第51話 賢者は過去を振り返る

 かつてのルーイッドは、一言で表せば、他力本願だった。


 味方の補助を得意とする奇跡を扱う賢者だからか、ルーイッドにも人の適性や才能を見抜く能力があった。彼が兵士団から信頼を得られたのも、その能力があったおかげでもある。とにかく人を動かすのが上手かった。その反面、何でも人任せにしてしまう悪癖もあったとバリエラは記憶している。


 ルーイッドが兵士団の管理を任されるようになった頃、彼は急に水の勇者から指導されたことがあった。事務室で分厚い書類の束を置きながら、レイラは困り顔を浮かべていた。


「ルーイッド、兵士団の活動報告書は、あなたの仕事でしたよね。毎回、あなたではなく、別の方が書いて提出してくるのは何故なんでしょうか?」


 水の勇者は当時、防衛顧問も兼ねていたこともあって、兵士団の書類に目を通すことも多かった。だからこそ、気付いて注意したのだが、当のルーイッドは不思議そうに首を傾げたのだった。


「早く終わらせるためですよ。僕も調査によく出ますし、事務は得意そうな人に任せておけば、全体の効率はいいと思いましたので」


「あのですね、ルーイッド。仮にもまとめる立場なったのですから、活動報告に関しては、責任をもって自分で作ってください。これでは誰が兵士団の管理をしているのか分からなくなります……」


「大丈夫です、レイラ様。僕の責任で信用したうえで、仕事を託しましたので」


「そういうことを言いたいわけじゃないんです」


 それからしばらく問答が続いていたようだが、『あんたが自分の書類仕事に手を付けているところを見たことないから、レイラ様が注意してるんでしょうが!』と結局、バリエラが説教することになったのだった。


 なぜ、そんなことを今更になって思い出したかと言えば、きっかけは今朝方にあったサユイカからの定期連絡だった。ルーイッドたちの状況を知るために頼んでいたが、事態は想定以上に大事おおごとになっているようだ。


(あいつ、無茶しちゃって……)


 苛立ちというわけではないが、無性に気持ちが落ち着かなかった。サユイカからは真っ先に、ルーイッドが負傷したと聞かされた。予めに渡しておいた保険が発動した形跡がないので、命に別状がないのはすぐに理解したが、心中穏やかではいられなかった。


 最近のルーイッドからは、どこか焦りのようなものを感じていた。元々、他人任せする性格にもかかわらず、氷の魔人の事件以降の彼は、やたらと問題に自分から首を突っ込み、当事者として関わろうとする。


 魔物の調査を独断で行った件についても同じだった。最近のルーイッドには無理に身体を張ろうとしすぎる傾向がある。ちなみにレイガルラン防衛戦のときにも、自ら兵を引き連れて向かおうとしていたらしい。快復した後に親衛隊の一人から聞かされた話だった。


 一人で突っ走って、命を失うような真似だけは避けてほしい。そう願いつつも、バリエラは現地にいないので、別の懸念事項について取り掛かるしかない。


「ほんと、どうしてこんな難問題ばかりにぶつかるのよ、まったく……」


 バリエラは国の現女王でありながら、水の勇者の友人でもあるヨリミエラの元へと向かっていた。不確かな情報だけで会議を開くわけにはいかない。だからこそ、彼女に相談しに行くのだった。


 ヨリミエラは立場上、誰でも気軽に面会してくれるわけではない。本人も自室や執務室にいることが多く、城外で姿を目にする機会もあまりない。しかし水の勇者との縁もあって、バリエラとルーイッドはいつでも部屋を訪ねていいと言われていた。


 本来、王族と関わる者しか入れない上階層にある、ヨリミエラの執務室の前にバリエラは立った。飾り気のない木製の扉を軽めにノックする。


「ヨリミエラ様、失礼していいですか?」


「その声はバリエラちゃんね。どうかしたの?」


 扉越しからこもった返事が聞こえた。バリエラは気を込めるように息を吸い、気持ちを落ち着かせる。


「失礼します」


 薄黄色の絨毯の上に置かれた木製の執務机と赤い椅子。そこに一人の女性が席に座っている。少し大きめの白いブラウスに明緑色のスカート。少し肌寒くなってきたからか、肩には茶毛で編まれたショールを被せていた。


 彼女の後ろには大きな窓があり、普段から白いカーテンで閉ざされている。執務机の前には来客用のテーブルとソファがあり、だいたい四、五人が座れるようになっている。


 部屋の四方は白い壁に囲まれ、書架や棚の類は見受けられるが、絵画や彫刻といった芸術品は飾られていない。天井にも宿屋で見られるような安めの照明が光を放っている。代わりに、執務机の上に女王の象徴でもあるティアラが慎ましく立てかけられていた。水の勇者と旅をした経験のある彼女曰く、今更、王族らしい高価な調度品に囲まれても気が引けてしまうとのこと。


