第49話 賢者は眠りから覚める

「……?」


 チクリと刺すような頬の痛みに気づく。誰かに頬をつねられたようだ。まどろみを邪魔され、ルーイッドはゆっくりと薄くまぶたを開く。まず、真っ先に視界へ飛び込んできたのは、やや透き通った銀髪を虹色に光らせる妖精の顔。目にぶつかるかと錯覚するくらい身を乗り出していた。


「…………」


 まだ、まどろみが消えないルーイッドは、とりあえず重かった両目を閉じた。


 頬を小さな拳でぶん殴られた。


「ちょっとぉおおおおー! 一度、起きたんなら起きるのぉ! もう、太陽とっくに昇ってるのっ! あたしが起こしてやってるんだぞぅー」


「……。アルエッタ、そんな叩き起こす真似をしなくてもいいじゃないか……」


 やや遅れた返事をした賢者は、背中を起こして、ぼんやりと天井を見上げた。耳をつんざく高い声を鬱陶しく思いながらも、寝違えたかのように固まった首をゆっくり回しつつ、周囲を一瞥する。


 宿屋の四人部屋だった。ほんのりと色味のついた白茶の壁と濃い木目の床板で四方は囲まれている。部屋の半分に四台のベッドが配置されており、他には机、椅子、壁際には衣装棚が見えた。ルーイッドがいるのは一番隅のベッドの上で、ちょうど近くの窓から光が反射して目が眩しい。


 日中の明るさと妖精の騒がしさが、目覚めたばかりの頭に直撃する。おかげで昨日の出来事が鮮やかに蘇りはじめた。


 水の勇者と白銀の怪物の争い。突然、現れたノルソンと、かつて氷の魔人と戦った銀髪の少女勇者。それから水の勇者の変異と、呼応するように出てきた巨大な炎の人影。水の勇者を始末しなければならないと言い放ったノルソン。そして与えられた猶予期間。


「……いや、起こしてくれて、ありがとう。それでアルエッタ、今の時間は?」


 五日間という制限時間の中で、水の勇者を魔王討伐する仲間だとノルソンに認めさせなければならない。やるべきことを思い出し、休んでいる暇がないと自覚した。つい辛辣な反応をしてしまったが、アルエッタに無理やり起こしてもらって良かった。


「めちゃくちゃ寝坊してるよーっ! 今日はねー」


「えっ……、ルーイッド様? 起きられたんですか!?」


 開けられた扉が鈍い音を立てて、アルエッタの声を掻き消す。入ってきたのはサユイカだった。驚いた表情を浮かべた彼女は、目にも止まらぬ速さでルーイッドがいるベッドの脇に立つ。


「お目覚めになって良かったです。も意識が無かったので」


「…………?」


 一瞬、聞き間違いのように感じられた。


「あれ? 僕がアカに連れられてサユイカたちと合流したのって昨日のことだよね……?」


「いえ、一昨日で間違いないです。ルーイッド様は、昨日は気絶したかのように眠り続け、一日をベッドの上で過ごしていました」


「つまり、昨日の僕は寝てただけ?」


「はい、その通りです」


「…………」


 ルーイッドは再びベッドに倒れた。アルエッタとサユイカが慌てたように大丈夫かを尋ね始める。体はなんということもない。ただ一瞬、現実逃避をしたくなっただけだった。


 時間が無いと気持ちが急いているのに、貴重な一日を寝て潰してしまったということになる。失態過ぎて頭が痛くなるような思いだった。


「とにかく起きるよ。さすがに、これ以上じっとしてるわけにはいかないし」


 再び起き上がろうとして、凝り固まった背中が軽く痛みだす。身体へのダメージが残っているのか、あるいは、横になりすぎて筋肉が固まってしまっているかのどちらかだろう。


 頭もどこか貧血気味のような気持ち悪い浮遊感がある。それから少し肌寒い。近くの椅子に親衛隊の制服が上衣だけ引っ掛けられていた。ルーイッドは自分の上半身がシャツだけになっていることに、今になって気がついた。


(……そういえば、眠る直前のこと全然覚えていないな)


