第24話 勇者は彼方より飛来する

「……サユイカ、生きているのよね?」


 バリエラは急いで駆け寄った。消滅魔法を魔人の斜め下から放ったのは、近くにいた彼女を巻き込まないためであった。しかし呼びかけてみても返事はない。


「ひどい怪我……ごめん……」


 打撲や骨折があるのだろうか。親衛隊の制服越しでも、サユイカの胴や腕、脚に腫れのような膨らみがある。バリエラは手を当てた。治癒の奇跡を行使する。


「――っ」


 頭の奥で走った、針で突き刺すような痛みに、バリエラは顔を歪ませた。戦いで奇跡を何度も行使しすぎた反動だった。実際、普段と比べても治癒の進みが遅くなっている。もうほぼ限界だった。


 それでも大怪我だけは完治させ、バリエラは地にへたりこんだ。未だに上空は黒い雲で覆われている。魔人は倒したはずだが、いっこうに戻る気配がしない。


 一方で、ずっと遠くのほうでは、粒のようなものが空から降り落ちているのが視界に映った。可能な限り目を細めて、遠くに焦点を合わすと辛うじて、それが何なのかが分かる。


 ――黒雲から小鬼が雨のように降っていた。


「…………っ! 嘘、でしょ……」


 一瞬、息が止まりかけた。魔人は倒されたはずなのに小鬼の大群は止まらない。いや、本当に魔人は倒せていたのだろうか?


「……バ、リエラ、さま?」


「サユイカ!?」


 無理して起き上がろうとした彼女を止める。治癒の奇跡は使ったが、あくまで致命傷になりかけているものしか完治できていない。自分で動くことなどもってのほかだった。だが、あの大群に巻き込まれたらどうすることもできない。バリエラは肩を貸した。


「他に生き残りはいないのっ!? いるなら早く逃げてっ!」


 魔人の攻撃で兵士団は壊滅した。それでも辛うじて生き残っていた者たちもいたようだった。ほんの一握りの生存者たちが起き上がって、りになって逃走する。中にはバリエラたちに手を貸そうとする者もいたが、他に生き残った人たちを助けるように頼んだ。


「バリエラ様、……さすがに私と連れるのは、無理があるかと」


「言うんじゃないっ! 見捨ててたまるかっ!」


『小鬼どもの補充がまもなく終わる。お前に吹き飛ばされた者たちも、そろそろ戻ってくる頃合いだろう』


 聞き覚えのある声にバリエラたちの背筋が凍てついた。振り返った先には灰色の魔人がたたずんでいる。消し飛ばされたはずの肉体は何事もなかったかのように再生していた。


『まともに戦うことができるのは、お前たちだけということがよく分かった。逆にお前たちさえ潰せば、残りは小鬼どもでどうにでもなる』


 魔人の周囲から黒い霧が漂い始める。力を振り絞ってバリエラたちは逃げ足を速めるが、霧は二人の背中にすぐさま追いついた。先回りされて前方を塞がれる。瞬く間に囲まれて身動きができなくなる。


 バリエラは浄化の奇跡を使おうとした。しかし指先まで灯った光は、途中で掻き消えてしまった。もう力が残っていない。


「バリエラ様、私の光魔法で……」


「無理よ。戦ったときにもう試した」


 打つ手がないことにバリエラは歯噛みした。身体の硬化は徐々に始まっていた。さっきから指先から肘までのあたりが動かない。


『あとは、お前たちが硬化した姿を見せつけて士気をくじく。強い者と戦える機会がないのは惜しいが、命令には背けんからな』


「……もう、詰んでいるとでもいいだけね」


『この戦いの勝敗は既に決した。そうであろう?』


「そうね。……でも、この街が落ちたとしても、まだあいつがいるから」


 もう一人の賢者、ルーイッドの顔を思い浮かべる。情報は既にサユイカが伝えている。あいつなら魔人に立ち向かえるだけの戦力を用意できるという確信があった。


「せいぜい舐めて、痛い目に遭うといいわ」


『ならば、これからもまだ楽しめるかもしれないとだけ覚えておこう。もう眠るといい』


 霧が厚みを増す。次第に意識が朦朧もうろうとしていき、息をするのも辛くなる。まぶたも重い。死の直前とはこういうものなのかと、とりとめもなくバリエラは感じていた。


(今、少し考えただけでも、やり残したことだらけ……。ごめんなさい、レイラ様)


