第28話 賢者は休息で振り返る
勇者と灰色の魔人の激突から二週間ほどが経過した。レイガルランの結び石が一つ失われた結果、国土の四分の一が大結界からはみ出ることになった。結界で守れなくなった街や村を、魔物たちが襲い始め、現在も被害を抑えるために多くの兵が派遣されている。
大結界に使用されている特大の結び石は、バリエラが地上に召喚されたときに同時に、各地に出現したものであるため修復も再現も難しい。事実上の防衛線の後退であり、総合的には魔王の勢力に敗北したというのが、ルーイッドのこの戦いにおける評価だった。
そして彼は今、バリエラの部屋の前にいた。
「勝手に入るよ」
中からの反応を待たずに扉を勝手に開け放つ。鍵はかかっていたが、合鍵で難なく突破していた。アポなく入られたのにもかかわらず、部屋の少女は机に両腕を置いて
「休暇は楽しめてるかい? せっかく休みをもらえたのに外に出ないんだったら、今度は引きこもり姫なんて言われるんじゃないかな。バリエラ」
「うっさい、ルーイッド」
手を振りながら声を掛けてきた彼に、バリエラが不機嫌そうな顔を見せた。
「伝えるのが遅くなったけど、お疲れ様。戦いが終わっても結界関連で働き詰めだったみたいだね。陛下から直々に、休めって言われたんだって?」
「……見て察せるでしょ、あんたなら」
「まあね」
普段、机に山積みになっている書類は片付けられていた。その一方で、衣装棚からは服の
「仕事を取り上げると、ここまで自堕落になるなんてね。本格的な仕事中毒者になってきたんじゃないかな?」
「今の私が仕事をしたがっているように見える?」
「見えないけど、作業現場にバリエラがよく出没してるという噂話ならよく知っているよ」
「…………!」
「うん、了解。やっぱりデマじゃなかったか」
明らかに図星だと見て取れる表情に、ルーイッドは少しだけ安心した。なんだかんだで普段どおりの彼女だと。
「……だったら何なのよ」
「別に何もないよ?」
きまり悪そうな彼女にルーイッドはあえて、おどけたように肩をすくめてみせた。その手には仕事場から、こっそり持ちだした一枚の報告書があった。
「気になっているだろうから報告。あの石像は破片も残さず回収しておいた。ただ、胴体と首以外に無事なところがないし、バリエラが考えているような勇者の再生は正直いって……。いや、まだやってみないと分からないかな」
途中まで話したところでバリエラの背中が縮こまったので、ルーイッドは少し言葉を濁した。想像以上の落ち込みようを見せる彼女をどう元気づけたものかと逡巡する。
「レイガルランの被害は、まあ想像よりも小さかったよ。早めの避難のおかげで住民に被害はなし。建物もちょっと崩れたぐらいだけだったしね」
「たくさんの兵が死んだのよ、あの戦いで?」
「全滅は免れた。初陣で魔人相手に、ここまでやれたのは十分凄いことだと思うよ」
「勇者が来なかったら多分、全滅してたと思うんだけど?」
「とりあえず魔人は倒せたんだ。ひとまずの脅威を退けたことは喜んでいいと思う」
「魔人、どうせまた新しく現れるでしょ……」
「…………先のことはまだ分からないかな」
励ませば、後ろを向いた言葉がすぐに跳ね返ってくる。これにはルーイッドも苦笑いを浮かべるしかなかった。
「バリエラ、悪い報告と良い報告、どっちが聞きたい?」
「え……?」
突然のことにバリエラは意味が分からなさそうな顔をした。いったいなんなのよ、と彼女が言葉を続けようとしたが、ルーイッドが遮った。
「吉報と凶報、どちらにも取れる話だから、どちらか選んでほしいな」
言葉とは裏腹に、強い口調にバリエラは口を閉じる。それから悩むように目を泳がせると、やがて観念したように居住まいを正して、ルーイッドのほうを向き直った。
「悪い報告。……叱られるほうがまだマシ」
「それでいいんだね。覚悟はいいかい?」
「……。まあ、あんたならもっとうまく事態を打開できただろうし。どうなじってくれても構わないわよ」
バリエラの顔がたちまち沈む。犠牲者のことを引きずり続けている。それはルーイッドも同じ経験があるからすぐに理解できた。
「レイガルランから僕の元に催促がきているんだよ。バリエラを出せってね」
