第41話 賢者たちは痕跡を探す

 鬱蒼うっそうとした森の中は日が沈んだときのように薄暗い。頭上を覆う木々の葉から、ちかちかと反射して目に入りこんだ光が、絶妙に賢者たちの目が闇に慣れるのを邪魔している。


 見通しの悪い樹木の間を、ルーイッドは索敵魔法によって得た知覚を頼りに、先導して進んでいた。今の彼の頭には、この周囲の地形情報が刻み込まれている。索敵魔法によって得られる情報は、なにも隠れ潜む魔物たちの居場所だけではない。


「暗いし、風通しが悪くて空気は湿気ているし……、まだ目的地に着かないのー? あたし、さっさと出たいんだけど」


「うむ? 私はどちらかというと探検できるから、こちらのほうが楽しいのだ。人の目を気にしなくていいのも良いのだ」


「妖精といえば、森のイメージなんだけど、アルエッタが嫌がるのはなんか意外だね」


「じめじめしてたら、なんか羽根が重いし、身体に茸が生えそうだから嫌なの!」


「茸なら、生えたら食べてあげるのだ」


 いや、得体の知れないものを食べちゃ駄目じゃないかな、とルーイッドは込み上げかけた笑いをこらえた。それから緩みかけた気を引き締め直す。いちいち立腹する妖精に、能天気な回答をしている竜の勇者の二人がいるおかげで、賢者は張り詰めすぎない程度に周囲に気を配ることができていた。


 探知した魔物の位置は常に把握しているが、遭遇しに行くではなく回避するように行動していた。急ぐ必要があった。


「ねえー、ルーイッド、本当に人の反応なんてあったのー?」


 早くここから出たいという気持ちの表れか、やや気乗りしない声でアルエッタが後ろから声を掛けてくる。ルーイッドは顔だけ向けて答えた。


「間違いないよ。見えたのは冒険者風の格好をした人だった。顔までは見えなかったけどね」


 索敵魔法でルーイッドが姿を捉えたのは、透明化して身を隠す魔物たちだけではなかった。山の奥深く、森を抜けて谷へと降りた場所に黒髪の女性の姿があった。


 索敵魔法を受けたものには、見えない魔力がまとわりついて、追尾しながら位置を術者に教えてくれるようになっている。


 今もルーイッドの視野には、魔物や冒険者の居場所が、複数の白い光の点となって捕捉されていた。その中で最も動きがあるのが、例の女性だと賢者たちは推察している。移動を繰り返しているらしく、追尾を続ける魔力線の動きは他と比べても激しい。


「一応、魔物たちのほうと遭遇することになるかもしれないから、油断だけはしないようにね」


 まばらに葉が落ちた腐葉土の地面を、足を滑らせることがないようにしつつも足早に進む。木々をそろそろ抜ける頃になって、流れる水の音が耳に入ってきた。川が近くにあるようだった。


 ルーイッドが斜面に足を取られている内に、飛べるアルエッタは悠々と木々の間を抜け、身体能力がそもそも人外である竜の勇者は平然と賢者を抜かして、川原で待っていた。


「やっと来た。おそーい」


「待っていたのだ。それで、ここからはどう行くのだ?」


「こんなことで賢者と勇者の差を感じるのは、なんかショックだなぁ……」


 奇跡の力なしでも、身体能力は十分にあると自負するだけに、ルーイッドは肩を小さく落とした。どうにか谷の中に入り、砂利だらけの地に足を踏み入れる。着実に光の点には近付いている。


 索敵魔法によって頭の中にできた地形情報と現在地を比べて、ルーイッドは確信した。


「精度にズレがあるかもしれないけど、ここが最初の索敵で冒険者の反応があった場所だね」


 索敵魔法で捉えた彼女がいたのは、近くを川が流れる砂利だらけの土地。状況的に考えて、ここにいたことは間違いない。そのとき、アオが何かに気づいたようにルーイッドに声を掛ける。


「……うむ? ちょっとミドが出たいと言っているのだ。代わるのだ」


 そう言って、竜の勇者の瞳が緑色に変わる。それまでの子どもらしい所作が、落ち着きある大人のものへと変化し、快活さよりも聡明さが顔つきに滲み出る。ミドに人格を交代した竜の勇者は、賢者のほうを向いて口を開く。


「どうやらこの場所で、戦いがあったようである。一部の小石が、不自然に掘り返されている」


「……戦いだって?」


 ミドの指摘に驚いて付近を観察すると、何もないのに凹んだような場所や、土の地表が露出した場所が所々に見受けられた。水でも撒かれたのか、川から距離があるにもかかわらず濡れた砂利もある。どうやら時間はそれほど経っていないようだった。


