第54話 賢者は剣を交わす
激しく金属同士がぶつかり合い、手を離れた鋼の長剣が宙を舞う。痺れる腕の痛みに歯を食いしばりながらルーイッドは、自分の剣が後ろの芝へと落ちたのを聞き届けた。勝負はあっけなく決まった。クラダイゴが呆れたように、静止させていた剣先をルーイッドの喉から外す。
「おいおい、甘すぎるぞ、坊主」
「…………っ」
身体強化の奇跡で、ルーイッドの速さは確実に増幅されていた。そして、クラダイゴ自身には素早さを上げる手段はない。だが、クラダイゴは対応してみせたのだった。
初撃で試合を終わらせるつもりだったルーイッドは、背面からクラダイゴに剣を突き入れるつもりで、飛び出していた。だが、クラダイゴは右足を一歩退かせて、背中の位置を反転させると、後ろを狙ったルーイッドの斬撃を、事もなげに正面から受け止めたのだった。
そこからは、クラダイゴの剛剣による強打をまともに受けたことで、ルーイッドは転倒し、そのまま剣を弾かれた。最後に、首元へ剣を突きつけられて行動不能。試合終了だった。
「最初の踏み込みは悪くはなかったが、わざわざ回り込もうとしてどうする。せっかくの速さが生かせねえぞ?」
「…………」
試合の振り返りをしながら、クラダイゴは鞘に剣を納めた。無言で聞きながら、ルーイッドも転がっていた模造剣を片付ける。当然、舐めてかかっていたわけではない。ただ、全力のつもりでやって、数分ともたなかったのが悔しかった。
「全然ダメでした」
「そこまで卑屈になる必要はねえ。どうせ、腕は落ちてるとは思ってたからな」
調査ばかりで鍛錬を怠っていたのが原因だ、とクラダイゴは付け加える。確かに最近は、魔人や魔物の調査に専念してばかりで、ルーイッドは自分で剣を振るうことが少なくなっていた。先日のノルソンとの一騎打ちで、久しぶりに剣を振るったのだった。
「レイラの奴は、奇跡も強力だが、剣の腕も意外と立つ。剣での戦いになることも、ある程度は予想していたほうがいい。まぁ、勇者っていうのは、良くも悪くも規格外の連中ばっかだがな」
クラダイゴの視線は、鍛錬中のアカへ向く。試合が呆気なく終わって興ざめしたのか、一人で黙々と宙に浮きながら、片手で炎をジャグリングするように扱っている。
竜の勇者の人格の中でも、アカは現在の体に馴染むのに苦慮していると聞いていた。遊んでいるようにも見えなくもないが、れっきとした訓練なのだろう。遊んでいるようにも見えなくもないが、れっきとした訓練なのだろう。
一方で、クラダイゴの話はまだ続く。
「作戦も大事だが、実力がなきゃ意味がねえ。未知の敵とやりあうぐらいの覚悟で、最後まで戦い抜くための準備をしてたほうが、俺はいいと思うぜ」
「……ですが、レイラ様が敵側についた原因を突きとめないと」
「どうやって突きとめるつもりだ? それこそ、戦場でレイラの奴を見てから判断するしかねえよ」
必要なのは、全ての障害を跳ね除けられるだけの戦力や力量だけだ、とクラダイゴは断言した。それが無ければ、どう足掻いても勝ちの目はない。策を練っても、相手は水の奇跡を行使する勇者。ルーイッドも、彼女の実力の底を知らなかった。
「――それでだ」
話題転換というよりは、ここからが本題だ、とでも言うようにクラダイゴは、ルーイッドから目を逸らし、訓練用に積まれた荷物のほうに視線を向けた。
「魔人や勇者の相手を、誰がすることになるかは分からねえが、お前には死なれると困る。だから、こいつを渡そうと思って呼んだんだ、坊主」
クラダイゴは訓練用の荷物の一部を、ごそりと横へどけて、埋もれていたものを取り出した。下から現れたのは縦長の荷袋。その中身が取り出されて、赤い鞘に入れられた一本の長剣が顔を出した。
――――っ!?