「……そりゃそうよね。私が魔人の強さを見誤ったのが、被害を大きくした原因だし」
「おかげで向こうの兵士たちが騒いで、領主が困り果てて、連絡を何度も寄越してきているってわけなんだ。――ちなみに行ったら感謝状を贈ってくれるようだね」
「は?」
「まあ、賢者だから感謝状を送られる立場にない、というか立場上、国を守ること自体が義務だから必要ないはずなんだけど、兵からの人気と熱量が物凄くてね……」
「ど、どういうことよ?」
未だ理解できていない顔をする彼女に、鈍いなぁとルーイッドは息をついた。
「バリエラがいなかったら勇者が到着する前に、街は確実に落とされていた。最終的に魔人を討ったのは例の勇者かもしれないけど、バリエラも希望になっていたんだよ。街の人々や兵士たちのね」
ルーイッドは部屋の窓を開け放った。それまで遮られていた風が、部屋の中に流れこみ、バリエラの髪の毛があおられて少し揺れた。
「明後日あたり一緒にレイガルランへ行こうか。街の人たちや兵の人たちと話したらいいよ。僕も氷の魔人のときは、そうやって切り替えたからね、自分を」
かつての後悔を思い起こしてルーイッドは軽く唇を噛んだ。あの事件があったからこそ戦力の強化に目覚め、サユイカをはじめ優秀な才能を持った人材を、国中の各地から探し集め、鍛え上げて親衛隊を組織したのだった。
「そういえば、そうだったわね……。あんたも最初の魔人のとき、たくさん死なせたって嘆いてたもんね。……ごめん」
「謝る必要なんてないよ。手助けしあうのは当たり前。同じ賢者として、ね。……それで明後日はいいかな?」
「この流れで、ダメっていうわけがないじゃない……」
バリエラが頷いたのを確認して、ルーイッドは心の内で安堵する。『これで、ひと段落しそうだね』と小さく呟いた彼は、ずっと手にしていた報告書をそろそろと彼女に差し出した。
「ん、どうかしたの?」
「実はこの報告書、下書きでさ。添削してもらえると嬉しいなー。自分じゃうまくできなくて」
「……。さっきまでの流れで、それはおかしくない?」
「まあ、実際そうなんだけどね? 溜まりすぎた仕事が理由で、約束をすっぽかすほうが大問題だし、ね?」
「ね? ――じゃないでしょっ!?」
ごめんと平謝りするルーイッドに、しばらく怒りに火が付いたバリエラの雷が落ち続けることになった。
◇ ◇ ◇
「それで明後日からデートというわけですか。でもバリエラ様に泣きついて、なんとか仕事を終えるというのは大減点ですよ、ルーイッド様」
「だからデートじゃないよ。そもそも恋人というよりは姉弟みたいなもんだし」
バリエラとのやり取りから
「言っとくけど、傷口が開くかもしれないから君は連れていけないよ」
「もちろんです。このサユイカ、お二人の恋路を邪魔するほど無粋ではありませんのでっ!」
「だから恋路じゃないんだよって。……この話はするべきじゃなかったかな」
年頃の女性ならば、このくらいの反応が当然なのかもしれない。地上で生きた年月と生み出された精神の年齢がまったく一致しないルーイッドは、そう思い直すことにした。
「もうちょっとしたら退院できると先生は言っていたから、くれぐれも抜け出したりしないように。それと隊長代理を務めてくれたクラダイゴさんには、きちんとお礼言っておくこと。分担でサユイカが抜けた穴をやってもらっていたニャアイコやマッサルたちにもね」
「了解いたしました。やることがけっこう多いですね……」
「退院したらまた忙しくなるよ。今回の件で分かったと思うけど、まだまだ戦力不足だ。親衛隊もさらに頭数を増やして、鍛えていかないといけない。君の能力開発の続きだってしないといけないわけだし」
そして魔人に対抗できる人材へと仕立てていかなければならない。勇者ですら倒れる魔人の脅威を前にして、それは早急の課題だった。
「分かっています。きちんと復帰いたしますのでご安心ください。それでは安心してデートに行ってきてください」
「だから違うんだよ……」
これまでに何度も蒸し返された話題に、ルーイッドは頭を掻いた。
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