第23話 結界の賢者は奮戦する
暴風、落石、重力、燃焼、氷結、猛毒、石化、溶解、そして……
「――邪悪に、光の裁きを下し、全てを滅せっ!!」
上空に展開された複数の魔法陣より放たれた光の奔流は全て、魔人の周囲を漂う黒い霧によって阻まれる。切り札の消滅魔法でも霧の壁を貫くことができなかった。
(これでもダメか……)
触れれば石化する黒い霧。なぜか物理障壁にもなるらしく、今も兵士たちが放った矢や魔法が弾かれ続けている。バリエラが扱える多種多様な魔法も、魔人を守護するように
「賢者様、次はどうされますか!?」
「とりあえず今のまま続けてっ!」
「了解です」
全軍に怯むなと兵隊長が怒声を飛ばす。さらなる矢や魔法弾が雨のように降り注ぐが、魔人は避けようともしない。遠くから放たれる攻撃は全て、タイミングを察しているかのように動く黒い霧の守りによって阻まれる。
ギリギリまで近付くことができれば、間隙を縫って攻撃を魔人に直接ぶつけることも可能だが、石化の餌食となってしまうのは想像に難くない。
先に霧をどうにかしなければ勝機はないとバリエラは悟った。石化の原因でもある黒い霧。しかし石化の原因であるからこそ、一つの方法が思い浮かんだ。
「―――いけっ!」
バリエラは浄化の奇跡を全力で行使した。神聖な光が味方、敵関係なく覆いつくし、魔人の周囲で渦巻いていた黒霧を掻き消していく。光の残滓が戦場全体を漂うと、それまで防がれていた兵士たちの攻撃の雨が、ついに魔人へと着弾する。
「やった?」
『……この程度か?』
黒煙を掻き分けるようにして魔人は現れる。まともな傷を負ったようには見えなかった。
『やはり勇者でなければ手応えが無い。少しは期待していたが、手早く終わらせた方がよかろう』
「ずいぶん身勝手に舐めてくれるじゃない……」
ただの強がりをバリエラは言い放った。しかし、ほんの少しだけ突破口は見えたのも事実。硬化の呪いと同じく、あの黒い霧も浄化の奇跡で無力化できるらしい。その隙に力限りの魔法を叩きこむことができれば……
同じことを察したのか、指揮をしている兵隊長が頷いた。そして大きく叫ぶ。
「霧のない今が好機だっ! 全員っ、全力で突撃しろおおおおお」
バリエラが浄化の奇跡を再発動させると同時に、先陣を切った兵隊長に続いて、兵士たちが魔人へと駆けだした。強化魔法や加速魔法が掛かった動きで、四方八方より灰色の巨体の前へ躍り出る。彼らが離脱するタイミングを計るかのように、弓兵が矢をつがえ、魔法士が呪文を唱え始める。バリエラも合わせて詠唱する。
劣勢を覆すための第一撃が放たれようとした。灰色の魔人に肉薄した兵隊長が、自らの詠唱で燃え上がらせた剣で斬りこもうとした、その刹那だった。魔人は冷酷に告げる。
『――雑魚が群れても意味などない』
周囲で雷光が炸裂した。突撃した兵士たちが次々に巻き込まれる。沸きあがる悲鳴を塗り潰すかのように怒声が
「――俺たちに構うなあああ。撃てええええええ」
力を蓄積させていた後方兵が、一斉に全力の一撃を解き放つ。矢は閃光となって、炎は砲弾となって、魔人を
『……だから無意味だと言っている』
黒雲で暗くなった大地が、その瞬間だけは太陽が昇ったかのように明るくなった。
『ほう、なんとか耐えれるようだな』
その場に立っていたのはバリエラだけだった。見渡すと他の味方は地に伏していた。皆、死に絶えていた。漂う焼けた匂いがそれを物語っていた。
「……え?」
倒れた兵士たちから弾ける紫電に、バリエラは目を奪われる。反射的に身を守る障壁は張れたが、できなければ同じように倒れていただろう。
『難しいことはない。弱かった者が倒れただけだ。しかし全滅するだろうと思って放って、一人を残してしまったのだから、これは喜ぶべきか悲しむべきか』
「ぜん、めつ……?」
バリエラは困惑する。まるで魔人にとっては戦いでも何でもなく、最初から自身を満足させるためだけの遊戯であるかのような口振りだった。
『まあいい。お前の力量もだいたい理解している。城塞は既に陥落した。さっさと地に伏すがいい。勇者もどき』
魔人が掲げた右腕に、引き寄せられるかのように複数の稲妻が落ちる。それらは束ねられて高電流の球体を形作る。
一方のバリエラは一度、真っ白になった頭で、なんとか状況を呑み込もうとしていた。あれほどの兵力が一瞬で全滅したという衝撃と、敗北しかないという絶望。冷静に思考を巡らせようとしても、半分以上が恐怖という感情に支配されて打開策など浮かびようがない。
(どうするのよ、これ……)
ピクリとも体を動かさない兵士たちが、バリエラから思考力を奪い取っていた。
(どうすればいいのよっ、これっ)
灰色の腕が振り下ろされるまで、彼女はただ呆然と立ち竦んでいた。
「――バリエラ様っ!」
その声が聞こえるまでは……。
『む……?』
