4.堕ちた勇者
第48話 水の勇者は眠り続ける
――――賢者が二人そろって、しばらく経った頃のことだった。
「いいですか、バリエラ、ルーイッド。魔法は感覚に頼りすぎてはいけません。知識と経験によって魔法は制御できるものなのです」
水の勇者であるレイラは、後輩である賢者たちに、初めて魔法の講釈をした。傍観するミエラが呆れた視線を送り続けている。あなたがそれを言っちゃいけないでしょ、と言いたげな目だった。
当然のようにレイラは気づかない振りをした。過去に暴発させまくって迷惑をかけまくった経験から、どちらかといえば魔法の制御は苦手だという自覚はあるが、そんなことをわざわざ二人に打ち明けるわけがない。
「あのー、僕、魔法兵の訓練に加わって、同じように詠唱したのに、全く威力の違う魔法が出たことがあるのですが。……主に火力が高すぎるという意味で」
「――魔法は扱う人の素養にも影響されます。魔法の適性が高い人ほど、攻撃魔法の威力が強かったりするみたいですよ?」
事前に書物で得た知識を、あたかも有識者であるかのようにレイラは披露する。
「……じゃあ、私が召喚されて、暴漢をぶっとばしたときも」
「勇者は最初から高い適正を与えられているので、……そういえば二人は賢者でしたっけ? とにかく私たちの場合は、行使する魔法が一般の人のそれより強力になると思ってください。暴発したら大惨事になるので注意しないといけませんね」
ここばかりは実感をもって話せるので強調する。講義を素直に受け入れてくれる二人がレイラには新鮮だった。召喚された者の先輩としての振る舞いに気合いが入る。今のところ、講義は順調そのもの。だが、何故かミエラは呆れたようにやれやれと首を振っていた。
――――魔物の脅威がない地を築かなければならない、と決意した後のことだった。
「ようこそ、シャフレへ。……って言っても、今は廃墟しかないけどね」
「ここがミエラの故郷なんですね」
かつて滅ぼされたという亡国アシュワノット、その首都だった街シャフレ。彼との約束を果たすため、レイラがヨリミエラと共に新たな拠点に選んだのが、このシャフレの町だった。現在、ヨリミエラの従者たちが、昔の城や街に分け入って片付けなどをしている。もう一人の仲間であるクラダイゴは、南の商人組合に助力を請うために、この地を離れていた。
元王族だったヨリミエラにとって思い入れがある地。国づくりの出発地を選ぶにあたって、レイラはここしかないと決めていた。
「今更なんだけど、本当に良かったのかしら? 私に気を遣う必要はないのよ?」
最近になって、二十歳になったヨリミエラが問い掛けてきた。もはや一国の首都があったという面影は残しておらず、南側を砂漠に隣接させるような貧相な土地となったアシュワノットを再び興していいのかという問いだった。レイラはただ頷いた。
「肥沃な土地は砂漠を越えて更に南へ下っていけば、まだ残っているかもしれません。けど、私はここでいいと思います」
「……」
「元々は緑豊かな国だったんですよね? だったら、それも含めて復活させてみましょう。かつてのミエラの故郷を、私も見てみたいですし」
レイラは自分の仲間に微笑みかけた。かつて自分に先を示してくれた人のように、自分も勇者らしく振る舞ってみたつもりだった。
「うん、気持ちは嬉しいわよ。でも、レイラって計画性がないから、ちょっと不安なのよね。あの人と違って……」
「――私、そんなに頼りないんですか!? ミ、ミエラ?」
――――これが最も古くて、最も鮮烈で、最も大事な思い出だった。
「いたか?」「いや、見つからない」
ハッと気づいて水色髪の少女は目を覚ます。あの男たちの声だった。もっと遠くまで逃げていれば良かったと後悔する。
「――っ!」
間近を捜索する足音が、鼓膜と心臓を震わした。少女は左右を見渡して、まだ路地の先に誰もいないことを確認すると、急いで音から遠ざかるように駆け出す。
「誰かいるぞ! 追え!」
駆ける物音に反応して捜索していた集団が動き出す。しかし、そんなことは関係ないとばかりに少女は加速していく。勇者である少女が本気で走れば、並の人間には追いつくことはできない。
絶対的な身体能力があるという自信。だから、少女は足元にまでは注意を向けられなかった。
強烈な痛みを右足に感じて、水色髪の少女は体を転倒させた。
「――いっ!? あっ……」
思わず呻く。尋常でない痛みで一瞬、気絶するかと思った。振り返れば、右足が鉄の歯に噛み付かれている。さらに足裏に杭のようなものが突き刺さっている。血がだらだらと流れ落ちていた。
少し遅れて、少女は絶命の状況にいることに気づく。足はまともに動かせる状態ではない。それでも追っ手は迫ってくる。逃げなければならなかった。逃げなければ殺されてしまう。
一瞬、抵抗するという思考が頭をかすめる。水の奇跡を行使すれば、容易く人の命を奪えるだろう。だが、それを考えた途端、心臓が枷を付けられて引き絞られるような感覚に陥る。足の痛みよりも強烈な苦しさが胸をよぎった。
とにかく逃げることを考えなければならない。だが、もがくたびに痛みは酷くなる。少女は罠というものを初めて見た。どう外せばいいか分からずパニックになっていた。焦りだけが募る。目尻に涙が溜まっていく。武装した集団はもはやすぐそこまで迫ってきていた。
――人の皮を被った魔物めっ! ――村に入ってきて何を企んでやがるっ! ――子どもの命を狙っていたな、さてはっ!
恐慌ゆえに血相を変えて、次々に手に武器を取って、襲いかかった彼らの声を思い出す。これまで魔物に大事なものや人を奪われ続けた彼らの疑心暗鬼を解く方法が見つけられなかった。
逃がすな殺せという憎悪の言葉が、少女の心を刺し貫く。今まさに追ってきている彼らが発している声そのものだった。迫った彼らは少女を取り囲もうとする。
ここまでかもしれない……。少女は諦めに似た気持ちで、その場を動けないでいた。
「――いったい何の騒ぎだ」
ぎょっとした顔で人々の動きが止まる。いつの間に現れたのだろうか。少女の目の前で、麻布のローブを身に付けた人間が立ち塞がっていた。
「物騒なうえに目障りだ。死にたいのか?」
「ば、化け物の仲間か?」
武装した村人の一人が言うや、彼の目の前で地面が火柱をあげて爆発する。それだけで身の危険を感じた集団は、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。誰もいなくなってからローブの男が少女へ声を掛けた。
「……さて、事情を聞かせてもらおうか」
ローブの男がこちらを振り向く。フードの中にあったのは犬の顔だった。
「!? ぎゃあああああ、化け物ぉおおおおっ!」
「…………お前まで間違えるな」
面倒くさそうに男がフードを取り払う。そこから晒されたのは、犬の面を被って素顔を隠した赤髪の男だった。
山岳の頂上で黒い魔物たちに護衛されたい水の勇者は黒い繭に包まれながら、ひたすら眠り続けている。記憶の檻に閉じ込められていることには、未だに気がつかない。
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