第36話 賢者は賢者に文句をつけられる
一枚の半切れの書類がルーイッドの目の前に突きつけられていた。紙には本物の彼の筆跡で署名が記されている。ぎこちない笑みを浮かべながらルーイッドは、刺すような視線を浴びせてくるバリエラに対して言い訳を試みる。
「あー、ごめん。言うの忘れてたよ。いつかは伝えなきゃなって思っていたんだけど」
「へー。じゃあこれ、私が賛成すると思っていたってわけね?」
「いやー、簡単にしてくれないって思ってたから、今まで黙って機を窺っていたわけで……」
「……………………」
無言でエベラネクトへの出張願が机に叩きつけられる。尋ねるまでもなく怒り心頭のバリエラに、ルーイッドはただ嵐が過ぎるのを待つように口を閉ざした。
先程まで、調査の準備やら溜まった仕事やらの片付けに、ルーイッドは追われていた。そんなときにバリエラから呼び出しがかかり、エベラネクトへ行く件について尋問されることになったわけであった。
ちなみに面白そうという理由で、後ろから付いてきたアルエッタも巻き添えをくっている。
「別に調査すること自体は問題ないのよ? 結局、これも正体不明の魔物絡みなんでしょうからね」
「そ、そうだよ?」
「ただね、調査の理由が行きずりの男性から情報提供を受けたから? ――バカじゃないの? 仮に動いても兵士を数人派遣するくらいよ。そんな調査に参加するのが、サユイカ、クラダイゴ、アオ、アルエッタ、そしてあんた。……親衛隊の中核メンバーに加えて勇者も賢者も動員って、なに考えてるの?」
「く、詳しくは説明しづらいけど、どうも無視はできなさそうな話だったからね」
バリエラにはまだノルソンのことは伝えていなかった。というのも報告したところで、情報提供者は異世界人だなんて話を信用してもらえるかどうかは分からない。むしろ、ふざけていると勘違いされて、更に余計な逆鱗に触れる気がした。
「だいたい情報提供をした人っていうのは信用できるの?」
「僕の見立てではそれなりに。だけど、情報を鵜呑みにするような真似はしていないつもりだよ」
「大丈夫ぅ! 私もアオも付いていくから全然心配いらないからねー!」
「そういう問題じゃないのよ、アルエッタ」
会話に割り込んで助け船を出し始めた妖精に、バリエラはかぶりを振って否定した。そこで首を横に振られるとは思っていなかったので、ルーイッドも小首を傾げる。実のところ、相談なしに勝手に調査しに行くことを咎められているのだと思っていた。
そんな疑問を浮かべる彼の顔を、不意にバリエラが問答無用で両手で掴みかかって引き寄せ、がっちりと逃げられないように固める。訳も分からずルーイッドはされるがままだった。
「私の目を見て答えなさい! あんた、最近いつも魔法を使うたびに身体をボロボロにしてるでしょ! そんな状態なのに外で調査をしたい? 自殺願望でもあるの?」
「……もしかして、ばれてた?」
バリエラの手が光る。治癒の奇跡が発動していた。癒しの光がルーイッドの全身を、あたかも呪いのように絶えず巡っていた痛みを和らげる。呆気に取られた彼はただバリエラの目を見つめることしかできなかった。
「最近までずっと、訓練のしすぎで怪我や筋肉痛になっているのかと思ってた。けど、流石に多すぎよ。まさか、そういう体質になってしまっているなんて思いもしなかったわよ」
「……。一応、魔法や奇跡の無理な行使をしないなら、全然問題ないんだけどね」
「どこが、問題ないって言うのよ!」
バリエラに肩を引っ叩かれ、腕全体をもはや慣れた痛みが走る。心配をかけると思ってずっと言っていなかったが、もはや隠し立てしておくのは無理そうだった。
この全身を駆けめぐる痛みは、――――
「僕なりに現状を変えようと努力した、その結果だよ。氷の魔人の前ですら無力だったこの国が、いつか果たすべき魔王討伐に挑むためにね」
そのために設立したのが親衛隊だった。そして痛みは、親衛隊を設立した代償でもある。親衛隊員たちは、副隊長の一人を除けば、皆がルーイッドによって能力開発、――強化の奇跡による個人の才覚や身体能力を無理やり引き伸ばす処置――を受けて常人よりも高い能力を誇る。隊長のサユイカが灰色の魔人と交戦したときに見せた人間離れした動きなどは、その成果だった。
ただし、この奇跡の使用法は無理に歪めたもので、決して正規のやり方ではない。そのせいか、行使には見た目以上に大きな反動があり、それ全てを受けきるルーイッドの体内を何度も荒らしている。
その痛みを無視して能力開発を続けた結果、現在の彼の肉体は、魔法や奇跡の発動がきっかけで体内が裂傷する体質となってしまっている。それ以外にも、体全身に軽度の筋肉痛のような痛みが常にある状態だが、これについては気にしなくなってしまっていた。
体質まではバリエラの奇跡でも治せない。だからこそ彼女には黙っていたはずなのだが。
「サユイカから聞かされたときは卒倒するかと思ったわよ……」
「あぁ、サユイカから聞いていたのか。どうりで最近、外回りの仕事がなかなか回ってこなかったわけだ」
