第27話 竜は黒霧を燃やす

 燃え盛る竜の拳を魔人が受け、黒霧と雷電が渦巻く鬼の拳を勇者が受けた。


『どうやら、その姿では霧の硬化は防げないようだな』


 灰色の巨腕を受け止めた勇者の片腕に、少しずつ灰色のあざができていた。あたかも勝敗が確定したかのように勝ち誇る魔人に対して、勇者の竜眼に静かな光が灯る。


「……ふん、この程度なんでもない」


 竜の全身から噴き出した爆炎が、魔人の巨体を強引に仰け反らせる。竜の勇者はそこから一歩踏み出し、魔人の首根っこを捕まえ、その顔面を拳で殴りつけた。まとう炎が魔人の頭部を焼き焦がす。だが上空から垂れ落ちた黒霧によって、欠けた部位が再生させられていく。


『無駄だ。黒い霧が天を覆う限り、オレは無限に再生できる』


「それくらいは見れば分かる」


 再生しかけた部位をさらに殴り、竜の勇者は火炎を吐く。魔人が収束させた雷光の壁が強引に押し留めるが、防ぎ漏らした灼熱の風だけでも、灰色の両腕は黒く焦がされていく。


「その程度で、我が業火は防げんぞっ?」


 再生を上回る炭化に、防ぎきることを諦めた魔人が火炎を無視して、お返しとばかりに勇者の首を引き寄せ、そのまま竜の巨体を背負い投げた。さらに追い打ちをかけるように落雷が勇者を直撃した。


 だが、勇者の体が離れても炎は魔人にすがりつくように絡みつき、その全身を焦がし続ける。後ろに引き下がって、やっと魔人は炎の包囲網から脱出した。


『そうか。だがオレとしても今のほうがやりやすい。今のお前は、衝撃の緩和も、力の受け流しも、できないようだからな』


「この肉体に守りなど必要ない。お主こそ、これから消し炭になると覚悟しておくといい」


『ふん。言ってくれるな』


 勇者は大きく上体を反らし、力を掻き集めるように息を吸い込んだ。周囲の魔力が可視化され、光の粒子となって、竜の牙が生え並ぶ大口の中へと流れ込んでいく。


 しかし、時間の取られる行為を、わざわざ魔人が見逃す理由はない。


 天上の黒雲から巨大な三叉槍を生み出した魔人は、雷光をその刃先に収束させ、目に捉えられぬ速さで投擲する。火花を散らす槍の鋭利な先端は、動けない勇者の竜鱗を貫き、左胸に刺さる。


 竜の巨体が一瞬ぐらついて動きが鈍った。だが、勇者はそれでも動作を止めなかった。竜のあぎとつどった力の高まりが、戦場の空気を熱していく。


『ならば、これで終わりだ』


 魔人が突きだした右腕から黒霧の渦が発生し、勇者に向けて雪崩れ込む。かわすことも防ぐこともできない勇者の竜鱗に、ゆっくりと灰色が付いていく。だが、その瞬間、竜顎りゅうあごから上空へ向けて、黄金色の炎球が放出された。


 黒霧を突き破り、天上で大爆発を引き起こした火炎が、空を黄金に染める。仮面で目元が隠れていても察されるくらいには、魔人は驚愕で無言のまま口を開いた。


「あれしきで止められると思ったか。我の狙いは最初から天。あの黒い空が、お前に力を与えていたようだからな。だが、もはや供給は絶たれた。これで勝負は決まる」


『ククハハハ、やってくれる。……だがな、お前は既に虫の息だ』


 その声色から感じ取れるのは賞賛と戦慄、そして焦燥も含まれていた。竜の勇者は体半分以上が硬化している。左胸の刺傷も決して軽くはない。もはや朽ち果てるしかない敵の妄言を聞き入れるほど、灰色の魔人は愚かではないが、それでも全力で葬るに越したことはないと判断した。


「今更、問題にならなかろう。終止符は既に放たれたのだからな」


『戯言(たわごと)は見苦しいだけだぞ?』


 しかし上空の明るさが増したことで、勇者の言葉の正しさが証明される。焼けた黄金色の空が更なる輝きを放ち、やがて複数の光点へと収束して流れ出す。その様はまさしく流星といってもいいほどに。


