第46話 賢者は行動を迫られる

 二体の鋼鉄の怪物が川岸に居座ったまま、徐々に姿を消失させていく。強襲甲虫型スカラシルダー急襲土竜型モーディグ。ノルソンが召喚した、機械獣マキナスレイヴと呼ばれる異世界の自律兵器たち。今まで暴れていたのが嘘であるかのように、身動き一つせず、自身の消滅を待っている。


 まるで命の糸が切れてしまったんじゃないか、とルーイッドは乾いた砂利に腰を据えながら、蒸発するように消えていく彼らを見守っていた。


 ノルソンの説明で、二体とも完全停止させただけであり、これから異空間に戻さなければならないと聞いていた。


 彼らの回収が終わるまでには、答えを出さなければならない。ルーイッドは悩んでいた。


『まず、俺たちの状況について説明しよう』


 少し記憶を遡り、黒く染まった水の勇者が立ち去った後、ノルソンが語った内容を思い起こす。再び整理しながらだったが、ノルソンは丁寧に経緯を説明してくれた。


 彼らが水の勇者を襲撃した理由は主に二つ。背後にいる魔人を釣り出すためだったことと、創造主たちから戦力外の勇者の排除を指示されていたからだった。


 前者については、もはや聞くまでもなかったが、後者については、ノルソンは『神たちも仕方なく決定したことだ』と念を押してから説明しだした。


 まずノルソンは、神たちが新たな勇者を生み出せない状況に陥っていると語った。原因は勇者を召喚しすぎたことにあった。特に、魔導人形の勇者であるメキと、三つの人格を有する竜の勇者。強力な勇者を連続で召喚したことで、世界に負担が掛かりすぎ、追加の勇者の召喚枠が潰れてしまった。


 その一方で、完全消滅した勇者はほとんど存在しない。勇者へ与えられた創造世界の力が、神たちの元へ還元されなくなった結果、新しく勇者を創造するのに必要な力が、この世界には無くなってしまった。だから、神たちも選択を迫られることになった。


 ――現状の勇者たちで魔王を倒せないなら、魔王討伐の意思が無い者や、足手まといになる者は切り捨てるしかない。新しい勇者の枠を空けなければならない。


 それが、神側が今回のことを意図した目的らしかった。


 選別の対象は基本的に勇者のみ。そして、ノルソンが最初に始末する対象として選んだのが、水の勇者だった。


 水の勇者は実力もあり、召喚されて以降、魔物の駆除などで活躍していたが、魔王討伐に関しては非常に消極的だった。魔人が出現した昨今でも姿を見せようとしなかったことも理由らしい。


 しかし、勇者を消すということ自体、ルーイッドには抵抗があった。だからこそ、説明が済まされた後も、ルーイッドは一人で食い下がることになった。


『誰も殺さないという方法は取れないんですか? 別に新しい勇者がいなくても僕たちで魔王を討伐できれば……』


『それが可能と判断するのは神たちだ。俺はただ、戦力にならないと判断した勇者を排除するための駒でしかない』


『それでもレイラ様の命を奪うのは……』


『なら、君は責任を取れるのか? その躊躇や迷いが、世界の滅びを招く可能性すらある。現状で、戦力外の勇者を遊ばせておく余裕はない』


『…………それは』


 返せる言葉はなかった。賢者であるルーイッド自身にも魔王討伐という使命は与えられている。だからこそ、水の勇者の命を天秤にかけられても、反論ができなかった。


『水の勇者がいなくなるのは残念な事かもしれない。だが、魔王討伐の為と割り切って協力してほしい。いい返事を期待している』


『…………………』


 割り切れるはずないじゃないか。自らの不甲斐なさに賢者は拳を握りしめるしかなかった。



 ◇ ◇ ◇



 沈む気持ちを自覚しながら、ルーイッドは二体の機械獣マキナスレイヴが消えていくのを、川岸に腰を据えて眺めるしかなかった。あの鋼鉄の怪物たちのように、自分の消滅すらも受け入れるくらいに、心が淡白であれば、気を病むこともないのかもしれない。


