第40話 賢者たちは魔物を捜索する
赤い果実をつけた樹木が延々と広がっている。緩やかな山道を長いこと登り続けて、広がっていった光景にルーイッドたちは息を呑んだ。収穫期を迎えて、鮮明な赤を光らせたリリンの果実をエベラネクトの農家たちが取り入れていた。
ここはリリンの果樹園が続く地帯だった。山方面を調査するルーイッドたちは早速、市街を離れて、農家の行き来が盛んな山間部にまでやってきていた。とはいえ、長時間捜索し続けて、魔力を高めたルーイッドたちに魔物が引っかかるということは今のところなかった。
無駄足になりつつあるな、と少し憂いながらも、ルーイッドは通信魔法で、市街のほうで調査をしている親衛隊の二人と情報交換をする。
「戻ってこない冒険者が一人。……分かった。一応、僕らのほうでも気に掛けておくよ。ありがとう」
「何か分かったのだ?」
話が終わったのを見計らって竜の勇者が尋ねる。その両手には、勝手に飛び出して果樹園の中に侵入しようとしたアルエッタが握られている。一瞬、妖精に呆れた視線を向けてから賢者はアオに向き直る。
「サユイカたちが街の組合から聞いたらしいんだ。一週間ほど前から冒険者が一人、行方知れずになっているってね。……といっても、冒険者って職業柄、しばらく音信不通なんてこと、よくあることなんだけど」
「山籠もりして気づいたら一週間経っていたってことー? 全然、事件じゃないじゃん」
束縛されて不機嫌そうなアルエッタの物言いを、賢者は肯定した。
「まあね。ただ、普段はそんなことしない人らしいから気がかりということらしい。名前はレラ。この町を拠点に活動している冒険者だそうだよ」
「了解したのだ。そのレラって人を探せば、もしかしたら魔物も釣れるかもしれないってことなのだな」
「まあ、かもしれないってことだね。……確証はないわけだし」
とはいえ、手掛かりなく闇雲に魔物を探すよりは、行方知れずになった冒険者の足取りを探していたほうが進展はありそうだった。少なくとも例の魔物たちの狙いが、魔力の素養の高い冒険者たちであることには間違いない。
それに現状の調査は全て空振りに終わっている。農家の多い果樹園だけでなく、山の奥深くまで調査範囲を広げれば、魔物の足取りが掴めるかもしれない。だが、そこまですると時間がかかりすぎてしまう。
「仕方ない。農家の人たちに聞き込みをしていこうか」
それから数時間後、得た手掛かりはゼロだった。
「アルエッタ、君の力で例の魔物を見つけ出せたりしない?」
「無理ぃー。そもそも索敵魔法、使えなーい」
「だよね……」
偶然見つけた開けた丘で休憩中のルーイッドたちは各々、すっかり参ったように
もっとも農家の人たちがレラという冒険者について知らないわけではない。むしろこの町ではよく知られた人らしく、少し話を聞こうとしただけで、ルーイッドたちは長い話に付き合わされることになった。
性格は優しく温厚で、農作物の収穫とかも依頼とか関係なく手伝ってくれるらしい。もちろん魔物の出没時には誰よりも率先して駆けつけ、ほぼ無傷で倒してしまうと評判だった。実力のある冒険者は都市へと流れやすい昨今、実力者でありながらエベラネクトで活躍している彼女は、この街の人に人気なのか、本当にいろいろな話を聞くことができた。
「なんか尾ひれのついた勇者物語を聞かされた気分だったねぇー」
「……レイラ様が言っていたよ。
「レラとレイラ、響きがなんか似てる気がするのだ」
「流石にそれは偶然だよ」
そんなに多くの話が聞けるというのに、冒険者レラが最近どこへ行ったかという情報は一つも入ってこなかった。肝心の情報が全く手に入れられなくて完全に手詰まりだった。
「だいたい、……こんな広い山を、……しょうしゃく、しろっていうのが無理」
「アルエッタ、とりあえず食べるか、喋るかどちらかにしようか」
リリンの実を頬張る妖精に目を向けた。彼女が抱えるようにして口を付けている果実は、農家の人に聞き取りを行ったときにお裾分けでもらったものだった。明らかに妖精の身長の半分以上はあるのだが、お腹の中に入りきるのだろうかと少し気になる。
リリンの実はアオも頬張っていた。というよりアオの物欲しそうな視線を受けて、農家の人たちが気を利かせてくれたのだった。アオは竜の勇者であるが、角や翼はフードや服の下に隠すようにしてあるため、見た目は普通の少年と変わらない。
「お腹が膨れるくらいの量は欲しいのだ」
「町の果樹園を全滅させる気かい?」
これ以上は欲張るなという意味を込めて、ルーイッドは自分が持っていたリリンの実をアオに渡しておいた。忠告が効いたかどうかは知らないが、ほくほく顔で大きな口を開けたアオは赤い果実を丸かじりした。
「調査にならないなぁ、これじゃ」
成果なしとかだったらバリエラに叱られると軽く息をつく。ため息ついでに周りを見渡してみると、辺りの木々の葉が秋らしく色めき始めている。開けた丘を囲むように並ぶ、紅葉で色づき始めた山の木々は今でも十分に美しく映えた。もうしばらく後に、この町を訪れていたら、綺麗な赤や黄に染まった秋の風景を楽しむこともできただろう。
