第45話 青年は勇者を襲撃するⅡ

 暴風が生んだ斬撃が地面を抉り飛ばしながら、ノルソンを吹き飛ばす。舞い上げられた小石が、通り雨のように周囲に降り注いだ。


 疑いようもない直撃。だが、ルーイッドは緊張を緩められなかった。最初からノルソンは余裕を崩していない。むしろ気を抜けば、倒れるのはルーイッドのほうだった。魔法や奇跡の酷使の反動は、既にそこまで自身を蝕んでいる。


「…………っ!?」


 土煙が晴れて、姿を現れたノルソンには手傷が無かった。せいぜい服に土汚れが付いた程度。手にしていた長剣は亀裂だらけで使い物にならなくなっていたが、逆を言えば、それだけでルーイッドの渾身の一撃を防ぎ切ったということになる。


「なるべく壊したくなかったが、しょうがないな」


 壊れた剣を虚空の隙間へ片付け、ノルソンは新たに二本目の長剣を抜きだした。


かわすのであるっ! ルーイッド殿っ!」


 背後から迫るようなミドの声に気づき、賢者は跳び退いた。すかさず、その場所を疾風はやてのように銀髪の少女が通り過ぎ、ノルソンの前で静かに停止する。彼女はくるりと体の向きを変えると、白銀の瞳に冷徹なを宿して、賢者と対峙するように拳を構えた。追うように竜の勇者がルーイッドの傍に着地する。


「ミド、戦いはどうなった?」


「まだ途中である。それよりもルーイッド殿、後ろに退くのである。……私の本気に巻き込むわけにはいかぬっ」


 表情こそ澄ましているミドだが、語気は猛るように強かった。握り拳からは緑色の炎が漏れている。穏やかで動じない性格の彼が、焦りを浮かべていた。本当に手強いらしい。


 一方で銀髪の少女は、ノルソンに話しかけているようだった。


「ノルソン、……大丈夫?」


「全く問題ない。持ち込んだ剣が一本、壊れただけだ」


「なら、良かった」


 銀髪の少女がノルソンの前へと立つ。あたかも一人でルーイッドたちの相手をするかのように身構える彼女に、賢者たちもまた戦いの姿勢をとる。ひとまず、ルーイッドは言われたように、ミドの背後へ退いた。


「ルーイッド殿、来るぞ。援護は任せたのである」


 竜翼を揺らしながら、ミドの全身に緑炎がまとわりつく。戦いに臨まんとする竜の勇者の熱気を感じながらも、ルーイッドははやる思考を抑えて、自らを冷ますように意識する。


「ミド、やめよう」


「――っ!?」


「ノルソンさん、まだ、僕たちは戦えます。だけど、不毛な戦いをこれ以上、続けるつもりですか?」


 一応、いつでも戦闘になっていいように、剣には魔法を付与する。しかし、こちらに余力は残されていない。戦っても不利に陥るのは目に見えていた。だからルーイッドは交渉に掛けた。


 ノルソンは最初、こちらが戦いから退くように勧めている。だから、応じる可能性は十分にあった。


「なにを言ってるの?」


「メキ、ストップだ」


 前へ出ようとした銀髪の少女を、首を横に振ったノルソンが手で制す。ルーイッドも竜の勇者が動かないように、念のために諫めておく。互いに静止したところで、ノルソンが口を開いた。


「そうだな、君たちと俺たちの間で一時休戦をしてもいい。元々、敵対したいとは思ってなかったからな。それに君も、これ以上の戦いの継続は厳しいのだろう?」


「…………どうでしょうね」


「もちろん、水の勇者は例外だ。標的とは休戦するわけにはいかない」


「…………」


 反動の強力な負荷に耐え切れなくなりつつあることは、どうやら見透かしているらしかった。だが、それでも武力で応じようとせず、話し合いには応じてくれるのは助かった。


 ルーイッドは意識を手放さないように、ふらつきを必死に抑え、更にどう交渉すべきかを思考を働かせる。ノルソンには水の勇者への攻撃をやめてもらわなければならない。だが、簡単に上手くいくとは思えなかった。


「一度、戦いを完全に止めて、レイラ様を含んで交渉することってできませんか?」


「それは無理だな。結果が決裂しかない話し合いをするつもりは毛頭ない。でも、そうだな……。君と話をしている間は、俺とメキはここを動かないでいよう。たとえ君が、仲間を水の勇者を援護に回すとしても邪魔はしない。勿論、ここで一緒に戦いを傍観してくれてもいい」