直感的にルーイッドは、取り出された長剣から、どこか既知感のある力が漏れ出ていることに気づいた。感覚としては、奇跡を行使するときに感じる波動に近い。それこそ、勇者や賢者ぐらいにしか知覚できない感覚だった。
「……よく見ておけ」
そう言うと、クラダイゴは縦向きに鞘を握り、もう片方の手で柄を掴んで、上方向へ抜剣する。刃の長さは親衛隊で支給されているものよりもやや短い。だが、鞘に入った剣身が、外気に触れた途端に、辺りに陽炎が生じる。異様な熱気が、少し離れたルーイッドの顔にも伝わってきた。その剣そのものが、炎のような高熱を放っている。
「クラダイゴさん、それは?」
「……とある勇者の持ち物だった剣だ」
抜き身となった赤白い光沢を放つ金属の刃に、ルーイッドは目を奪われる。定期的に手入れが施されているのか、刃こぼれは一つとしてなく、磨かれた表面が輝きを放っていた。
瞬間的に炎の力が
「……炎の魔王、ですか」
「流石に分かったか」
知らないはずはなかった。ルーイッドが召喚されるよりも遥か前に現れた最初の勇者。一度は魔王を撃退しながらも、後に世界を破滅に追い込んだ、人々には恐怖の対象とされる名前だった。
彼の炎を操る能力によって、街は破壊されつくし、たった数か月で、当時の国々は、ほぼ滅び去ったと聞かされている。現在になって国と呼べるのが、水の勇者が再建したアシュワノットだけというのも、そうした背景はあった。
炎熱を発する剣身を、クラダイゴは鞘に納める。そして、ルーイッドへ差しだした。
「こいつは炎の魔王、――いや、ちゃんと名前を言うべきだな。炎の勇者だったエルジャーが愛用していた剣だ。元々は何の変哲もねえ剣だったのに、あいつの力を吸って、いつの間にか、炎を帯びるように変質していたっていう代物だ」
「なんで、クラダイゴさんがこんな代物を?」
「俺のことはどうでもいいだろ。昔、エルジャーから貰ったってだけだ。予定では、失踪する前に、レイラに渡すはずだったんだがな」
「レイラ様に?」
鞘に手で触れた途端に、内に込められた熱が伝わってくる。とてつもない力が秘められているのをルーイッドは感じ取った。
手の皮が
「あいつもまた、炎の勇者と縁があるってことだ。エルジャーは、レイラの奴ならこの剣を使いこなせるはずだと言って、俺に渡してきた。それなら、あの二人の後輩でもある坊主にも、――いや、賢者ルーイッドにも使いこなせるんじゃないかってな」
「クラダイゴさんが自分で使うというのは、駄目なんですか?」
強大な炎の力を眼前にして、ルーイッドは慄きながら、剣を譲渡してくるクラダイゴに困惑するような視線を向ける。自分が手にしていいのかという不安が、頭の中をよぎっていた。
「残念だが、俺じゃ使いこなせねえからな。おそらくだが、こいつは奇跡を行使できる者でなければ、扱えきれねえだろう。なんたって、炎の勇者の奇跡が込められているからな」
「……ですが」
「率直に言って、お前は戦いでの立ち回りはまだまだだ。そのうえ、得意の『強化』も、後方支援でこそ本領を発揮する。けど、今回の相手は戦力が未知数。乱戦にならねえ確証もない。だから、そいつで足りない実力を強引に補うしかねえってわけだ」
「………………」
手渡された剣からは、ずしりとした重みが腕に伝わった。柄を握り締めても熱さはない。むしろ、優しい炎が手を包み込んでいるかのように温かい。
神妙な思いで腰に鞘を備えつける。それからルーイッドは柄を握りしめ、軽く剣を抜いては納めた。抜き動作に支障は無さそうだった。
しかし、少しでも気を抜けば、秘められた強大な力の気配に
そんなときに、ふと思い当って、ルーイッドは一つだけ訊いてみた。
「あの、クラダイゴさん。さっき縁があるとは言ってましたけど、……炎の勇者とレイラ様って、結局どういう関係なんですか?」
なぜか、今回の件と無関係ではない気がして尋ねてみたが、クラダイゴは物知り顔で首を横に振った。
「悪いが、それは俺から話すことじゃねえんだ。知りてえなら、レイラ本人に尋ねてみればいい。正気に戻した後で、ゆっくりとしてくれ」
◇ ◇ ◇
「完全に一杯食わされたな……」
山上で戦闘中だったノルソンは剣を納めつつ、一人そう呟いた。彼の周囲一帯は、地面が刻まれたように無数の亀裂がはしり、近くの木々は全て切り倒されてしまっている。元々、緑が少なめの岩ばかりの頂上だったが、さらに
そして、岩盤だらけの頂上の端々で、転がった黒炭の肉塊が、小さな赤い炎をあげて燃えている。それらは先程、襲ってきた水の勇者と魔人――その偽物たちだった。
「こいつらはただの囮。おそらく陽動のためだろうな。これまで全く動きを見せてなかったのは、単に戦力を増強していたからか」
自らの考えを整理するように、ノルソンは独り呟く。情報収集のために放っていた
賢者たちへはメキを通して、いずれ伝わることになる。問題は間に合うかどうかだった。
「……足止めがいるな」
ノルソンは懐から無線機の端末を取り出した。電波が飛ばない世界では無用の長物。だが、この端末は神々によって、特殊な改造が施されていた。躊躇なくノルソンは、端末の電源を入れると応答を待つ。やがて、相手方が応じてきたのを見計らって言った。
「――突然で申し訳ない。こちらノルソン。緊急事態だ。あれの使用許可をお願いしたい」
待っていろ、という短い返答と同時に通信は切られた。許可は無事に下りそうだった。
大きく息を吐きながら、偽物の死骸が転がった岩盤のほうへ目を向ける。数えるのが億劫になるほど、あちらこちらに黒炭が散らかっていた。
実のところ、偽物たちの襲撃は一度だけではない。少なくとも既に四回、水の勇者を模した魔物たちからの襲撃を受けていた。
機械化の補助を受けた聴力が、敵からの細かな足音を伝えてくる。新たな増援と悟ったノルソンは再び腰から剣を抜く。一時停止していた
どうやら敵に休ませてくれる気はなさそうだった。
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