第25話 竜は黒霧を切り裂く

 上空から音を置き去りにして、閃光のように振るわれた蒼炎の爪牙そうがが、魔人の脇腹のあたりを掠め抜ける。飛翔する半竜の姿は瞬く間に地上に魔人を残して蒼く輝いた。


『これは、手加減はできんなっ!』


 相手の力量の高さを悟り、笑う魔人の全身から紫電がほとばしる。灰色の魔人の影からは、新たに生まれた小鬼が三叉槍さんさそうを抱えて飛び出てきた。受け取った槍を起点に、無数の雷撃が上空に向けて放たれる。同時に勇者が薙いだ腕が、暴風と蒼炎をはらませた衝撃波を放ち、雷光をまとめて相殺する。


『――むっ』


 生じた爆発を目隠しに利用し、空中より背後をとった半竜人の勇者。動きを察知した魔人が振り返り様に槍を突きだす。しかし刃先は虚空を刺し、その先で飛び退いた勇者が両腕を掲げるような構えをとっていた。


 交差するように斜めに振り下ろされた爪先から蒼炎を伴った衝撃波が放たれる。斜め十字を模した炎が灰色の巨体に襲いかかった。魔人はそれを槍で横薙ぎして掻き消す。


「浅いのだ……」


 少し苛立ちの混じった声を勇者が漏らした。魔人の胸板から血飛沫が散った。


『防ぎきったと思っていたのだがな』


 魔人が力を込めるように胸の筋肉を膨張させる。それだけで中央にあった傷痕が簡単に消えてなくなった。


『なるほど、速さで勝つのは無理そうだ。ならばこんなのはどうだ?』


 魔人の足元から黒霧が渦巻き、地面に広がる。飛翔した勇者が空から再突撃を仕掛けようとして、途中で急転回する。次の瞬間、地上から上空へ無数の黒い矢が通り過ぎていく。黒霧の中に、弓矢を構えた無数の小鬼たちが出現していた。


「そういう能力もあるのだなっ……!」


 撃ち放たれる矢を次々に避けながら、勇者は鋭く魔人を視線で射止める。近づいて切り裂いてやりたいが、向かってくる矢の雨の中を高速で突っ切るのは、勇者といえども無傷では済まない。


『こいつらは無限に沸き続ける。どこまでかわし続けられる?』


 勇者を追いかけるように大量の矢が射られ続けられる。速さは全然届かなくとも、弾幕となった射撃の嵐は、素早い勇者の行動範囲を制限していた。目の前を矢が掠めて勇者の動きが遂に鈍った。その隙を魔人は逃さなかった。


「――うぬっ!?」


 稲妻が直撃する。高圧電流をまともに浴びて、完全に停止した勇者を、灰色の魔人は巨体からは想像できない機敏さで跳び上がり、両手の指を組んで、あたかもハンマーを振り落とすかのように勇者を地面に叩き落とした。


 墜落の寸前に暴風が吹き荒れる。小鬼と黒霧をまとめて吹き飛ばし、地面に激突する前に勇者は再び飛翔した。


「危なかった、のだ……」


 反撃に転じて、勇者を取り囲む空気が渦を巻き始める。風は炎を孕みながら燃え上がり、巨大な蒼い竜巻を形成した。


『力押しならオレでもできるわっ!』


 小鬼が吸い込まれて焼かれる中で、灰色の魔人が雷光を収束させ、竜巻に向けて巨大な雷球を発射した。激突した力が互いに削り合い、大爆発を引き起こす。その轟音と閃光と煙を突き破って、跳躍した魔人が勇者の腹に拳を殴り入れた。小柄な半竜人の体が吹っ飛ばされる。