 だが、実際にはジレンマに強く縛りつけられていた。そう簡単に切り捨てられないくらいには、賢者たちにとって、レイラは恩師であり恩人でもあった。


 召喚されてから日が経っていない頃、神に与えられた力を制御しきれなかった賢者たちに奇跡の扱い方を教え、暴発させがちだった魔法の素養を管理し、一人前になるまで面倒を見てくれた家族のような存在だった。


 当然、彼女が忽然と消息を絶ったときは、酷い衝撃を受けた。各地で湧く魔物への対処すら忘れて、自ら捜索に身を乗り出しそうになったほどだった。結局、何か事情を知っている様子だった陛下のヨリミエラに引き止められてしまったが。


「……はぁ」


「ここにいたか、賢者」


 突然、砂利に軽い音を立たせながら、空から竜の勇者が着地した。少し驚きながらも、ルーイッドは隣に立った少年姿の勇者を横目に見上げた。真っ赤なコートが一番先に目に入る。どうやら、しばらく姿が見えなかったのは、投げ捨てた服を拾いに戻っていたかららしかった。


 だが、その姿からは普段のアオのわんぱくさや、ミドの穏やかさも感じ取れなかった。むしろ、その場に渦巻くのは威圧されるかのような圧迫感。それから、瞳が赤色に染まっていることに気づき、ルーイッドは事情を把握した。


「アカ。珍しいね、君が出てくるなんて」


 竜の勇者の三番目の人格、アカ。最も好戦的な覇竜の人格。どうも機嫌が悪いのか、表情は少し苛立たしげだった。


「ふんっ、緑が勝手に気を落として、我が出てこざるを得なくなっただけだ」


「ミドが? 何かあったっけ……?」


「大方、あの人形勇者にあしらわれたのが原因だろう。実力の半分も出せず、最後まで言い様にされ、不甲斐ない戦いをしてしまったからな、奴は」


 アカはちらりと滝のほうへと目をやった。そこでは魔導人形の勇者であるメキが戦いで散った機械獣マキナスレイヴたちの破片を回収していた。そういえば、異世界の技術の痕跡は残せない、とノルソンが呟いていたのを思い出した。


「緑は裏にこもって考え事をしたいらしい。……普段は我に、あれほど表に出るなと言っておいて、都合が悪いときは我任せにするとはな。まったく迷惑な話だ」


 表の人格にアカが顕現しているせいか、竜の勇者は途方もない皺を眉間に刻んだ剣呑な顔つきになっていた。それが裏へ押し込められ続けていたことへの鬱憤なのか、それとも引き籠ったミドへ焦れているだけなのか、はたまた両方なのかは、ルーイッドには判別できない。


「まあ、アオじゃ難しい話は理解できないからね。頼られたんだと思うよ」


「それくらい分かっとるわ」


 見開かれた赤い両眼に睨まれた。強烈な気が含まれていたのか、賢者の身体はすくみ上がりそうになる。勿論、アカにそのつもりは無いだろうが、本来の竜の魂を無理やり子どもの肉体に押し込めているだけあって、少しの所作でも力が漏れ出してしまうようだ。


 こちらが気に当てられたことはアカも気づいたようだが、特に意を介さずに彼は話を続ける。


「だがな、仮にも勇者である以上、これしきで気を落としていれば身が持たぬ。悲劇が起きぬ争いのほうが珍しいのだからな」


「悲劇が起きないほうが珍しい、か……」


 達観した見方だと率直に感じた。理解はできるし、半分は共感もしていた。氷の魔人のときにルーイッドも悲劇は味わっている。だけど、アカの言葉は、今この瞬間の現状すらも割り切ってしまっているようで、ルーイッドは呑み込みきれないでいた。


