第34話 青年と賢者たちは出会う
「……っ。…………。うぬ、もう一皿、注文したいのだっ!」
食器皿の上の肉料理が、ほぼ一瞬で飲み込まれていくのを、皆が唖然と眺めていた。
「もう一皿、……駄目なのだ?」
純朴な視線で懇願するお腹を空かせた少年に、黒髪紅眼の青年は首を縦に振った。
「…………。別に構わないよ。君たちも遠慮はしなくていい」
「笑顔、引き
時刻は昼過ぎ。賢者たちがいるテーブルテラスには、皿が山のように積みあがっていた。原因は主に竜の勇者。小柄な見た目に反して、胃袋は遥かに大きい。注文した八割方の肉や米の料理が、彼のお腹に収まっていた。
ルーイッドたちは、例の魔物を追っている最中に現れた青年と食事を取っていた。しかも支払いは青年、――ノルソンがやってくれるという。厚意に甘えた結果、竜の勇者が胃袋のリミッターを外したのだった。ちなみに現在の竜の勇者は、ミドではなくアオ。食い意地を張って表に出てきたらしい。
「お金は大丈夫ですか? 何なら半分くらい僕が出しますよ?」
「いや、大丈夫だ。それに話を持ち掛けた側が、こういうことは受け持つべきだろ?」
「すごい!? この人、ルーイッドより太っ腹だっ! ――それと、その料理を取って!」
「なんで、僕を引き合いに出したかなー? アルエッタ」
小柄なアルエッタは最初、他の客の目があるにもかかわらず、いきなり外へ飛び出そうとしたので、竜の勇者に鞄の中に押し込められていた。だが、一人だけそうしておくのは可哀想すぎるので、テーブルに置いた鞄に料理を忍ばせて妥協させていた。今は肉団子を頬張っているようだ。
もちろん、アオも頭に生えた角をフードで隠させている。ノルソンからお金をもらった彼は、きちんと頭が覆われているかを確認して、いそいそとカウンターへ向かう。そして、両手で抱えるほどの大皿を受け取って戻ってくる。肉の燻製やら魚の切り身やらが、これでもかというくらいに盛られていた。
「何度も聞きますけど、本当にお金は大丈夫ですか? アオは全く遠慮しないですよ?」
「そうだな。本当に払えなくなりそうだったら止めるさ。でも、金には余裕を持たせてあるし、余程のことが無い限りは問題ないさ」
切り身にかじりつくアオに負けじと、アルエッタが料理に手を伸ばそうとする。君も遠慮しなくていいんだぞと、むしろ青年は賢者に勧めさえする。アオの見た目にそぐわない大食漢ぶりを知っているルーイッドは、当然のように自重した。
食事が半ば進んだところで、黒髪紅眼の青年から話が切り出される。
「さて、本題に移る前に一度きちんと自己紹介しておこうか。行きがけにも話したが、俺のことはノルソンと呼んでくれ。君らと同じくこの世界に召喚された一人だ」
さっきは獲物を掠めとるような真似して悪かったね、と笑いながら青年は語った。続けてルーイッド、アルエッタ、アオの順で名乗りあう。人格が三つある竜の勇者は、今回はアオが代表して自己紹介していた。
「ところで、この世界に召喚されたということは、ノルソンさんも勇者って認識でいいですか?」
勇者と妖精はどちらかといえば食事に夢中なので、ルーイッドしか話を聞こうとしていなかった。少し予想外だったのか、ノルソンの笑みがやや困惑気味になる。
「いや、違うな。むしろ俺を送り出してくれた創造主たちは、今は勇者を新しく創り出せない状況って言っていたよ」
「――?」
初めて耳にした創造主たちの事情に、ルーイッドは眉をひそめる。勇者と妖精は気にせずに魚の切り身や肉団子を頬張っているが。
「勇者を創り出せない?」
「さあな、細かいことは。神のみぞ知るってところだ」
事情を掘り下げる前に、ノルソンは首をすくめて、分からないというジェスチャーを見せてきた。確かに創造主たちが、わざわざ裏事情を口にするというのも不自然な気がした。