「――ぬぅっ! さすがにきついのだ」


 空中で全身を一回転させて勇者が地面に着地した。


『当てたときの感触が少しおかしいな。防御の結界でも仕込んでいるのか?』


 致命の一撃を受けてもなお復帰する相手に対して、いぶかしみながらも不敵な笑みを浮かべて、魔人が腕に紫電を散らせる。


『だが、それはさほど強固ではないな。素早さを封じれば、たいした相手でもない』


「…………。分が悪いのだ」


 言葉とは裏腹に、勇者の顔に焦りは浮かんでいなかった。ただ一度だけ翼をはためかせ、息を吸い込む。脳裏に蘇るのは創造主から教えられた、自身の本来の能力についての話。


 召喚される前、人形神は勇者に告げていた。与えた能力の説明と、危険すぎる故に制限を設けたこと。具体的には能力を大きくに分割して、それぞれの性質に方向性を与えたということ。


「だから戦い方を変えるのだ」


 突如、勇者の全身が緑色の炎に包まれる。体躯が伸び、翼も大きく広がる。突然の変異を起こした相手を警戒して、魔人が遠距離から雷撃を放つが、透明な障壁のようなものによって阻まれる。


「――次は、同じようにはいかぬよ?」


 声が先ほどよりも少しばかり低い。落ち着いた青年のような声が戦場に響く。体の成長を遂げた勇者が片腕で全身の炎を掻き消す。その瞳は緑だった。


『……ほう』


 人間らしさは欠片もなくなっていた。全身の肌が緑の鱗で覆われて、頭からは後ろに角が伸びる。爪牙はさらに発達し、より強靭で鋭利な刃となった。そして少年だったはずの顔は完全に竜のあぎとを備え、隙間より牙を見せている。半竜人だった勇者は、完全な竜人へと変化を遂げていた。


 竜人の勇者が拳を握りしめて腰を落とす。緑炎を全身から漏らしたかと思えば、一気に地を蹴り、魔人に向けて猛進する。速さは半竜人のときよりも遅いが、それでも瞬く間に距離が詰められる。


 しかし、大人しく待つほど魔人は優しくはない。高圧の電流をまとわせた拳を、前進する竜人の勇者に合わせて、カウンターさながらに振るい放つ。音速を越えたストレートが勇者の顔面を捉える。


『――ぐっ!?』


 だが、仰け反ったのは灰色の巨体のほうだった。すかさず魔人の腹部に、緑炎に包まれた拳が叩きつけられ、そこから胸、肩、頭の順に渾身の一撃が殴り入れられる。そして最後に鋭利な両手の竜爪が、魔人の肉体を引き裂いた。



 ◇ ◇ ◇



 避難したバリエラは城壁から二者の激突を眺めていた。勇者の言葉どおりに中にいた小鬼は駆逐され、今は物見の兵士たちしかいない。怪我を負っていたサユイカは現在、診療所のほうで眠らせている。進んでいた体の硬化も既に解いてあった。


「……さすがに何も、できないか」


 バリエラも困憊こんぱいして、見守るだけで精一杯だった。頭痛は未だに続き、全身が倦怠感に包まれている。少しでも緩むと意識が落ちてしまいそうなほどだった。それでも賢者として戦いを見届ける義務があると、兵士に無理を言って連れてきてもらっていた。