「アカって結構、あまり深く考えず、物事を簡単に割り切っちゃうほう?」


「……その物言いは失礼とは考えなかったのか、賢者」


 眉がピクリと跳ね上がったのを見て、ルーイッドは慌てて謝った。ほんの少し思ったことが口から出てしまっていた。


「失言だった、ごめん。だけど、ちょっと悩んでてさ。……ノルソンさんはレイラ様を討たなければならないって言ってたけど、それで本当にいいのか分からなくなっちゃってさ」


「ああ、貴様も緑と同様に、気落ちした者同士だったか」


 途端にアカがげんなりした表情になる。実はミドも同じような事を話していたのかもしれなかった。何故、われが相談事を受けねばならんのだ、と煩わしそうだった。


「良いか、賢者。悩むのは悪いことではないが、最終的には貴様は決断せねばならない立場にある。無論、我も緑も青も最終的にどうするかは、貴様ら賢者に委ねるつもりでいる」


「……えっ?」


「意外なことでもないだろう。生憎、我らは人を守護するにも導くにも、外見が少し特殊すぎる。それならば一兵として動く方が、より使命も果たしやすいと判断したまでだ」


「…………使命か」


 ルーイッドは重い息を吐いた。改めて、与えられた使命の重圧を感じた気がした。魔王討伐という勇者や賢者たちの使命。果たせれば世界は持続し、果たせなければ世界は崩壊する。魔王の存在だけで世界の破滅は徐々に進行している。


「やっぱり、ノルソンさんが言うように世界の為にはレイラ様を……」


「それはやや安直すぎる」


 急にアカに言葉を遮られて、きょとんとルーイッドは彼の顔を眺めた。どういうことなんだと尋ねると、流石にそれくらいは貴様自身で考えろ、とアカに軽く蹴られた。


「――そろそろ答えは出たかい? 回収がそろそろ終わりそうなんだが」


 機を窺っていたのか、アカの話が区切られたところで、ノルソンが声を掛けてきた。咄嗟に立ち上がろうとして、反動で痛む脚のせいで、ルーイッドはその場で尻餅をつく。慌てすぎだとノルソンに揶揄される。同じ轍を踏まないように、今度はゆっくりと立ち上がった。


「水の勇者の討伐に協力してくれるか、そろそろ返事をもらってもいいかい?」


「……まだです。ノルソンさんの話を信じないわけじゃないし、状況を頭で理解してないわけでもありません。だけど、心で納得ができない」


「手を掛けるのを恐れているのだとしたら、彼女と関わりが薄い俺とメキが直接ぶつかってもいい。最悪、君たちは水の勇者との戦いには関与しないという手もないわけじゃない」


 ノルソンが配った視線に気づいたのか、滝の周辺にいたメキが首を傾げた。


「そもそも君たちをエベラネクトまで誘導したのは、水の勇者の現状を君たちの目で確かめて欲しかったからだ。いつか事実を知られたときに、恨みを買いたくはなかったからね」


 剥き出しになったノルソンの人工肩の上で、いつの間に留まっていたのだろうか、金属の鳥が目を光らせていた。賢者たちがエベラネクトに到着したときや、先ほどの戦いでノルソンに合図を送っていた鋼の鳥。どうやらノルソンの言う機械獣マキナスレイヴの一体だったようだ。


「最終的には、俺は君たちが魔王討伐には必要だと思っている。だからこそ、この戦いから手を組みたいんだ」


 握手を求めてノルソンが、鋼鉄が露出してしまった右手を差し伸べてきた。動けなくなったルーイッドを庇ったことで剥き出しとなった金属腕。ルーイッドは躊躇いながらも、その手を握ろうと右手を出そうとした。


「賢者よ、迷いを抱いたまま選択しても、後悔しかせぬぞ」


 ぴたりとルーイッドの手は動きを止める。それから自身を落ち着かせるように、ルーイッドは軽く仰ぎながら目元を両手で覆い隠す。先程の声の主は、後ろで様子を窺っていたアカだった。