 ちょうど部屋に入ったとき、ヨリミエラは議会から提出された書類に目を通している最中だった。片方だけ三つ編みにした白銀の横髪を、指で絡めるようにいじっていた彼女は、紫檀の瞳は見開き、バリエラの突然の来訪に驚いていたようだった。


「突然で申し訳ありません。ヨリミエラ様」


「いいのよ。それに堅苦しくしないでちょうだい。レイラみたいにミエラって呼んでもいいのよ?」


「流石に立場があります、ミエラ様」


 ヨリミエラが自らの格を下げたがっているのは知っているが、付き合いが長くないこともあって気後れしていた。そもそも国の女王相手に堅くするなというほうが無理だった。頑なに首を振ると、彼女は残念そうに息をつく。


「はあ……。相変わらず真面目ね、いいことではあるのだけど。とりあえず、そこに腰かけといてくれる? 今、紅茶を入れてくるわ」


「いや、それくらいは私が……」


「紅茶の入れ方は知らないでしょ。そこのソファで待っててね」


 ヨリミエラはそう言って、嬉しそうに執務室を出て行った。言われた通りに座って待っていると、小さな丸盆にポットとカップを抱えて戻ってくる。


 流石に注ぐのは自分が、とバリエラが名乗り出ようとすると、まだ蒸らしているところだからと言われて、さらに待つように言われる。


 テーブル向かい側の木椅子にヨリミエラが腰を掛けた。よく見れば、木椅子は飾り気がない、ありふれた市販品。もっと身分相応に振る舞ってくれてもいいのに、とバリエラは内心で不満をこぼす。


 ヨリミエラはただ微笑みながら、時間が経つと目の前のカップに赤茶色の液体を注いだ。


「お待たせしちゃったわね。それで、どんなお話があるのかしら?」


「ルーイッドたちの調査での件で、早急に報告することが。……レイラ様との接触があったそうです」


 前置きは抜きにして、バリエラは今朝の連絡でサユイカから聴取した内容をありのままに伝えた。水の勇者が魔人と手を組んだという話には、ヨリミエラも普段の穏やかな顔を崩した。


「レイラがねえ……。それは本当なの?」


 ヨリミエラは怪訝な表情を浮かべていた。端正な眉が寄せられ、信じられないというように紫檀の瞳を瞬かせている。


 当然の反応だと思われた。ヨリミエラはバリエラ以上に水の勇者と付き合いが長い。バリエラが有り得ないと思う以上に、強い衝撃を受けているはずだった。それでも受け取った情報を伝えるしかない。


「ルーイッドたちに敵意をもって攻撃してきたのは、間違いないらしいです。見たことのない黒い怪物を操った、とも。完全に魔王側の勢力に与しているかどうかは、確証がないと報告を受けましたが……」


「そうね。レイラの勇者としての能力にそんなものはないわ。だけどバリエラちゃん、あえて訊くのだけれど、あなた自身は今回の件、魔人が裏で糸を引いていると考えているのかしら?」


「……そう、ですね。調査中の魔物も、これまでの常識と比べても異質な存在でしたので。関連する可能性は否定できないと思います」


 渋々とバリエラは首を縦に振った。話に聞いた水の勇者は、奇跡以外の力を行使していると思わざるを得なかった。実際、ルーイッドや竜の勇者の証言もある。水の勇者が魔王勢力に取り込まれたと考えるには、十分すぎるほど根拠が転がっていた。だが、本心として信じたくはない。


「ルーイッドたちの冗談なら、いいんですけど」


「ずいぶんと楽観的ね。私から見ても、嘘はつかない子なんじゃない? ルーイッド君って」


「それくらいは知ってます。こういう大事なことで、あいつは嘘をつきません。でも、だからって、どうすればいいんですか……? レイラ様が敵となったなんて、易々と認められる話じゃないのに」


「難しい話ねぇ……」


 ヨリミエラの紫檀の瞳が、少し考え事にふけるように天井を仰ぐ。親しい相手が敵となったかもしれないと聞かされたにしては、いくらか落ち着いているように見えた。そして、互いに沈黙する。静寂を苦しいと思いながらも、話をすれば、やはり水の勇者を敵と認めるしかないという結論が出てしまいそうでバリエラは怖かった。


 やがて、ヨリミエラが発したのは一言だけだった。


「――今の段階で結論を下すのは無理ね」


 三つ編みの銀髪を揺らしながら、ヨリミエラはかぶりを振る。バリエラはただ、静かに息を呑んだ。


「けど、情報が正しいなら、レイラが敵意を見せてきたという事実は覆らないわ。現状、今の水の勇者は敵よ。それだけは覚悟するしかないわね」


 背後にどのような事情があるにしろ、おそらくルーイッドたちと水の勇者は衝突する可能性が高い。もし、調査隊が解決できなければ、討伐の為の兵士を集めなければならない、とヨリミエラは告げる。