この調査が完全に空振りで、バリエラの機嫌を損ねるようなことがあれば、この場所に連れてきてみるのもいいかもしれない、とルーイッドはなんとなしに考えた。
「……さて、そろそろ休憩は終わってもいいかもね。一応、ダメもとで索敵魔法使ってから、どうするか決めよう」
「体は大丈夫なのだ?」
「問題ないよ。今日はたいして酷使してないし」
市街と果樹園を結ぶ山道を少し外れたところで見つけた場所なので、ここから索敵魔法を放てば、エベラネクトで人の行き来がある場所は全て網羅することになる。
「ついでだし、強化の奇跡も使って範囲をさらに広げてみるよ。周囲の山々を全部調べ尽くす気でやってみる」
「ふうん」
そのときアオの頭に座っていたアルエッタが突然、ルーイッドの頭の上に乗っかった。途中、彼女の体から鱗粉のような光の粉が舞い散らついたように見えたのは、おそらく気のせいだろう。
「おまじない、よーし。ルーイッド、あたしが傍で見守ってあげるから大丈夫だよー」
まるで自分は御守りだと言わんばかりに、頭に乗っかってきた妖精を一瞬どうしようかとルーイッドは思う。だが、よくよく考えれば詠唱の邪魔にはたいしてならないので、このままやってしまうことにした。
「我は物見の秘儀を信じる者、世界に宿りし力よ、目覚めよ――」
詠唱が始まると、ルーイッドの足元に魔法陣が展開される。この陣を起点にして魔力が周囲へ飛び散っていくというのが索敵魔法の流れ。しかし、今回は少し違和感があった。ルーイッドの周囲に、まるで虹を断片にしたかのような光が七色に舞い散っていた。
「――隠れ潜む見えざる敵を、我が五感の内に示せ」
そのまま詠唱を続けた賢者を虹の断片が囲い、終わると同時に一気に弾け飛ぶ。完成した索敵魔法が放たれたのを確認してから、ルーイッドの身体には魔法と奇跡を併用したことでの反動が軽い痛みとなって全身を駆け巡った。
そして、ルーイッドはやや我を忘れたかのように、唖然とした瞳で硬直していた。
「…………?」
「どうかしたのだ?」
突然、多くの情報が賢者の頭に流れてきた。それが先ほどの索敵魔法によるものだと気付くのには少し時間が必要だった。ルーイッドは倦怠感と痛みを
「…………索敵に成功したよ。急いで行ったほうが良さそうだね」
◇ ◇ ◇
市街では、別行動中の親衛隊の二人が魔物についての聞き込みを続けていた。もっとも相手は普通の魔物ではないだけに成果は芳しくない。前情報にもあったように表立って起きた事件が何もないのが原因であろう。
「クラダイゴさん、今からでもいいのでルーイッド様たちと合流しませんか? これ以上、歩き回ったところで何も見つからないと思うのですが」
「
別行動させられていることをまだ引き
「別に構いやしませんよ。だいたい隊長の座だって、元はといえば、クラダイゴさんが辞退なんかしたから、代わりに私がなったわけじゃないですか」
「坊主の近くで仕事ができる、って息巻いて立候補していた分際で文句を言うな」
「近くに賢者様がいらっしゃるかどうかは、私の士気にかかわる重要事項ですから。それを盾にしてくるとは、意地が悪いですね」
立場は上であるが年下であるサユイカは敬語を使い、立場は下であるが年上であるクラダイゴは遠慮がない言葉遣いで話す。これはルーイッドがやってくる以前に、クラダイゴが兵士団の教導を受け持っていた頃の名残だった。
とはいっても賢者が現れたのが約一年前。親衛隊の発足も氷の魔人の事件があった直後ということで、そこまで古い話ではない。
「お前が賢者を敬いてぇ気持ちは分かるが、程々にな。たまに坊主から相談を受ける身にもなってくれ」
「なんですか、それ……。ルーイッド様から相談って、ずるいんじゃありませんか?」
「悩みの元凶が言うな」
行き過ぎた敬意が迷惑千万になっていることに気づけない年下の隊長に、クラダイゴはどうしたもんかと息を吐いた。まだ若いのに付き合わされている賢者に同情する。
「勇者も賢者も、心まで超人ってわけじゃねえからなぁ。そこらの大人びたガキと同じであまり困らせすぎると
「ひねくれたルーイッド様っ……!? ……私、結構、アリだと思いますよ?」
忠告が伝わってねえな、とクラダイゴは更に賢者に同情した。よくもこんなにも熱狂的に信奉してくる奴を部下に加えようとしたもんだと、ある意味感心した。単純に人がいいので、無下にできなかった可能性のほうが高いが。
「まぁ、悪意を持った連中に囲われるよりは、まだお前のほうがマシか」
「まだマシって、どういう意味ですか!?」
「一応、褒めてはいる。気にすんな」
少なくとも、理不尽の渦中に身を置いていた
かつての炎の勇者を近くで見ていた彼は、その面影をルーイッドに重ねそうになったことに、自嘲と自戒を込めながら、周りに悟られないように小さく笑った。
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