第55話 賢者と神は不穏を予感する
「……ふぅ」
山積みとなった書類が机を埋め尽くしている。執務室とたいして変わらなくなった自室の光景に、バリエラは溜息をついた。時間も人手も足りていない。陛下に相談した件をとは別で、例の失踪事件は増え続けている。最近では、冒険者に限らず、一般の人々の行方不明も報告として挙げられるようになっていた。
調査員には兵士団も駆り出し、城内で行う類の仕事は、協力を申し出てくれた文官たちにも割り振っている。それでも処理が追いつかないというのが現状だった。
それに加えて、エベラネクトにいるルーイッドからも、情報提供や手掛がかりなどを求められていた。洗脳や精神支配の手段、あと水の勇者の過去の経歴など、できる限り調べて、伝えなければならない。
ルーイッドも大変なのは分かっているが、あまりにも過剰な仕事量に、流石のバリエラも億劫になっていた。
そのとき、扉のノックに気づいて、バリエラは顔を上げた。部屋から返事をする。
「どうぞ」
「バリエラ様ぁ、扉、開けてぇなぁ。今、ちょっと両手、塞がってるんよー」
少し間延びしたような声が聞こえた。扉を開けると、白い紙束の山がバリエラの目の前に現れる。後ろに退いて道を譲ると、書類の山に顔を押し当てながら、濃緑髪の若い女性兵士が部屋へと入って、バリエラの机へと運ぶ。
他の親衛隊員と異なり、彼女は白制服の上から黒ローブを羽織っていた。ある意味、魔法兵らしいとも言える。名前はニャアイコ。隊員のほとんどが外へ派遣されている中で、現在のところ、城で待機している唯一の親衛隊員だった。
年齢は二十代前半といったところで、隊長補佐を引き受けているのだという。比較的、若い年齢で役職についているが、親衛隊では珍しいことではなかった。というより親衛隊の構成員は、副隊長を除けば、若くて十代後半、年齢が高くても二十代半ばくらいに集中している。
メンバーを集めたルーイッドが言うには、能力開発は、年齢が低いほど効果が現れやすいため、人選が偏ったという話だ。
「どんどん増えとぅなぁ、行方不明者。結界近くの遠い町でも起きとるみたいやし。みんな、痕跡も残さずに蒸発しとるから、ぜんぜん捜査が進んどらんみたい」
「サユイカたちが発見したときは、被害者の荷物は残されていたんだっけ?」
「あれは部屋の中で、やられとるみたいやからねぇ。襲われた場所が分かりやすければ、例の魔物の潜伏場所も特定しやすいのやけれど、実際はそういうことは少ないみたいやねぇ」
現地調査組は大変そうやねぇ、とニャアイコは呟く。そんな彼女も目の下に大きな隈ができており、あなたが言うべきことでもじゃないでしょ、とバリエラは思った。
「それで、今度は何件くらい? 派遣はできそう? 場所は北? それとも南?」
「んーと、新しく報告されとるのは二十件くらい。一番多いんは、東端にあるヨールクの街やね。マッサルが動けるって言っとったから、頼んどいたわぁ」
「分かったわ、ありがとう。……本当に厄介ね。今回の魔物は」
バリエラの呟きに呼応するように、ニャアイコは大きく頷く。
「ほんま厄介やなぁ。確認されとる種類だけでも、蝙蝠、蜥蜴、蛇、鼠、果ては蜘蛛なんてものまでおるし、駆除も一筋縄にはいかんって、みんな言っとったわぁ」
そんじゃあ、バリエラ様も頑張ってなぁ、とニャアイコはこちらに礼をして、部屋から出ていった。再び一人となったバリエラは、机の上に置かれた紙の山を見て、ため息をついた。これらの半分は、各地の冒険者組合から提供された消息不明の者たちの情報だった。
「本当に多すぎるわね……」
ルーイッドたちがエベラネクトへ調査に行ってから、件数は更に加速して増加している気がする。不穏な予感がするのを隠せないでいた。
◇ ◇ ◇
同じ頃、神たちもまた魔物たちの動きに不穏さを感じていた。現状の魔物の数が勢いよく増えて、対処に追われていた。コンソールを叩き回る音や、戦況を映したディスプレイが空間に出現し続ける音が、絶えず響いていた。
「先輩、この急増もやっぱりバグが原因なんですか?」
「基本的に、魔物はバグから生まれる。だから原因はそれしかない。こっちが調べなければならないのは、何がきっかけで、こんなにもバグが増殖しているのかということだ」