「同時に、何故そうなったのかを原因を解き明かす必要もあるわ。仮にレイラを討つことになれば、国に混乱を生じさせることになるでしょう。……そんな事態を回避するためにもね」


 水の勇者はアシュワノットを守護し続けた英雄であることには違いない。無理に討とうとすれば、どこかで反発は生じる。特に、共に魔物と戦い続けた兵士団からは間違いなく反感を買うであろう。


「希望を強いて言うならば、レイラが魔王に協力する理由はないはずよ。心から寝返ったというのは、流石にないと思いたいわね」


「それは、どうなんでしょうか……?」


 陛下に真っ向から否定することを言ってしまったと後から気づいて、バリエラは思わず固まった。だが、全く気にするつもりがないのか、ヨリミエラからは逆に笑いかけられる。いいから続けなさい、と言われてしまった。


「それでは、今頃になって出てきた理由が……。しかも敵としてなんて」


 自然と力が入った手をバリエラは握りしめる。曖昧にしていた感情を言葉に変えてみれば、今にも暴発してしまいそうになって、平静ではいられなくなっている自分がいた。


 感情を落ち着かせるようにバリエラは、ゆっくりと息を吐いた。傍から見れば盛大な溜息に違いない。水の勇者を慕っていたのだと、改めて気づかされた気分だった。


「ずっと助けが欲しかったのに勝手にいなくなって、現れたと思ったら敵になっていて……。正直、あの人を簡単に信じていいのか、私には分からないです」


 裏切られたという失望感から生まれた、腹の底から煮えたぎる激情もあれば、実姉のような存在だった彼女に対して、未だ敬い慕う気持ちもある。自分でもどう処理をつければいいのか分からないほど、複雑な気分だった。


「レイラ様には帰ってきて欲しいです。けど、私はもう、あの人を疑ってかからずにはいられない気がします」


「……ごめんなさいね、迷惑かけて」


「――っ! すみません」


 バリエラは慌てて頭を下げた。思えば、水の勇者の友人であるヨリミエラの前で口にすることではない。促されたから喋ったとはいえ、完全に失言だった。


 おそるおそる顔を上げて様子を窺うと、ヨリミエラは時間が経ってぬるくなった紅茶に口を付けていた。それから、ゆっくりとバリエラに視線を向ける。


「実はね、レイラの失踪と今回の件は、本当に全く関係がないのよ」


「――えっ?」


 カップを手にしたままのヨリミエラが発した予想もしない言葉に、バリエラは思わず目を見開いた。気休めに冗談を言ったのかという考えが一瞬よぎったが、そういうわけでもなさそうだった。ヨリミエラは冷めた紅茶をテーブルへ静かに置く。


「あなたたちにしてみれば、身勝手な理由に違いないから黙っていたのだけど、こうなってしまった以上、もう隠しておけないわね。あまりレイラのことを嫌わないであげてね」


 確かな事情があるのか、今まで隠していたことをヨリミエラは申し訳なさそうにしていた。


「本当は休息を与えるためだったの。魔王討伐という自分の使命に、レイラは向き合えなくなってしまっていたから」


 このことは口外してはいけないわ、と釘を刺される。真実を知るのは彼女以外には一人くらいしかいないらしかった。その人物も水の勇者レイラが旅をしていたときの仲間。水の勇者の旅を深く知る者しか知らない秘密。


「もしかして、旅をしていた頃から既に、レイラ様はそうだったのですか……?」


「そうよ」


 静かにヨリミエラが首肯する。水の勇者が旅をしていたことは、アシュワノットの民はほぼ知っている。彼女の旅の果てに再建された国がアシュワノットだから、当然だった。そして、滅亡前からの王族で、かつ勇者と共に魔物と戦っていたヨリミエラは、英雄の一人として語られている。


 ちなみに、もう一人の仲間のほうの名は広まっていない。それが誰なのかを知る者もいるらしいが、バリエラは耳にしたことがなかった。


 そして、語られる水の勇者の英雄譚のほとんどは、アシュワノットを再建した以降の話が多い。旅で起きた出来事は、バリエラですらあまり知らなかった。


「……話してくれませんか? いったい何があったのかを。どうしてレイラ様は私とルーイッドに話してくれなかったのかを」


 勇者や賢者に与えられた魔王討伐という使命。生まれたと同時に背負った宿命は、簡単に捨てられるものではなかった。魔王が存在する限り、この世界は壊れてしまうのだから、逃げることなど最初からできない。だからこそ、バリエラは水の勇者が使命と向き合えなくなった理由を知りたかった。