「……驚くくらい、譲歩してくれますね」


「君たちに協力してもらいたいという意思は本物だからね」


 苦い笑みを浮かべながらルーイッドは、必死に頭を巡らしていた。こちら側へあまりにも有利なように提示してきたこともあり、何か裏がないかと推し量っていた。


「どうする? ルーイッド殿?」


「ちょっと待ってて、ミド」


「どうした? もちろん、援護しなくてもかまわないが」


 水の勇者と強襲甲虫型スカラシルダーの戦いは、滝の麓で繰り広げられていた。降り注ぐ水槍の嵐を、飛翔する白銀の巨体が踊るように避ける。さらに跳躍したレイラが強襲甲虫型スカラシルダーを、すれ違いざまに水の剣で斬り裂く。しかし装甲に傷一つない。宙に水の球体を生み出して、踏み台にしたレイラは更に鋼の背中に向けて跳ぶ。


「俺が出した機械の怪物。あれは機械獣マキナスレイヴと呼ばれる俺たちの世界の兵器だ。その中でも、あそこで戦っている強襲甲虫型スカラシルダーは戦場の最前線で、軍兵の盾として起用されることが多かった。簡単に壊される性能はしていない」


 唐突にノルソンから挟みこまれた解説は、まるでミドを援護に向かわせることを催促しているかのようだった。この二人が何か行動を起こしたとき、ルーイッドだけでは止めることはできない。だが、深読みの可能性も充分にありえる。故に、苛立ちが募った。


 その間にもノルソンは喋り続ける。


「逆を言えば、防御重視の強襲甲虫型スカラシルダーには、攻撃の決め手が無いのが弱点だ。機械獣マキナスレイヴ同士の戦いでは拮抗の末に、撃破されることも少なくない。そういう意味では、水の勇者が単身で、強襲甲虫型スカラシルダーと互角以上に渡り合えるような身体能力の持ち主だったのは、完全に誤算だった。こればかりは、さすがは勇者だと称えるしかない」


 時折、聞き慣れない単語を交えながら、ノルソンは饒舌に語っていた。メキと呼ばれていた銀髪の少女は、説明ばかりの長話に反応の素振りは見せず、ただ黙りこくっていた。


「だが、盾や時間稼ぎとして機能させるなら、実際のところ勇者以上だろうな。現実に今、水の勇者が戦っているが、完全に決め手を欠いて強襲甲虫型スカラシルダーを破壊できずにいる。戦いに決着がつくには長い時間がかかるだろう」


「……ミド、行ってくれるかい?」


「ここを任せても本当に大丈夫なのであるのか?」


「……多分」


 未だ確信を持てずにいるが、時間稼ぎしていると自ら口を割るくらいなので、やはり誘導の可能性は高い。だが、このまま話を聞いていてもらちは明かない。最悪、この二人が何かしてもミドなら対応できると信じて、援護に送り出すほうがいいと判断した。


「ちなみに、――ん?」


 不意にノルソンが途中で話を区切る。ちょうどミドを援護に向かわせた直後だった。上空で鋼鉄の翼を広げた鳥が、八の字を描くように滑空している。目撃したノルソンが一瞬、顔を陰らせた。彼の眼に剣呑な光が灯る。


 それを見た瞬間、ルーイッドの胸に嫌な予感がよぎった。


「邪魔はダメ」


 途端にメキが釘を刺すように、ルーイッドが行動を起こすのを咎めた。


「メキ、そこまでする必要はない」


「念のため」


 ノルソンが諫めるが、メキは首を横に振る。既に彼女はルーイッドの身体を羽交い絞めにしていた。驚きも困惑もしながら、ルーイッドは自前の奇跡で強引に拘束から逃れようとする。だが、身体強化がかかった肉体でも少女の力に抗うことはできなかった。


「――くそっ」


「傷を広げる真似はやめたほうがいいよ? どのみち、あなたの力では動けない」


「…………っ」


 もはや再三にも及ぶ魔法や奇跡の重ね掛けで、制御できなくなった強化の力が全身に悲鳴を上げさせていた。無理やり肉体を強化しようとして、自らの身体を引き裂いている。事実として、先程から鼻孔では血の臭いが漂い、口腔からは鉄の味がする。


