第53話 賢者は剣士と会話する

 翌日、それぞれが戦いの準備を行っていた。武器を整備し、物資を買い集める。ルーイッドもまた、できる限りの範囲で調べ物をしていた。今回の敵は、相手の自我を意のままに操る能力を有しているかもしれない。仮にそれが事実なら、対策をしなければ、水の勇者の二の舞を踏むことになる。


 だが、果樹産業が盛んなエベラネクトでは、その手の情報の収集が期待できる施設は存在しない。仕方なく通信魔法を飛ばして、王都にいるバリエラに、役立ちそうな知識や情報がないかを、漁ってもらっているところだった。


 そんなときに、ルーイッドは呼び出しを受けたのだった。


 街から少し山方面へと向かったところにあった開けた丘。以前、アルエッタと共に索敵魔法を放った場所だった。そこでルーイッドは呼び出してきた相手に声を掛ける。


「――クラダイゴさん」


「やっと来たか、坊主」


 重石のついた模造剣で素振りをしていたクラダイゴは、賢者の声に気づくと、厚みのある剣を下げて手招きをする。涼しい季節にもかかわらず、親衛隊の上制服を脱いでおり、黒シャツ一枚の上半身からは熱気を立たせていた。


「精が出ますね。戦いの前の調整ってところですか?」


「まあな」


 褐色肌の剣士は、重みのある分厚い剣を軽々と振り回す。はちきれんばかりの筋肉が盛り立った剛腕は、そこにあるだけで迫力があった。


「――それと」


 ルーイッドは場にいたもう一人の人物に視線を向ける。赤いコートを身に付けた紅瞳の少年が宙に浮いている。人目が無い場所なので、普段はフードで覆っている角も見せびらかせていた。瞳の色からして、表人格はアカのようだった。


「我も鍛錬中だったが、面白いものが見れそうだったからな。しばらく見物させてもらうぞ、賢者」


「悪いな。どこから聞きつけたかは知らねえが、野次馬をつけてしまったらしい」


「呼んだわけじゃないんですね」


「二人とも、我のことは気にするな」


 竜の勇者は翼を羽ばたきもさせずに、静かに浮遊している。操っているのは風か重力か。どのみち、ただの傍観を決め込んでいる。それならば気にすることもないかな、とルーイッドは頷くが、クラダイゴはやや微妙そうな表情を浮かべていた。


「それよりもクラダイゴさん、僕に用ってなんですか? サユイカからは、そうとしか聞いていなかったんですが」


 呼び出しの伝言をしてきたのは、サユイカだった。一応、今の立場は彼女が上のはずだが、急な雑務に付き合ってくれるのは、やはり元教官だからなのかもしれない。


 一方のクラダイゴは、置いていた訓練用の荷物の中から、鞘に入った一本の剣を取り出す。


「いきなりで悪いが、模擬試合をするぞ。坊主」


「……え?」


 有無を言わさぬ調子で剣を差し出されて、ルーイッドは目を点にさせる。一応、渡されたのは普段使いしている長剣と同じ。ただし、訓練用に刃が潰されている。


 どうして今から試合なんてしなければならないのか、という疑問を抱えたまま、ルーイッドはクラダイゴのほうを見た。


「えっと、これ関係あることなんですか?」


「いや、ぶっちゃけないぞ」


「ええ……?」


 あまりにも正直に答える親衛隊の副隊長に、ルーイッドは微妙な顔を浮かべる他なかった。


「まあ、そんなに嫌がるな。見せてやるものがあるのは本当だが、急ぐ必要もねえ。それに最近、お前に剣の稽古をつけられてなかったからな。丁度いい機会だと思わないか?」


「いい機会って言われれば、そうかもしれませんけど」


 ここしばらく、まともな剣の訓練ができていないというのは事実だった。ノルソンとの戦いで見せた剣技も、久々に剣を握ったということもあって、うまく振るえたという自信はない。


 だが、今は情報収集中だったというのも事実。剣の訓練にあまり時間を割きたくないというのが本音だった。


「そこまで時間がないんですけど」


「そうか。それなら別に構わない。だがな、レイラの奴は強いぞ? 仮にも勇者相手だからな?」


「…………。なんか卑怯じゃないですか。それを言いだすのは」


 痛いところを突かれてルーイッドは渋面した。仮に水の勇者との説得が目的だったとしても、戦闘自体を回避することはできない。改めて考えると、勇者を相手取らなければならないという事実が、鉛のように重く胸にのしかかってきた。


「分かりましたよ。よろしくお願いします」


 少し不貞腐れながらもルーイッドは剣を構えた。切れ味を完全に殺した剣とはいえ、鉄塊であることには変わらない。本来であれば、より安全な木剣を試合では使うものだが、親衛隊の訓練では必ずといってもいいほど、この模造剣だった。副隊長であり、教官でもあるクラダイゴの方針だった。


 まんまと引っ掛かったとクラダイゴが笑みを浮かべていた。素振りしていた模造剣をそのまま使用するつもりらしく、彼は縄で結んでいた重石を外す。地面に置かれた重石は、広場の草を深く押し潰した。


 それから訓練のときの試合と同じように、クラダイゴは禁則事項やルールを話し出した。


「いつも訓練のときに言っているが、練習試合といっても実戦と思え。止めを刺すのは禁止だが、いくら転倒しようが、剣を落とそうが、試合は続行する。突きつけられて動けなくなったほうが敗北だ。……あと、今回に限っては、自分で怪我しない程度なら、お前は強化を使ってもいい」