「もちろんよ」


 ヨリミエラは慎重に言葉を選んでいるようだった。そして順を追って話をする。


「まず、レイラがあなたたちに話さなかった理由からいきましょうか。これは簡単な話で、きちんとした勇者を演じたかったというだけなのよ。元々、見栄っ張りなうえに、国の再建後は尚更、人に弱みを見せようとしなくなっていたから」


 といっても私からすれば、ボロが出すぎていて逆に心配だったのだけれどね、とヨリミエラは付け加える。ルーイッド相手に手を焼くところをよく見ていたので、バリエラはすぐに納得できた。


「元から相談できる相手が少なすぎたのよ。国を再建した後は多忙で、しばらく自分の使命のことを忘れることができたみたいだったのだけれど、落ち着いてからは再び悩みだすようになっていたわ。こんな自分が勇者を続けてもいいのかって」


「…………」


 近くにいたのに全然気が付けなかった、とバリエラは思い返す。正直、国に来た最初の頃は、馴染むのに精一杯になりすぎて、周りに気を配る暇などなかった。悩みの兆しに反応できるほどの余裕が、当時のバリエラには一切なかった。


「それで、ここからがレイラが使命と向き合えなくなった理由なのだけれど……」


「……?」


 突然、言葉を切った陛下をバリエラは不思議に思った。どうかしたのですか、と問いかけてみると、彼女はただ首を振って、大丈夫と言った。


「少し経緯が込み入っていて、説明が難しいのよ。レイラの旅について、バリエラちゃんはどこまで知ってる? 何人で旅をしていたか、なんて聞いたことあるかしら?」


「レイラ様を含めて……三人、ですよね?」


 今更な話にバリエラは顔をしかめる。当時の水の勇者が共に旅をしていたのは二人だけだと、人々の間で伝えられている。片側はヨリミエラで、もう片方が例のもう一人だった。


「実は違うのよ。事情あって三人で旅をしたことにしたのだけれど、実際は四人なの。……多分、バリエラちゃんも名前だけなら聞いたことある人物のはずよ」


「この城にいたことがある人ですか?」


「いえ、いないわ。彼とは旅の途中で決別してしまったから」


 城にいたことがないのに名前だけは知っている。バリエラは思考を巡らせる。だが、該当しそうな人物など浮かび上がるはずがなかった。やがて、ヨリミエラが答えを告げる。


「その人の名前はエルジャー。かつて昔の国々を滅ぼした、炎の魔王とも呼ばれた裏切りの勇者」


「――!?」


 魔王という単語に、全身の毛が逆立つかのようにバリエラは硬直した。


「私たちはあの人と共に旅をしていたの。もちろん、炎の魔王だということは当時の私は知らなかったのだけれどね」


「そんな、でも勇者エルジャーは……」


 水の勇者の旅にエルジャーが加わっていたと聞いて、バリエラの思考に混乱が渦巻いた。裏切りの勇者ということであれば、むしろ魔王討伐の障害になる。普通に考えるのなら、敵であったに違いなかった。


 しかし、それにしてはヨリミエラの顔に嫌悪はない。それどころか、昔の友人を思い出しているかのように穏やかで、それでいて悲哀に満ちた表情だった。


「意外に思うかもしれないけど、レイラにとっても大切な仲間だったのよ。私も何度も命を助けてもらったわ」


 予想もしなかった話を立て続けに聞かされて、バリエラはどう反応すればいいか分からなくなっていた。ヨリミエラは物憂げな微笑を浮かべた。


「今の彼がどうなったのか、私は知らないわ。もしかしたら、死んでしまっているのかもしれない。だけど決別の時、彼は魔王としてレイラの前に立ちはだかった。そしてレイラと彼は戦った」


「それで、結果はどうなったんですか?」


 ヨリミエラは首を横に振った。先程から混乱してばかりだったバリエラは更に困惑した。


「決着はつかなかったのよ。というより、うやむやになってしまった。レイラにはエルジャーを殺せなかったでしょうし、エルジャーもどういうわけか、戦いたがらないレイラを見逃した」


「…………」


「戦いは持ち越されてしまったの。レイラが魔王討伐に行くときに再び現れると、彼は言い残したわ」


「――ッ!?」


 バリエラはただ絶句した。炎の勇者が最終的にどうなったのか、バリエラは召喚される以前に、創造神たちから聞かされていた。炎の勇者は復活した魔王に取り込まれてしまった、と。


「もしかして、レイラ様が魔王討伐に行けないというのは……」


「エルジャーはレイラにとって先生だったわ。慕っていた相手とは戦えない。レイラは優しいから、尚更ね……」

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