 拘束を無理やり解くほどの強化を掛ければ、間違いなくルーイッドのほうが先に自滅する。少女の言葉は、その事実を正確に射ていた。


 賢者は黙り込み、ただ歯を食いしばりながら、顔を下に向けた。


「ルーイッド君」


 しばらく口を閉ざしていたノルソンから、落ち着いた声で呼びかけられた。


「よく戦いを見ていて欲しい。あれは本当に、なのかい?」


 言われて、滝の麓で行われる戦いに目を向ける。ミドが強襲甲虫型スカラシルダーへ緑色の火炎を吐き出したのが見えた。水の剣で追撃を加えようとするレイラの頭上で空間が歪む。水の勇者の背後から急襲をかけるように新手が現れる。ノルソンはその個体の名前を呟いていた。


「――行け、急襲土竜型モーディグ


 強襲甲虫型スカラシルダーとはまた異なる、爪に剣山を生やしたような鋼鉄の土竜。全身を槍に見立てたような回転突撃に対して、水の勇者の反応は完全に遅れたはずだった。


「――っ!?!??」


 刺し貫くはずだった急襲土竜型モーディグの奇襲は、黒い壁によって阻まれた。その瞬間、水の勇者の瞳から光が消えていたような気がした。


 それから起きたことを、ルーイッドは我を忘れて見入っていた。滝壺から突如あふれでた黒い液体。あらゆる色を塗り潰したかのような、異様な漆黒がレイラを一気に包み込む。黒い液膜の守りを突き破ろうと、急襲土竜型モーディグが再度、突撃を仕掛ける。しかし、すぐさま破裂した黒い膜が飛びかかった鋼鉄の怪物を、容易く撃ち落とした。


 黒く染まった滝壺の中心に、水の勇者の姿はあった。純黒に濁った水を布地にしたかのような、美しい漆黒のドレスに身を包み、ベールが付いた黒い帽子を頭に被せている。露出しきった肩や両腕は、血の気が消えたかのように蒼白だった。


 まるで死人のようじゃないか、とルーイッドは思わずそんな印象を受けた。


 黒に染まった勇者は、まとわりつく水を造作なく操る。強襲甲虫型スカラシルダーもまた肉薄して大剣で勇者を切り裂こうとするが、黒い水が巨大な壁に変異して斬撃を阻む。それどころか、水は更に巨腕へと姿を変えて、強襲甲虫型スカラシルダーの胴体を捕らえて放り投げた。


「――ぬ!?」


 ミドが慌てて上空へ退避する。更に、水の勇者の傍で弾けた黒い飛沫が、弾丸の如く周囲の岩や木を穿うがっていく。多数は回避したものの、ミドの脚や頬などには掠り傷がついた。


 あまりの急変ぶりに、遠くで眺めていたルーイッドは呆然と見つめる他なかった。いったい何が起きているのか理解が追いついていない。


 浮かんだ疑問の答えを見つけるより早く、水の勇者が不意に姿を消した。そう思いきや、賢者たちの真上へと出現する。浮遊する彼女は微笑を浮かべていた。ルーイッドにとっては馴染み深かった表情が、この時ばかりは背筋に怖気を走らせた。


「……行きなさい」


 彼女の一声で、膨張した黒い水の塊が出現し、巨人の形をとる。仮に成人が縦に五人ほど連なっても届かない巨体。放たれた異様な匂いに、ルーイッドは顔をしかめる。すかさずノルソンが叫んだ。


「――っ! 逃げるぞ」


 無貌の黒巨人はルーイッドたちを押し潰すように、全身を前へ倒し始める。火種が無いにもかかわらず、突然に巨人は全身を炎へと変えた。狂うように燃え上がる業火の塊が、賢者の眼前へと迫りくる。


 すかさずにノルソンと銀髪の少女は退避した。だが、ルーイッドの脚は、鉛のように重かった。蝕まれた肉体に逃げられるほどの力は残されていない。防御のための魔法も、奇跡の酷使で傷つき果てた肉体が拒んでいた。


 刹那、炎の巨人は自壊するように形を崩壊させる。雪崩となって降り注ぐ赤い炎が、ルーイッドの視界を覆い尽くした。



 ◇ ◇ ◇



 爆炎が止んだとき、水の勇者の姿は既に掻き消えていた。上空から降り立ったミドがその場で、自らの奇跡を行使して現象を操作し、強雨を伴った暴風を吹かせる。周辺の木々に延焼した爆炎は全て、即座に消え去ることになった。


「…………」


 ルーイッドは、顔を覆っていた腕を解き、閉じた目をゆっくりと開ける。炎に呑まれた瞬間、全身にとてつもない熱風を襲ったはずだった。その後に吹き荒んだ強風と雨粒で、体はむしろ今は冷えているが、あまりにも不可思議な感覚は、理解のための思考を捨てさせていた。彼は恐る恐る瞼を開くことになった。


