのか、しばらく離れる素振りはない。見たところ問題はなさそうなので、アルエッタはそのまま預けていても良さそうだった。


「賢者、一つだけ忠告」


 立ち去る間際に声を掛けられて、ルーイッドは後ろを振り返る。


「ノルソンが水の勇者を討つ準備を進めているってこと、忘れないでね」


 まだ期限の内ではあるが、事が起きてしまった以上、必ずノルソンは水の勇者を仕留めに行く。そういう約束だった。


「……分かってるよ」


 山の向こう側に視線を向けながら、ルーイッドはただ答えた。

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