「そこまでしても勝手に外に出るじゃない、あんたは」
竜の勇者が同伴していたとはいえ、謎の魔物の調査を勝手にやった一件のことだろう。バリエラの目つきが非難するように鋭くなる。
「とにかく調査の実施自体は構わないけど、あんたを動かすわけにはいかないの」
「流石に過保護だよ。そこらの魔物にやられるほど、僕が
「そんなふうに思っていて、灰色の魔人と戦う羽目になったのが私なんですけど」
「レイガルランでの戦いの件を引き合いに出すのは、ちょっとズルいんじゃないかな? そもそもの話、事務仕事じゃ僕は戦力にならない。残りの仕事と言ったら外に出て調査したりすることくらいしかない」
「城の中での仕事が、事務作業しかないなんてことないでしょ!」
目の前で二人の賢者が口論を繰り広げているやり取りを眺めながら、アルエッタはただ首を傾げていた。
「そんなにルーイッドが心配なら、バリエラも一緒に来ればいいじゃん。二人きりで旅行したんでしょ、最近?」
その発言は賢者たちを一瞬、固まらせるには充分な威力があった。
「――っ!?!?!?!?」
「あれはバリエラに息抜きさせるために行ったようなものだから、別に他意はないよ」
半ば無理やりレイガルランに連れ出されたときのことを蒸し返されて赤面するバリエラに対して、またこの手の話題がくるのか、と面倒くさそうに答えるルーイッド。
しかしお喋り好きな妖精は止まらない。
「えー。サユイカが物凄く盛り上がって話してくれたんだけどなー。親衛隊だけじゃなくて兵士団でも噂になってるよー?」
「……面倒だな。サユイカはいつだってよくやってくれていると思ってるけど、これに関しては直してほしい欠点だと思ってるよ、ほんとに」
「ふーん、そうなんだー。――それでバリエラは一緒に行くの? 付いていくの?」
アルエッタが小さな身体をバリエラの顔に近付ける。硬直していた彼女は我に返ったように慌てて答えようとした。それよりも早く口を開いたのはルーイッドだった。
「いや、バリエラを連れて行くわけにはいかないよ。派遣中の親衛隊との連絡も頼んでいるから王都に居てもらわないと」
「えー、連れていけないの?」
「そもそも賢者が二人ともいないのは陛下が大変なんじゃないかな。政務の一部を僕たちが引き受けているようなものだし。今回の調査で僕は抜けなきゃいけないし、バリエラには残ってもらっていたほうが無難だろうね」
「……私、あんたたちが調査に行くことに賛成してるわけじゃないんだけどっ!」
話から完全に取り残されて、機嫌を損ねたようにバリエラはむくれていた。
「悪いけど今回は行かせてもらえないかな。心配してくれるのは嬉しいんだけどね」
「もう知らないわよっ! 勝手に行けばいいんじゃない? どうせ私が止めたところで無視でしょ? 無視するんでしょ?」
「いや、拗ねないでよ」
同じことを二回も繰り返すあたり、だいぶへそを曲げてしまっているようだった。
「ごめんってば」
「あはは、ルーイッドが怒られてるー。痴話喧嘩?」
「アルエッタ、頼むからちょっと口を閉じてくれないかな?」
空気を読まずに余計な発言を噛ましてくる妖精に、焦りをますます募らせるルーイッド。バリエラの機嫌がますます悪くなるのは見ずとも分かる。
「――この部屋から、さっさと出てけっ!」
呼び出したのは自分だとしても有無を言わせない。激情を孕んだバリエラの怒鳴り声に、ルーイッドたちは慌てて彼女の部屋から退散しようとする。
「ルーイッドはちょっと止まりなさい」
予想外にも呼び止められて振り向くと、バリエラが何かを投げ渡して来た。咄嗟ではあったものの、ルーイッドは両手できっちりと受け止める。硬質な感触に驚きつつも手を開けば、小さなイヤーカフスが現れた。よくよく見れば紫水晶が組み込まれている。
「これは?」
「ただの御守り。行くなら絶対に失くさないこと。必ず身に付けておくこと」
「分かったけど……」
「なら、さっさと出てけ!」
詠唱する構えまで見せてきたので、ルーイッドは今度こそ部屋から退散した。少し離れたところで飛び回っていたアルエッタが、興味深そうにイヤーカフスを注目している。
「なにそれ! プレゼントもらったの!?」
騒ぐ妖精を無視して、ルーイッドはカフスを片耳に引っかけてみた。驚いたことに調整する必要もなく、フックが自然に耳に嵌りこむ。サイズも小さいので邪魔にはならなさそうだった。
「似合ってるねー」
「いや、これを似合うって言われてもなぁ……」
バリエラが渡してきたものなので、大事にするつもりではあるし、嬉しくないわけでもない。だが、手放しに喜ぶことはできなかった。
イヤーカフスには草花の造形が施されていた。中性的な顔立ちのルーイッドならば、確かにそれほど違和感はない。とは言っても、このイヤーカフスは明らかに女性向けの物だった。
「これ、持っていかなきゃ駄目なのかな」
バリエラに付けろと言われたなら、身に付けるしかないのだが、かなり複雑な心境でいるルーイッドだった。
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