「どうか勝つことができますように……」


 せめてのこととしてバリエラは勇者の勝利を願った。かつて大結界の外で戦う水の勇者にしたように祈る。勇者を信じ続けることくらいしかできることがなかった。



 ◇ ◇ ◇



 鮮血を散らした灰色の巨体を竜の尾が殴り飛ばす。追い打ちをかけるように勇者は緑色の火炎を吐き出した。直撃の寸前、魔人が黒霧を盾にして炎を相殺した。


『やられてばかりいるのは少々、癪だ』


 そう魔人が言い捨てるや、上空の黒雲が光を散らす。そして数えきれないほどの稲妻が勇者へと降りかかった。


「無駄であるよ」


 雷光は到達する直前で軌道を捻じ曲げる。まるで透明な球の表面を無理やり這わされたかのように雷光は流され、あらぬ方向へと散っていく。


 また背後をとった小鬼たちが襲い掛かるが、全ての攻撃が見えない壁のようなものによって弾き飛ばされていた。


 距離をとっても埒が明かないと、再び肉薄した魔人が槍での突きを放つ。だが、突進の勢いと雷光を伴った刺突すら、勇者に届かずに寸前で停止してしまう。


『壁にぶつかったような感触ではないな……。これは何だ……?』


「わざわざ教えたりはせんさ」


 竜爪が振りかざされる。同じ手は食わないと灰色の魔人は既に飛び退いていた。その先には一面を覆うような黒い霧があった。


「……む?」


 知らずのうちに現れていた霧に勇者は顔をひそめる。目を凝らした先にうっすらと浮かんだおびただしい数の小鬼たち。その群れの中で魔人がわらう。


『クハハハハハハ、やっと来たか』


「援軍が到着したというわけであるか。しかし頭数が揃ったところで、この守りを破ることはできぬのではないか?」


『どうだろうな?』


 突然、黒霧が動き出す。灰色の魔人を中心として黒い渦ができていた。黒霧が吸い込まれ、小鬼たちが次々と巻き込まれ、魔人の肉体は膨れ上がっていく。やがて周囲を丸ごと呑み込もうとする黒の球体と化し、身の危険を感じた勇者は地を蹴って後退する。


『クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ』


 魔人の笑い声は徐々に低くなり、野太く森の木々を揺らす振動波へと変化する。渦を伴った球体は見上げるほどに体積を増して、やがて巨人と呼べるほどの大きさとなっていた。


 現れたのはレイガルランの城壁にも引けをとらない背丈を持つ巨人。灰色の肉体の表面には黒い殻のような装甲が付き、その隙間から黒いもやが漏れ出していた。頭の三本角は目元を覆う仮面の一部となり、口から鋭利な牙が先端を見せている。そして魔人の両拳が大きく振り上げられた。


「――むっ!?」


 灰色の巨拳が地面に打ち付けられた。直撃せずとも拳圧と生じた衝撃だけで、守りを固めていたはずの勇者の体が吹き飛ばされる。そして魔人が不敵に笑い、口を開いた。


『ただの感覚だが、これだけの力があれば貴様の壁は突き破ることができる。――オレは本気を出すぞ』


「……これは、あやつも起こさねば勝てそうにないな」


 竜人の勇者の目には先程までの余裕はない。しかし戦意が失われることは決してなく、むしろ目の奥では溢れかえっていた。


「――ゆくぞっ、目に焼き付けるといい、勇者としての全力をおおおおおおおおっ!」


 竜人の勇者がえるように雄叫びを上げた。竜人の肉体を閉じ込めるように何十本にもわたる大きな火柱が吹きあがる。熱と衝撃を伴った風を放ちながら炎の中で何かが胎動する。


『ふん、何をしたところで……っ!?』


 突如、火柱の中から放たれた巨大な火炎を、灰色の巨人は両腕だけで受け止めた。魔人はたまらずに笑う。


『クハハハハハハ、まだ抵抗するつもりか! だが、戦いはこうでなくてはならない! どちらかが潰れるまで終わらぬ、熾烈しれつを極める応酬と報復の繰り返しでなければならない。今この瞬間、このような戦いに興じられることを感謝するぞっ!』


「――戯言を語るな、不快だ」


 冷えきった深みのある声が、燃え上がる柱の壁の内側よりとどろいた。それは半竜人のときの快活な少年の声でも、竜人のときの落ち着きある若い青年のような声でもない。


 あたかも戦場を生き抜いた猛者もさが放つような、勝鬨かちどきを呼び寄せる王者が放つような、聞くもの全てに力をみなぎらせる灼熱を孕ませたような、静かで深い声だった。


 巨大な火柱の左右から広げられた二つの竜翼から、炎の粉が舞い落ちる。伸び出た赤い鱗で覆われた両腕両手には、溶岩のような血脈が波打ち、先端では黒い大爪が並び生える。現れた大顎からは白い牙が整然と並び、灼熱を伴った息吹が隙間から絶えずに漏れ出ている。


 頭には背後へ伸びる二本の黒角。完全な竜の姿となった勇者は、灰色の巨人と比べても遜色ない巨体をしていた。その瞳の色は赤。


「始めるぞ、戦いを……。どちらかが滅ぶ、その瞬間ときまでな」


 竜の勇者と灰色の魔人の最終決戦が、ついに幕を開けた。

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