 まず、自分が五体満足であることに驚いた。爆発の瞬間はしっかりと記憶にある。炎に呑み込まれたときに、自分でも死を覚悟していただけに、ルーイッドは目を瞬かせた。


 一体なにが起きた、と疑問を浮かべる。だが、無事だった理由はすぐに見つかった。というより目の前にいた。


 焼き焦げた制服の背中。平然としながらも煤けた彼の姿を見て、聞かずとも悟ることができた。ノルソンが身をていして、爆炎から庇ってくれたらしかった。


「ひとまず、全員無事か……」


「……ノルソン、右腕」


「右腕? ……自動障壁バリアじゃ防ぎ切れなかったか。皮まで綺麗に剥がされたな」


 メキの注意で今、気がついたようにノルソンは呟く。彼の右腕は制服が破れ、中身が露わになってしまっていた。人肌でない鋼色の物体に、ルーイッドは愕然とした。


「ほんとに変な腕、なのにノルソンは人間。なんだか奇妙な話」


「君こそ魔導人形ゴーレムと聞いてるが、見た目や所作は人と大差ないじゃないか」


 鋼鉄の装甲で覆われた機械腕。人間とも、魔導人形ゴーレムとも異なる、異世界の技術によって人為的に生み出された義腕。同じ世界からの技術だからか、彼の腕は強襲甲虫型スカラシルダー急襲土竜型モーディグにどことなく似通っている。


「何故、助けてくれたんですか? あの状況で」


 休戦したといえども、つい先程まで刃を向けあったことには違いない。あの場面で助けられる義理はノルソンに無かったはずだった。


「言っただろう? 元々、敵対するつもりはなかった。基本的に生きててくれたほうが、俺としては都合がいい」


 そのために自ら炎に焼かれに行くのは、頭がおかしいとしか思えなかった。そもそもあの爆風を浴びて、まともに立っていられるのも普通でない。こちらの疑問を察したのか、ノルソンはあっさりと答えた。


「俺の肉体や臓器の大部分はね、人工物に置換されているんだ。おかげで、そう簡単には死ななくなっている。分かりやすいように言えば、魔法に頼らず人工的な技術で強化した人間だと思ってくれ」


「強化された人間、ですか……」


「ルーイッド殿っ! 大丈夫であったか!?」


 地上に降り立ったミドが賢者たちの前に近付く。一瞬、その場にいたメキに警戒の視線を送るが、戦意が無いことを確認するとルーイッドを助け起こす。そういえば魔導人形らしいメキには傷一つない。あの爆炎を避け切ったらしかった。


 ミドに支えられて辛うじて賢者は立ち上がった。


「さて、ルーイッド君」


 穏やかな声色とは裏腹にノルソンの表情は厳しかった。


「今の君なら理解できるだろ。水の勇者レイラは魔人と繋がっている。予定では、彼女を攻撃して魔人を釣り出すはずだったんだ」


「レイラ様が、ですか……」


「なろほど、水の勇者に遭遇したときに感じた違和感は、それが原因だったわけであるな」


 そんなはずがないと否定したい気持ちが、ルーイッドには湧き上がっていた。それこそ水の勇者のあんな姿を目撃した後でなければ、確実にノルソンを疑ったに違いない。しかしミドまでも、水の勇者が黒化したときに魔人と似た気配がしたと証言をし始め、賢者としても現実を受け入れるしかなかった。


「そもそも魔人がどうやって……。いや、結界に付け入る隙なんていくらでも」


 灰色の魔人との激戦の後、大結界に様々な修復や変更、強化が施された。新しくなった大結界が破られたという情報は入っていなかったが、そもそも修復工程の都合で、一時的に結界を無効化していた期間が存在していた。その隙に魔人の侵入を許したらしい。


 そして、魔人は水の勇者に接触し、結果的に水の勇者が魔人の手に落ちるということになった。


「とにかく、ノルソンさんがレイラ様と戦った事情は理解しました。ですが……」


「洗脳されただけという可能性もある。だから、それを確かめたいのだろう?」


「当然です」


 ルーイッドが大きく頷くと、険しい顔でノルソンは首を横に振った。眉をひそめた賢者に対して、ため息をつくように口を開く。


「残念ながら仮にそうだとしても、俺は彼女の命を狙うことになる。――。それこそが、この世界に俺が召喚された理由でもあるからね」


 俺はね、勇者を選別するために来たんだ、とノルソンは賢者たちに答えた。

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