 どうやら宿に連れられて、そのまま気絶してしまったらしかった。


 やってしまったと溜息を吐いた賢者に、サユイカが宥めるように声を掛けてきた。


「大丈夫です、ルーイッド様。たかが一日です。正確に言えば、今日はお昼を過ぎていますので丸一日と半日、惰眠で時間を浪費したというだけです」


「駄目だよぅ、サユイカ。死体打ちだよぅー!」


「いえいえ、どうせ直視しなければならない現実です。今ぶつかって頂くのが親切というものでしょう」


「サユイカ、辛辣だぁー」


「…………。とりあえず、服を着ていいかな?」


 切り替えていくしかないと自分に言い聞かせる。手足を動かしながら、自分の身体が正常に動くかどうか確かめた。幸い、骨や関節に異常はなさそうだった。筋肉の痛みと疲労感に関しては、それほど気にするほどでもないだろう。


 ベッドから降りて、枕元で畳まれた制服に手を伸ばして袖を通す。その際、バリエラからもらったイヤーカフスも見つけたので、耳に付けておく。


「もっと寝てた方がいいんじゃないのー? ぶっちゃけ、顔色あんまり良くないよー」


「だろうね。まさか一日半も寝過ごしていたなんて思ってなかったからね。鏡を見るまでもないかな」


「一応ですが、無理はなさらないほうがいいですよ、ルーイッド様。寝てる間に治癒魔法を掛けましたが、どうも効き目が悪いようでして……。なんなら今からバリエラ様に連絡して、来てもらいましょうか? きっと飛んで駆けつけてきてくれますよ?」


「……そういえば、どう説明しようかな」


 駆けつけるくだりは置いといて、事態をまだ知らないバリエラにどう伝えるかは悩ましかった。今回の件は水の勇者が深く絡んでいる。恩師が敵になったとそのまま報告するのは、やはり躊躇いがあった。


「ちなみに、今回の事態は城に報告済みです。物凄く不機嫌そうな声で、『大丈夫とか言ってた癖に、やっぱり怪我してるじゃない』とバリエラ様が愚痴をこぼされていましたよ」


「そっか、悩むまでもなかったかー。バリエラ、ちょっと平常運転過ぎるんじゃないかな。まぁ、とにかく僕は帰ったらバリエラの説教が待っていることが確定しているみたいだから、アルエッタ、サユイカ一緒に巻き込まれてくれない?」


「えー、やだ」


「もちろん嫌です。拒否します」


「仕方ない。腹を括っておくよ」


 二人ともにっこりと拒絶の意思が込められた笑みを見せつけてくる。ルーイッドも冗談交じりだったので特には気にしない。それよりも残りの二人がどこへ行ったのかのほうが気になった。


「ところで、クラダイゴさんたちは?」


「来客対応中で今、隣の部屋にいますよ?」


「……来客?」


 魔物の調査という名目で町にやってきている賢者たちだった。訪ねてくる人がいたとしても、最初に話を通しに行った町長か、その周辺の者たちくらいしか心当たりはない。善意からの情報提供か、あるいは苦情の類であろうか……。だが、サユイカの返答はまったく予想と違うものであった。


「はい。なかなか可愛い女の子がやってきたんです。もう、ルーイッド様、いつの間にあんな子と仲良くなっていたんですか! 私にも紹介してくれても良かったんですからね!」


「……いや、まったく心当たりないんだけど」


「ルーイッドぅー、もう忘れてるのー? 頭ボケた? ほら、あの子だって」


「いや、あの子って言われても……」


 眉をしかめ、首を傾げて記憶を辿ろうとする賢者に、今度は妖精が揶揄混じりで口を挟んできた。


「ノルソンと一緒にいた、あの子だよ。ミドと殴り合っていた!」


「――それを先に言ってよ」


 魔導人形の勇者という銀髪の少女の顔が脳裏によぎる。途端に、疑問より不安のほうが先立った。まさか自分の気絶中に、事態が動いてしまったんじゃないかという悪い予感が胸を騒がせる。賢者は部屋の二人を置いて飛び出し、慌てて隣の部屋の扉を開けた。


 部屋では件の少女が、テーブルでクラダイゴや竜の勇者と向き合うように座っていた。少女――メキは白銀の瞳を賢者へと向けた。


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