「じゃあ、あの冒険者は何かに追われて、逃げていたってことになるのか? いや、だとしたら追っ手が索敵魔法に引っ掛からないはずが……」


「ルーイッド殿、悩むより急いだ方がいいのではないであろうか?」


「……そうだね」


 頭の中で引っ掛かりを覚えていたが、救援が間に合わなくなっては意味がない。一度、考えは棚に置き、駆けだそうとする賢者たちを今度は妖精が引きとめた。


「待って。……また、あの変な鳥、いるよ?」


「えっ?」


 アルエッタが指差したのは、岸辺に沿うように生える木々の葉の合間。銀色に輝く金属の体は、紅葉でせた緑色の中でもよく目立つ。


 鋼の鳥はルーイッドたちの視線に気づくと、その場で硬い翼を広げ、存在を誇示するかのように羽ばたき、川下の先へ飛び去っていく。あたかも付いてこいと誘導しているかのように。


「……行こう」


「警戒しなくていいの? 怪しさ全開だよ」


「アルエッタ、考えたところで乗るしかないよ。ミドもいいよね」


 竜の勇者は頷いた。いつ襲撃があっても対応できる様に、ルーイッドは自身に身体強化を付与する。鋼の鳥が飛び去った先には流れる川しか見えないが、警戒するに越したことはなかった。


 エベラネクトのさらに西へと流れる川に沿って、賢者たちは砂利道をやや駆け足ぎみに移動を続ける。奥へ進むにつれて水が流れる音だけでなく、しだいに激しく水面を打ちたてているような轟音が鼓膜をつつきはじめた。


「……滝? ってことは、この先は崖か?」


 既に索敵魔法で捉えていた範囲から外に出ていた。先の地形に何があるかは全く分からない。


「ルーイッド殿、戦いの音が聞こえるのである。おそらくこの下であろう」


「……例の冒険者がまだ戦っているのかもしれない。急ごう」


 やがて、賢者たちは滝の上の断崖にまで辿り着く。眼下では、激しい音を立てて落ちる水が滝壺に雪崩れ込んでいる。戦いはまさに水飛沫が舞う中で繰り広げられていた。そして賢者は絶句した。



 ◇ ◇ ◇



 ずんぐりした白銀の怪物が起き上がる。


 半球の丸みを帯びた背中と、球体の関節に角張った柱がくっついたような手足。二本の脚と四本の腕。さながら白銀の黄金虫こがねむしが直立したかのような姿。人の二倍以上はある全身は、鋼の甲殻で覆われ尽くされ、並みの刃物や爪牙では傷つけることすらままならない。


 そんな怪物が、一人の黒髪の冒険者の蹴りによって吹っ飛ばされる。


「まだ立ち上がりますか。早く倒れてほしいのですが」


 黒髪の冒険者は滝へと落ちた白銀の怪物へ目を向けた。流れ落ちる水壁を破り、白銀の甲殻が滝壺から水面に浮上する。深瀬を脱した鋼の脚が川底を蹴り、水飛沫を散らしながら地上へと舞い戻り、再び黒髪の冒険者に向けて突進する。


 避ける必要がないとでもいうように、直立したままの彼女は、ただ前へ突きだした人差し指をひょいと上へ向けた。


 川の水が生き物のごとくうねり、あたかも間欠泉のように怪物へ襲いかかって打ち上げる。そして、自由落下する鋼の塊めがけて跳躍した黒髪の冒険者は、宙ですれ違うようにして上をとり、水の槍とでもいうべきものを手から生み出して怪物へ投擲した。


 勢いよく噴射された水の刃は標的を捉え、一直線に突き進み、そのまま川面に大きな飛沫を上げさせる。貫けなかったのは単に相手の肉体が堅固だったからだった。だが激突した川底は大きく凹み、鋼の背中がまるで飲み込まれるように埋まりこむ。


 すぐには相手が動けないことを確認して、黒髪の冒険者は小さく息をついた。



 ◇ ◇ ◇



 ルーイッドは滝下へと降り立った。傍には風魔法を翼にまとわせた竜の勇者と、自らの羽で飛翔する妖精がいる。魔物かどうかも分からない銀色の怪物を相手にしていた冒険者も突然、現れた人影に気づき、賢者たちのほうを振り返る。


 魔物にしては異様な白銀の怪物にはもちろん驚いていたが、ルーイッドの視線は眼前の冒険者を捉えて外れなかった。彼は仲間を手で制しつつ、自ら先に出て冒険者へ声を掛ける。


「……アオが、名前の響きが似ているって言ったとき、まさかとは思いましたけど」


 髪が黒く染められ、短く切られてしまっているが、顔形はほぼ以前のまま。加えて先ほどの水を操る能力。あれが魔法の力によるものでないことは、賢者の目には歴然だった。


「どうして、あなたがここにいるのですか? ――レイラ様」


 おおよそ半年前に行方をくらませたはずの水の勇者。人の為に魔物と戦い、国を守護し続けた勇者の名前を、ルーイッドは告げた。



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