第37話 西の町に魔物はいる
王都から西へだいぶ離れた辺境の山々に囲まれた辺境にエベラネクトはあった。果樹産業が盛んなこの田舎町は、秋を迎えていたこともあって、今は収穫の最盛期であった。
中でも特産であるリリンという赤い果実は、王都や他の大きな町に向けても出荷されている。近くの山には果樹園がつくられており、今日も農家たちが忙しなく収穫をしていた。また、この時期にしか採れない山菜や茸など、山に自生する味覚の採取も進められていた。
小さな村を少し拡張したような町であるため、人口はそれほど多くはない。活気ある若者たちは都市へと出ていくような、そんな過疎化が進む田舎町に、黒くて小さい蜥蜴のような魔物が身を潜めていた。
人の行き交いがそれほど多くない山道だった。脇に生える高い樹木の幹で、気配を絶つように、へばりついている。収穫した実を運ぶ農家たちを、あたかも監視するかのように、その魔物はただじっと潜んでいる。
こんなに人の少ない辺境の、さらに人があまり通らない自然道を見張ったところで、この黒蜥蜴の魔物が反応するほど強い魔力を秘めた者が通りがかるはずはない。だが、不思議なことに、この魔物の同胞が最も多く消されていたのが、このエベラネクトの町及びその周辺だった。
黒蜥蜴の両眼で、道先をずっと見据え続ける。時折、場所を変えつつも既に三日間も偵察は続けられていた。だが、危険な存在には一切、遭遇していない。しかし新しい命令が下されない限り、この黒蜥蜴の魔物はこの辺境を離れることはできない。
「…………」
朝、日が高くなってきた頃になって、本日、六人目の通行者が現れる。
黒髪で碧眼の女性だった。髪は長く伸ばしておらず、うなじのあたりで均等に切り揃えられてある。服装は冒険者のようなシャツとパンツ、その上からポンチョを身に付けている。腰には市販でも見かけるような剣が提げられていた。
農家以外がここを通るのは珍しいことだった。もちろんエベラネクトにも冒険者がいないわけではない。だが、このような田舎町に実力者が集うことなど滅多になかった。隠れる魔物が少し警戒を緩めたとき、
黒蜥蜴の肢体全てが瞬時に穴だらけとなり、
自身でも気づかぬ間に息絶えていた魔物は、樹木の影へと人知れず落ちていった。
◇ ◇ ◇
遠目で魔物が地に落下したことを確認して、黒髪碧眼の女性は踵を返して、来た道を戻っていった。感知した怪しげな魔物の気配は一匹だけ。それを始末するためだけに女性は山を登ったのだった。この辺境の町で活動している数少ない冒険者の一人だった。
最近、この町で感知する魔物の気配が増えていた。しかも、ほぼ同一の魔物だった。人を襲うこともあるので、何度も見つけては駆除しているが、終わりが見えてこず、辟易しているところだった。
(あの人は、こういう場合は大本を叩かなければ終わらないと言っていましたっけ。探し出さなければいけませんね……)
ふと脳裏によぎった、赤髪の勇者の姿を思い出しながら、黒髪の女性は魔物探知を試みる。両手から白霧が一瞬で拡散し、消えて目に見えなくなる。
(もう流石に、ここら近辺には、ん……?)
探知した範囲から、今までで経験のない奇妙で怪しげな気配がした。自然発生する魔物とも、大陸の中央を越えた先にいる凶悪な魔物とも感じが異なる。強いて挙げるならば、先ほど仕留めた黒蜥蜴の魔物の気配に一番近い。だが、明らかに気配が濃すぎる。より大柄なのか、強い魔力を漂わせているのか、はたまた両方か。
農家たちが働く果樹園よりも、さらに山の奥深い場所から、その魔物の気配は感じ取れた。むしろ今までどうして気づかなかったのか、と不思議なほどだった。
半年近く依頼や探索で足を運び続けた山を、もはや慣れた足取りで登り、たまにすれ違う農家に挨拶を交わしながら、彼女は目的地近くまで進んだ。
山を一つ越えたところで深谷に入る。緩やかに流れる川と、砂利ばかりの岸がずっと先へ続いている。静かな音を立てる水流の傍で、彼女は人影を見かけた。
日陰を濃くしたような深い黒色の全身。まるで誰かのシルエットのようだった。
「……?」
ほんの一瞬だけ目がぼやけ、気がつけば黒いシルエットがはっきりとした人の姿に変わっていた。
赤髪の、とある青年の姿。彼女にとっては記憶に最も刻まれた、あの、後ろ姿……
「……エ、ルジャー?」
ほぼ反射的に、彼女はその名前を呟いていた。
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