魔人の腕に白い軌跡が刻まれる。その傷口からは赤い体液が
再び現れた白制服の彼女に、バリエラは思わず目を丸くした。
「……サユイカ? なんでここに!?」
「ルーイッド様への連絡が終わって、すぐに戻ってきたつもりだったのですが……」
彼女は周囲を一瞥しつつもバリエラに頭を下げる。
「申し訳ありません。遅かったようです……」
それから、くるりと向き直り、魔人と対峙するように剣を構える。
「あんた馬鹿なの!? そのまま逃げてくれれば良かったのに!」
「それをすればルーイッド様からの命令を反故にしてしまいます。元よりバリエラ様を置いて逃げるつもりもありません」
そして最後にサユイカは一度だけ振り向いた。お逃げください、時間は稼ぎますと言い残して。
『次はお前が相手か? 少しは期待させてくれるのだろうな?』
「…………」
サユイカは冷やかに敵を見据えると、次の瞬間には姿を消した。実際には高速で魔人の背後を取り、剣を横薙ぎに振るおうとした。
『速い……が、目で追えないほどではないな』
首を
『時間を稼ぐ、だったか? 口ほどでもない腕でよく言えるものだ』
即座に容赦ない拳が腹に叩きこまれ、サユイカが呻き声をあげた。
『そこの勇者もどきが言ったとおり、逃げていれば良かったものを』
さらに複数回、殴られてサユイカの手足から力が抜けていく。いたぶるように魔人は殴り、叩き、頃合いを見て彼女を宙に放り投げた。
『まさか自分から殺されにくるとはな。これほどの馬鹿もそうはいまい』
浮遊して空中で停止し、それから重力に引っ張られて落下する彼女に、灰色の魔人は雷光を纏った手を向けた。完全に意識を失ったサユイカは、動く気配どころか反応する気配すら見せなかった。
「――ふざけんなっ」
バリエラは向けられていた灰色の背中に火球をぶつけた。たいした火傷にもならなくても、煩わしそうに魔人が振り返る。
『一応、こいつの意を
まるで玩具を扱うかのように、落ちてきたサユイカを受け止めながら、魔人は肩をすくめてみせる。
「うるさいっ! そう簡単に見捨てる性格なんかしてないわよ! だいたい見逃そうなんて思ってないでしょ」
そう来てもらわなければ面白くないとでもいうように魔人の口角が吊り上がる。それから意識のないサユイカを適当に投げ捨て、バリエラのほうへと向き直る。
『ならば仕方ない。望み通り先に始末してやろう……』
「――やってみなさいよっ!」
稲妻がバリエラの生み出す障壁で散らされる。そのまま前へ駆ける彼女に、次々と黒雲から雷が落ちた。結界の奇跡を最大限行使して、迫りくる雷光を全て防ぎながら、バリエラは灰色の魔人へ接近する。
『わざわざ死にに来るかっ!』
巨体が前へと動く。それに応じてバリエラは上空に向けて手を伸ばした。天を半円状の結界が覆う。透明な壁はバリエラと魔人をその中へと封じ込める。
『閉じ込めたつもりか? だが、お前が倒れてしまえば意味はない!』
勢いのついた魔人の拳が放たれる。だが、バリエラが即座に生成した球形の壁が受け止めた。触れる灰色の四指から、くすぶった音を立てて蒸気のような煙が上がる。自身が焼かれていることに気がついた魔人は、目元を仮面で覆われていても分かるくらいに驚愕した表情を見せた。結界の内側で生み出された、虹の結界の中でバリエラが口を開いた。
「この結界は賢者として、私が受け取った奇跡。これはそのオリジナルよ……」
その名は選別の結界。危険な力、邪悪な力を持つ者の侵入を妨げる防護結界。国を覆う大結界のように結び石を介して弱まったものでもなく、防御で使用する機能を削いだ障壁でもない。
「――これが私の、正真正銘の、奥の手っ!」
選別の結界が体積を拡大させる。それは灰色の巨体を強引に押しのけ、外側の結界へと貼り付けにした。今にも潰す勢いで迫りくる壁を、魔人が必死で食い止めている一方で、バリエラは二重の結界の中を悠然と歩く。
『これは――っ!』
「言っておくけど、外側に張ったのは耐久度を最大限に引き上げた障壁よ。そう易々と壊れないわ。そのまま潰れて焼かれてなさい」
魔人が動けない今この瞬間が好機だった。
バリエラはサユイカに感謝した。彼女がいなければ奮い立つことができなかった。彼女が稼いでくれた時間がなければ、この魔法を放つための魔力を回復できなかった。
魔人は意図に気づき、黒霧を
バリエラは複数の魔法陣を同時展開する。そして唱えた。消滅魔法の文言を。
「我は破邪を信じる者、世界に宿りし力よ、目覚めろっ! ――邪悪に光の裁きを下せっ! 全てを滅せええええええええええっ!!」
至近距離で魔法陣が魔人へと向けられる。そこから放たれた純白の光の奔流は、魔人の上半身をも巻き込んで、突き進む先にある上空の黒雲までの全てを消し飛ばした。
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