「それだったら一体、何者なんですか?」
「別の世界から来た、ただの軍人さ。いや、異世界の兵士と言ったほうが分かりやすいか。君たちが言う勇者とは別物だ」
「異世界から……?」
賢者は眉間に皺をやや寄せる。自身が創造されたときに、授けられた知識の一部には異世界の情報も多く入っていた。それゆえに理解はできるが、頭だけの知識と、実際に目の当たりにする現実ではイメージに乖離がある。
見慣れない服装であることや、魔物を仕留めるときに使われたナイフに初めて目にする加工が施されていたことなど、根拠は揃っていても内心では半信半疑を拭えない。
「つまり、こことは違う世界から――」
「――食べ終わったのだ! おかわりしたいのだ!」
「――ルーイッドっ! アオが食べていたの、私もちょっと欲しい!」
空気を読まない二人分の声が、唐突に真面目な話の腰を折る。勢いを削がれる形になってしまった賢者は、流石に
「アオ、アルエッタ、これ以上は控えたほうがいいと思うよ」
「まあ、構わないよ。元々、ある程度の散財は予定していた」
楽観が過ぎるのか、懐が深すぎるのか、ノルソンは財布ごとアオにお金を受け取らせる。フードの中で顔を明るくさせた竜の勇者は、これ以上ないくらい瞳を輝かせた。そして、再び嬉しそうにカウンターへと向かっていった。
甘やかしぶりを見かねて、ルーイッドは忠告する。
「話の脱線に乗って申し訳ないですけど、アオは無尽蔵に食い溜めしますよ、放っておくと」
「…………」
三種の形態と魂を持ち、強力な奇跡を扱う竜の勇者は、その創造された特質の反動か、燃費が恐ろしく悪かった。エネルギーを貯蓄できる身体になっているといえども、石化が解けてから、たいして日数が経っていない現在は、欠損した肉体を再生させている過程にある。元の三種変身ができるようになるまで、回復し続けなければならないことを考えれば、たとえ山林を丸ごと食料に変えても足りないだろう。
ルーイッドは事実を正確に伝え、知ったノルソンはただ黙って頷いた。それから言った。
「最悪、あの財布が蒸発しても控えはある。勇者に投資したと思えば悪くない」
「……なら、いいんですけど」
出費額は冗談で済まないはずで、ノルソンの表情の取り繕い方もかなり雑だった。今ですら、苦い顔を隠そうとしているのが、目に見えて分かるが、本人がいいと言っているので、もうルーイッドは気にしないでおくことにした。
「とりあえず、ノルソンさんが異世界から来たってことは了解しましたけど、それなら目的が知りたいんですが。いったい何しにここへ?」
「簡単な話、助っ人をしに来たんだ。君たちが魔王討伐を成せるように、協力しろと指示は受けている」
「……魔王討伐ですか」
賢者の声がわずかに曇る。脳裏に浮かんだのは、氷の魔人の襲来やレイガルランでの大騒動。彼らは全て魔王でなく、魔人。勇者を倒すために、恐らくは魔王が生み出した存在。
今の戦力では一体の魔人で苦戦を強いられる。そんな状況で勇者たちの使命である魔王討伐を果たせるかと問われれば、ルーイッドは間違いなく首を横に振る。本来、勇者を補佐するために生まれた賢者が、勇者以上に戦線に立たなければならない現状だからだ。
助っ人が送られたのは朗報だが、正直のところ打開できる未来は見えない。とはいえ、そのことをそのまま口にするほど、ルーイッドは愚かではなかった。
「そうですね。人手が増えるのは本当に助かります」
「ああ、頑張らせてもらうよ」
そこでノルソンは一度、言葉を切り、賢者の顔を軽く見つめてから再び口を開いた。
「その反応振りから、どうやら俺はあまり期待されていないようだな。まあ、最初のうちは情報提供程度しかできないから何とも言えないが」