 やがて、決断した末にルーイッドは、ノルソンの手は取らずに、代わりに頭を下げた。


「…………時間を頂けないですか? ノルソンさん」


「考える時間は十分に与えたと思うんだが……?」


「そうじゃなくて、行動する時間が欲しいんです。レイラ様は操られているだけの可能性もあるんですよね? 自我を取り戻させて、魔王討伐に行くことを説得できれば、ノルソンさんがレイラ様を狙う理由はなくなる。そうじゃないんですか?」


「…………あまり成功率が高くなさそうだが、確かにその場合だと、俺が水の勇者を狙う必要はなくなるかもしれないな」


「説得に成功すれば、レイラ様も味方にできます。失敗すれば、ノルソンさんが言うように、レイラ様の討伐に協力します。機会と時間を下さい、お願いします」


 水の勇者が戦力外として認識されなくなれば、ノルソンが彼女を討つ理由は消滅する。勿論、その場しのぎの保留案でしかないのは分かっていた。だが、ノルソンはルーイッドたちを戦力として買ってくれている。だからこそ、こちら側からの提案を無下にすることはないと信じた。


 難しい顔をしてノルソンが腕を組んだ。リスクは高そうだと呟きながらも、ルーイッドやアカ、それと部品拾いをしているメキにも目配せをしながら、何かを熟慮しているようだった。


「それほど長くは待てない」


「……どのくらいですか?」


 神経を張り詰めながら賢者は訊き返す。するとノルソンは五本指を立てた。


「期限は五日後だ。その間、俺たちは監視に徹する。事情は分からないが、嬉しいことに、水の勇者はこの地を離れる素振りがないからね。……それでも一応、忠告しておくが、説得の実行は早いほうがいい」


 立てた指を全て折り畳み、ノルソンは身動きしない強襲甲虫型スカラシルダーたちに目を向ける。現在、回収はほぼ済んでいて、残りは脚部の一部が残るのみだった。背中を向けたまま、黒髪紅眼の青年は、抑揚のない冷たい声で告げる。


「期限を過ぎた時点で、俺とメキは水の勇者の討伐を決行する。期限を過ぎる前に、水の勇者がこの山間部を離れた場合も同じだ。――裏切りの勇者を逃がすわけにはいかない」


 同時に機械獣マキナスレイヴたちの姿が完全消失した。回収が完了したようだった。ノルソンは水辺を歩いていたメキに手を振った。


「多少の助力はするが、全ては君たち次第だ。健闘を祈らせてもらう」


「頑張ってね」


 そのまま立ち去るノルソンに続くように、メキも一度こちらへ手を振ってから彼の後ろを付いていった。離れていく二人を見送りながら、ルーイッドは全身から力が抜けていくのを感じていた。崩れ落ちそうになったところを竜の勇者の小柄な体によって支えられる。


「おい、賢者、大丈夫か?」


「……ごめん、助かったよ」


「じゃ、じゃーん。今更ながら私、登場!」


 まるで全てが終わるのを待っていました、とでも言うかのように、ひょっこり姿を現した妖精に賢者たちは白い目を向けた。


 今まで本当に何していたんだ、と問い掛けるような視線を浴びてアルエッタは、『だって戦闘じゃ、あたし足手まとい確定だし、隠れるしかないじゃんっ!』とむくれるように言い訳をしはじめる。確かにアルエッタは戦闘力皆無。責めるわけにもいかない。


「ひとまず、町に戻ろうか。サユイカやクラダイゴさんたちとも合流して、話し合わないと…………?」


「どうかしたか?」


「どうしたのー?」


 不意に言葉を切ったルーイッドを、竜の勇者と妖精が怪訝そうに見つめた。


「ごめん、アカ。運んでもらってもいい? 体が限界で、これ以上は歩けない……」


 激しい消耗と気の緩みの末に、脚の震えがついに隠しきれなくなった賢者は苦笑いを浮かべるしかなかった。

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