 天に群がる光の炎は、魔人へ向けて一斉に動き出す。


『――っ!』


「耐えられるというのならば、これら全てを耐えきって見せよっ!」


 光が追尾することに気付き、魔人は避けるのを諦め、黒霧で防壁を生み出す。その瞬間、上空にあった全ての黄金の火球が、位置を寸分も狂わせずに激突していく。余波は傍にいた竜の勇者すら巻き込み、周囲の地形ごと消し飛ばした。


 複数の轟音と次々に発生する爆風、重なる地響き。それら全てが過ぎ、灰色の魔人は自らの両脚で立ち続けていた。


『ク、ハハ……』


 だが、肉体は至るところが欠落しており、崩れかけた部位を残った黒霧で、無理やり繋ぎ留めているにすぎない。


 顔の鉄仮面には大きな亀裂が入り、今にも砕けそうになっていた。それを魔人は、あえて自らがすように引き千切る。露わになった目元に眼球はなく、灰色の皮膚のみが張り付いていた。あたかも自分が敗北者だと示すかのように。


 もちろん誰に指摘されるまでもなく、戦いは勇者の勝利であった。



 ◇ ◇ ◇



 もはや風前の灯火に等しい灰色の魔人に、竜の勇者は静かに語り掛けた。


「……貴様の負けだ。静かに散れ」


『クハハ、……安心しろ。この仮面はオレの力を制御するための道具だ。自分で壊した以上、この肉体をもうじき崩壊する』


「そうか、敗者には眠りが与えられる。甘んじて受けるといい」


『クハハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハハ』


 自らの死の瞬間の直前で、大きな笑い声を上げる灰色の魔人に、竜の勇者は怪訝けげんそうに睨みを入れる。


『……だがまぁ、仕事は果たさんとなぁ――』


 灰色の魔人が背後を振り返る。その先にはレイガルランの城壁があった。組み付かれて投げ飛ばされたときに、立ち位置が入れ替わっていたのだった。魔人から黒霧が急激に溢れ出たのを見て、意図を読み切った竜の勇者はえる。


「っ!? 貴様ぁあああああ」


『――無理やりにでも、爪痕は残させてもらおうか』


 黒い暴風がレイガルランへ襲いかかる。それよりも早く勇者は全力で飛翔していた。動かなければ、これ以上の傷を負うことはない。実際のところ、全力の限りを尽くして戦い抜いた竜の体は、強靭といえども既に限界を軽く突破していた。


 しかし魔王を葬るため、世界の崩壊を防ぐため、そして人々を守るために召喚されたという勇者としての矜持が、この場で動かないことを拒否する。


 半分以上が硬化した肉体で、自ら暴風の射線内に入り、街の遮蔽物となるように全身を盾にする。そして最後の力を振り絞って、炎を身に纏い、燃え盛る巨大な一枚壁となって立ちはだかった。



 ◇ ◇ ◇



「賢者様、魔人の姿はどこにもありません」


「……そう」


 勇者と魔人の激突が終結して、戦いの行く末を見守ることしかできなかったバリエラはもう一度、戦いがあった場所まで足を運んでいた。主に戦死者の回収のためだったが、落雷や火炎、衝撃で抉られきった大地は戦いの激しさを物語っていた。


 二者が激突した付近の木々は全て焼き尽くされ、焦げ色の大地がき出しになっていた。勇者が投げ飛ばされた場所は、地形が大きく陥没し、あまりの惨状に同行した兵士のほとんどが言葉を失っていた。


「街は奇跡的に守られたけど、失いすぎよ、ほんと……」


 犠牲があまりにも多すぎた。レイガルランは兵力の大部分を失い、そして大結界を失った。本城へ侵入していた小鬼は、勇者によって駆逐されていたようだが、結び石を設置していた地下室は、無残にも破壊され尽くしていた。この街は結界の起点としてはもう使えない。しかし、それらの損失以上に……。


「また、勇者が犠牲になってしまったのね……」


 最も被害が大きい場所をバリエラは振り向いた。黒の暴風と炎の巨大壁がぶつかりあって生まれたクレーターの中心には、灰色の壊れた石像がぽつりと立っていた。とてつもない量の黒霧を一身に浴びて、完全な石化を果たした竜の勇者の残骸だけが残っていた。

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