 敬愛する勇者のことを最後に想いながら、賢者バリエラは目を閉じようとした。




「――ちょっと待つのだあああああああああああああ」


 少年のような声が、賢者たちの耳に入りこむ。どこからともなく飛来した赤コートを纏った誰かが、バリエラたちを覆い尽くそうとしていた黒霧を引き裂いた。


「邪魔なのだっ!」


 赤コートの片腕が黒霧を薙ぐ。それだけで空気の圧が生じ、もやがかかった視界を晴らす。風が刃のように渦巻き、あれほどバリエラたちを苦しめていた霧がまとめて払いのけられていった。


「……危うく間に合わなくなるところだったのだ」


 背丈の低い赤コート姿の誰かが、後ろを振り返った。顔はフードで隠れて分からない。だが、声は変声期を抜け切れていない少年みたいだとバリエラは思った。


「あ、ありがとう。……えっと、どちらさま?」


 掠れる声でバリエラは赤コートの少年に話しかけた。間違いなく知り合いではない。ルーイッドが送り込んだ救援にしても、常軌を逸しすぎている。硬化の霧から救ってくれたことに感謝しつつも、目の前に現れた少年が何者かという疑問のほうが先立った。


「うむ、どちらさまと聞かれても、名前をもらってないから分からないのだ。それよりそっちのお姉さんは大丈夫、なのだ?」


 バリエラは首を縦に振った。硬化の影響で意識を失っているが、呼吸は問題なく体温も問題ない。浄化の奇跡でなんとかなりそうであった。


「動けるなら城壁のほうへ移動してくれ、なのだ。城内の敵はほとんど片付けたのだ」


「片付けたって、あの小鬼の大群を?」


 赤コートの少年が頷く。城壁のほうから聞こえていた剣戟の音は、いつの間にか止んでいた。


(この子って……)


 圧倒的な力、それを有す存在をバリエラは知っていた。


『なるほど、ククク、実は本命を用意してくれていたというわけか、賢者!』


 黒霧が少年によって掻き消されてしまったにもかかわらず、むしろ魔人は感心したと言いたげに手を叩く。それに赤コートの少年が不思議そうに首を傾げるが、見当違いなのでバリエラは首を横に振った。


『なかなかに強い力を感じる。お前は何者だ?』


「何者か、を聞きたいのだな? それなら勇者と答えるように言われているのだ」


「……勇者?」


『勇者だと?』


 勇者という単語を耳にした瞬間、魔人の口角がさらに吊り上がった。


 突如、魔人の全身から紫電がほとばしり、稲妻が全方位に向けて襲いかかる。バリエラの反応速度を越えて放たれた光の壁が、一瞬で周囲を焼き尽くした。


 バリエラが次に目を開いたときには、右手に紫電を弾けさせる赤コートの勇者がいた。


『あれを破ったか。どうやら勇者を名乗ったのは伊達ではないようだな』


「いきなり電気の壁をぶつけてくるなんて危ないのだ。後ろにいる者たちまで巻き込まれるところだったぞ」


 魔人の不意打ちを少年が防いだということに、賢者は後から気がついた。


『それがどうした? 弱き者が駆逐されるのは当然のこと。狩る側に狩られる側の事情など知らん』


 込み上げてくる衝動を抑えるように、灰色の魔人は笑いを噛み殺している。少年は動じることなく、ただ静かに相手を見据えていた。


「……お主の考えは分かったのだ。けど、私は人々を助けに来たのだ。狩らせるわけにはいかないのだ」


 勇者は赤いコートを自ら宙へ脱ぎ捨てた。隠されていた顔があらわとなって、場の全員が息を呑む。その姿を目の前にした魔人も途端に口を閉ざした。


「……角?」


 唖然としながらバリエラは呟く。


 見た目は十三歳になるかといった少年だった。しかし青く短い髪の中には、後ろへ伸びる二本の角があり、背中には蝙蝠を思わせるような翼が、腰には爬虫類を思わせるような尻尾が生えていた。指先の爪や口内の歯は鋭く、刃物のように尖っていた。


 半分は人間で、半分は竜人。それこそが人形神によって召喚された今回の勇者の姿だった。


 幼さがまだ残る顔と身体の一部に組み込まれた、凶悪な爪牙を見せつけながら、勇者は敵に宣告する。


「――敵よっ! 本気でかかってくるのだ! でなければ貴様に生きるすべはないと思え、なのだ!」


 勇者の全身が蒼白く発火する。炎で包まれた半竜人の身体が宙を舞い、灰色の魔人へと強襲した。

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