バグ取りに専念している後輩に、先輩神は即座に答えた。先輩神もまた創造世界をモニタリングしながら、バグの除去に追われていた。
少し前までは最もバグの反応がある地はエベラネクトだったが、ここに来てバグの増殖は国内全体に広がっていた。少しでも抑制するため、神たちは付きっきりで対応している。
「一番、可能性として濃厚なのは、潜伏中の魔人がついに動き出したかも、ってことかなー。けど、魔人と断定できるほどの強力なバグはまだ確認できてないんだよねー」
「そうだな、人形。姿を隠した状態でこのバグの発生量だ。直接の戦いになれば、竜の勇者と灰色の魔人の戦いとは比べられないほどバグが増殖するぞ」
「いやー、参ったねー。忙しくて困るよねー。あ、ついさっき知り合いから変な菓子を貰ったんだけどさ、欲しい?」
先輩神の目の前に、蜥蜴の形をした黒いクッキーらしきものが、突然現れて机の上に落ちてきた。なぜだか不穏な匂いが漂わせていた。
「あ、人形先輩、ありがとうございます」
「いや、変な菓子って、お前……。これ、本当に――」
食べても大丈夫なやつか、を人形神に尋ねようとして、先輩神はふと気づく。
「そういえば、さっきまで見かけなかったが、どこに行ってたんだ?」
「あー、サボってはないから安心して。ほら、手はそこで動いているし」
人形の視線の先では、分断された人形神の手が独りでに動き、コンソールを指で叩いていた。踊るように動く、金属やら鱗やらが張り付いた奇妙の二つの掌。心なしか指先も分かれて十本より多く見える。
後輩神が真っ先に、気持ち悪っ!? と叫んだ。
「…………。知らなかった訳じゃないが、お前の体はどういう仕組みで動いているんだ……」
「いやいや、ボクたちは神だよ? 自分の身体を好きなようにデザインできるのは常識じゃーん」
「コンセプトとして、気持ち悪すぎるだろっ! 慣れている私でも半分引いてるからな、現在進行形でっ! 後輩なんて完全に固まってしまっているじゃないか!?」
「後輩ちゃーん。作業の手を止めちゃ駄目だよー? ボクみたいに寝ていても勝手に身体を動かすくらいできるようになっていないと」
「お前、そんなこともできたのかっ!?」
元々、人外の姿を好む神であるため、変なことすること自体に驚きはないが、流石に自意識が無い状態でも動くことができるというのは、流石の先輩神もドン引いた。
「ちなみに、さっき会ってきたボクの知り合いの神は、何十もの目や耳や口、手を空間に自在に動かして、よく仕事をしてるねー。これくらいで驚かれたら、むしろ困るなー」
「先輩っ! 人形先輩の言っていることが分かりません」
「後輩……。お前にはまだ早い話だから、仕事に集中してろ……」
「ちなみに、外出して知り合いに会ってきた理由なんだけどさー。ぶっちゃけ、後輩ちゃんの世界の案件って、かなり面倒じゃん。だから、仕事以外で使える自分の手があったら便利かなって思ったんだよねー」
「私が気になって、いろいろと集中できなくなるからやめろっ!」
先輩神も後輩神も人の姿を好んでいる。というより、それが神の中でも多数派だった。もちろん神も性格やら嗜好やらは異なるので、自分の身体をいじくる神もいないわけではない。だが、人形神のように喜々として自分の身体を次々と改造して、原形を留めなくなりつつある神は流石に少ない。
同期であるため、最初は人の姿をしていた人形神を知るだけに、先輩神はまだ普通に接することができるが、同期でなかったら、今頃どんな反応していたことか。
「でも、勝手に仕事をしてくれる手があるのは、便利そうですね」
「――後輩っ!?」
「そう、超便利。後輩ちゃんも何か生やす? 頼めばデザインしてあげるよー?」
「や、め、ろっ! 私の可愛い後輩を
「先輩、趣味じゃないです。ただの利便性の話です。仕事をしながらじゃ、両手が塞がっていて、ちゃんと人形先輩を殴れないじゃないですか」
「――後輩ちゃん!?」
「……。そういえば、後輩。お前も
ちなみに地上のノルソンから連絡が来たのは、この直後のことだった。
結局、新しい自分の手を創造する話は有耶無耶になったものの、時折、後輩神が『やっぱり、手が足りないですよね』と呟くたびに、二神は不穏を感じざるを得ないのであった。
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