「……いえ、それでも十分ありがたいです」
悟らせないために愛想だけは良くしていた賢者の抱く複雑な心境は、簡単に看破されてしまっていた。
「ちなみに今、有益そうな情報はありますか?」
「ある。そもそもの話、この情報を伝えるのが本題だったんだ。君らが調査している黒い魔物たちの動向。知りたくはないか?」
「――っ! ……聞かせてください」
驚愕しながらも答えると、ノルソンは積まれた食器皿を脇にどけ、一枚の丸めてあった用紙をテーブルの上に広げる。描かれていたのは手書きの絵や図。それに荒いメモ書きがされていた。街の名前や地名、地形の有無などが事細かに記されている。
その構図はルーイッドに見覚えがあるものだった。
「地図ですか? この国の」
「ああ。ここに召喚される前、創造主たちに聞けるだけ聞いて、作成しておいたやつだ。それで君たちが調査している魔物たちは、このあたりに集まってきているらしい」
王都シャフレから西の方向に、ノルソンの人差し指が移動していく。途中でやや南へ下って指先は止まった。そこにある町の名前を賢者は口にした。
「エベラネクト。西部にある小さな辺境の町、というか村ですね」
「そのようだな」
「……おかしいな。確かあの町からは、何の報告もされていなかったような」
親衛隊たちからの報告を思い出しながら、沸きあがった疑問を賢者はくぐもらせた声で呟いていた。
「ほぼ確実な情報だ。とりあえず調べてみればいい。その街だけ行方不明事件が発生していない、というのも不思議な話だろう」
「確かに。……でも待ってください、その情報の出所を知りたいのですが」
「すまないが、これ以上の情報は後で提供させてもらおうか」
ノルソンは地図を片付けると、青年はもう一つの財布からいくらか銀貨を置いて席を立ちあがった。
「実はそろそろ行かなければならなくてね。待ち人が他にいるんだ」
「そうでしたか……。ちなみに宿とかはどうされているのですか?」
「そこらへんの気遣いも無用で大丈夫だ」
黒髪紅眼の青年は、賢者たちに軽く手を振って、素早く店から退出した。釈然としないルーイッドと、アルエッタだけがテーブルに取り残されることになった。
「ルーイッド。ノルソンはもう行ってしまったのだ?」
入れ替わるようにカウンターから料理を運んできたミドが現れる。赤フードの少年は残念そうにテーブルテラスを見渡し、その姿が無いことを確認して肩を落とす。そして置かれた銀貨に目を留めていた。
「ついさっき出ていったよ。どうやら忙しい人みたいだ」
ルーイッドは軽く椅子の背もたれに寄りかかりながら、やっと落ち着けたかのように息をついた。最初に警戒感が先立っていたせいで、話している間はずっと緊張感を解けないでいたからだった。
一応、ノルソンは味方であるようだが、謎の部分が多すぎる。例の黒い魔物たちに関する情報の提供も、そもそも調査していること自体、彼には伝えていなかったはずだった。信用しきるのはまだまだ難しそうだった。
「なんか変な人だったねぇー」
鞄の中のアルエッタも同意する。彼女は彼女で途中から余計な口出しはせず、ノルソンを観察していたようだった。料理にはずっと手を伸ばし続けたようだが。
「この銀貨は、まだ何か注文しても大丈夫ってことなのだ? 合っているのだ? のう、ルーイッド!」
「……多分、そうなんだろうけど、君にも聞いておいて欲しかったなー、ノルソンさんの話」
最後まで食い意地を張っていたアオに、賢者は溜めた息をついた。それから、ついでにこうも思った。あの人はこれ以上たかられたくないから、急いで退席したのではないか、と……。
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