「……? 普段の訓練じゃ、魔法も奇跡も禁止でしたよね……?」


「水の勇者相手に同じことする気か? 俺への遠慮だとしたら必要はねえ」


 それだとこっちが有利すぎるんじゃ、とルーイッドは顔をしかめる。賢者は勇者と違い、身体能力に秀でているわけではない。だが、それは魔法や奇跡を用いないという前提の話である。クラダイゴのほうに、いくらルーイッドより遥かに上回る剣の技術があると知っていても、奇跡使用可なら賢者のほうが優位だった。


「……どうなっても知りませんよ」


「ああ、きちんと本気で来い」


 真正面に剣先を向けたまま、ルーイッドは身体強化を自分にかけた。動体視力も強化され、時間がゆっくりと流れるように見える。


 クラダイゴは足を縦に開き、ルーイッドに体の右側面を見せていた。後ろへ引かれ、水平に据えられた長剣が、いつでも仕掛けられると言わんばかりに、鋭利な先端を賢者に向けている。


 不自然なくらい力みがないのは慣れだからか、それとも相手が知った者だからなのか。傍目からでは、クラダイゴは剣を真横に抱えただけのように見えても、おかしくはなかった。


 構え方からして、左から回り込んで斬り込めそうだな、とルーイッドは漠然と思う。無防備な背中を狙えば、いくら剣技に長けたクラダイゴといえども、立て直しが必要になる。いつもであれば、間合いを詰めきる前に対応されてしまうだろうが、今は身体強化がかかっている。反応を越えた速度で斬りかかれば、十分に可能だろう。


 ルーイッドは前を見据えた。強化を脚部に流し込む。前後に構えた両足を少しずつ屈曲させる。


「――行きますっ!」


 風を揺らすようにルーイッドの姿が掻き消える。空気の膜を突き破った彼は、直線ではなく、やや弧を描くようにクラダイゴの背を狙って肉薄した。


 それとほぼ同時に、クラダイゴの両眼が黒点を動かした。



 ◇ ◇ ◇



 ルーイッドとクラダイゴの模擬試合を遠くから眺めている存在がいた。丘に生える木々の枝を両脚で掴み、彫像のように微動だにせず、木の葉の隙間から二者の戦いを観察し続けている。その姿は以前、ルーイッドたちが遭遇した金属の野鳥と同一のものだった。


 金属鳥は視覚から得た情報を、山岳地帯のほうへと発信した。途中、空を飛び回る同胞たちを中継局代わりにしながら、送信された情報は、最終的に青年の視界へと共有される。


 エベラネクトの山々の大半は、誰の手も入れられていない天然の山岳。至るところを木々が覆い、場所によっては剥き出しとなった岩盤が太陽の光を浴びている。以前、ルーイッドたちが立ち入った地よりも更に奥深く、鬱蒼うっそうとした暗い森を進んだ先に、野営中のテントが張られていた。


 比較的低い山の頂上だったが、巨大な岩を山頂に乗せているかのような形をしており、おかげで見晴らしがとても良い。市街からもそれほど離れているわけでもないので、街の様子を眺望することができる。


 テントの所有者はノルソンだった。各地に放った斥候鳥型スカウジョンから情報を仕入れている彼は、賢者たちの行動を元にして、自身の方針を立て直しているところだった。


「…………」


 誰も踏み入らない奥深い地だからこそ、自然の音がよく聞こえる。生い茂る草木がこすれたような音を立て続けていた。そのような中で、吹く風で葉が揺れるささやかな音に、草木が踏み荒らされるような雑音が混じったのを耳にして、ノルソンは考え事をやめた。


「……。さて、誰かな?」


 背後へと彼は目を向ける。頂上から下は大きな岩が視界を塞いでいるが、その岩陰に人影のような何かが、ひしめきあっていた。明らかに自然物ではない。


 敵襲と判断して、強襲甲虫型スカラシルダーが上空から召喚された。大剣によって粉砕した大岩の裏で、硬い物同士が衝突したかのような甲高い騒音がこだまする。初撃を防がれた強襲甲虫型スカラシルダーが飛び戻ってきた。


 砂煙を分けて現れたのは黒いドレスの女性。高山の頂上で眠っていたはずの水の勇者だった。しかも一人ではなく、複数の黒い人影が彼女に侍るかのように付いてきている。


「……おかしいな。監視上では、君は動きを見せていなかったはずなんだけど」


 水の勇者の動向は、常に飛び回っている斥候鳥型スカウジョンたちが監視している。今も共有されている視界には、魔物たちに守護される黒い球体が映り込んでいる。想定の範囲外であった。


 だが、手間が省けたとノルソンは思い直すことにした。


「今回、残念ながらルーイッド君たちはいない。だから、容赦することはない。覚悟しておいてくれ、水の勇者」


 ノルソンは何もない空間に手を入れて一振りの剣を取り出す。同時に強襲甲虫型スカラシルダーが共鳴するかのように大剣を掲げた。


「……まあ、今の君に語りかけたところで、何の意味もないんだろうが」


 紫電をまとわせた剣身と共にノルソンは、黒に染まった水の勇者を見据える。他愛もない言葉を投げた後に、戦いの火蓋は切って落とされた。

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