第21話 結界の賢者は戦いを選ぶ

「――この場所ならっ」


 風魔法による加速を切り、地面に足を滑らせながら急停止する。バリエラは灰色に錆びた兵士団の中心に立っていた。


「――まとめて、剥がせるっ!」


 両手を天に向けて掲げる。そこから展開される半円の結界が、空間を徐々に広げていく。兵士団を丸ごと効果圏に収めるには時間がかかるが、サユイカたちが十分すぎるほど敵を引きつけてくれている。とはいえ遠目では、別の小鬼の集団が迫ってきている。悠長にはできなかった。


 結界が大きくなったところで浄化の力をまとわせ、今度は石化を解除していく。降り注いでいく光の粉が、灰色の兵士たちを元の姿へ戻していく。硬化の解けた彼らは身に起きたことに当惑しながらも、近くで戦闘が起きていることに気づいたようだった。


「……もしや、あなたが賢者様でありますか?」


 隊長格とおぼしき鎧の兵士が、バリエラに声を掛けた。この兵士団を統率していた兵の一人だったらしい。


 彼に現状を説明し、他の隊長にも伝えてくれるように言伝を頼んだ。ついでに例の二本角の魔物についても尋ねておく。しかし、ほぼ交戦なく硬化されてしまったため、有用な情報は得られなかった。


「お役に立てず申し訳ないです。あの魔物たちは突然、出現しました。我々が何もできなかったのは、相手の攻撃がほぼ奇襲だったこともあります。正面戦闘であれば、レイガルランの主力である我々は、魔物程度に一歩も引けを取りません」


「頼もしいです。けれど、決して無理な戦いはしないように心掛けてください」


 作戦が成功したことに安堵しつつも、バリエラはさらにいくつか指示を与える。隊長は数人を呼び寄せて、さらに指示を飛ばした。号令が飛び交い、兵士たちが次々と剣を抜いていく。


「――目標は城壁の奪還。まずは手前に群がっている魔物たちを蹴散らせ!」


 雪崩れ込むように突撃した兵士たちは、サユイカたちが戦っていた小鬼たちを瞬く間に殲滅せんめつし、新たに迫っていた魔物の一団を迎え撃つ。


 陽動作戦の甲斐もあり、流れ込んできた魔物の数は、今のこちらの兵力と比べて圧倒的に少なかった。これならば北側を制圧し、そのまま城壁内の敵を一網打尽にできる。


 バリエラは結界の効果圏をさらに拡大させた。連続する力の酷使で、全身に重圧のような負荷がかかる。魔物たちの呪いを無効化させ続けるために必要だった。


 局地的であるものの戦況は優勢。これを維持し続けられれば、城壁内の部隊との合流も難しくはない。作戦は全てうまく行くように思えた。


 ――そのとき不自然な黒雲が、空を覆い尽くしつつあることは誰も気づかなかった。




 ふと気づけば、辺り一面が異様に暗くなっており、バリエラは胸騒ぎを覚える。日没にしては時間が早すぎた。単に曇っているわけではなく、闇が空となって広がっているようだった。立ち込める黒雲が完全に光を遮っていた。


 ただの魔物が引き起こすにしては規模が大きすぎる。今も小鬼と戦い続けている兵士たちにも動揺は広がっているようだった。サユイカも異変を感じていたらしく、バリエラの傍に駆け寄ってきている。


「バリエラ様……」


「分かっている。ほんと、来てほしくなかったタイミングでやってきたみたいね」


 この戦場で、こんな規格外なことができる存在は限られる。


「きっと魔人ね。せめて援軍が到着してからにして欲しかったんだけど」


 ある程度は予想し、覚悟していた事態であるためか、バリエラ自身に驚きはなかった。


「魔物たちの能力からして、敵を硬化させる能力は当然、持ち合わせているでしょう。バリエラ様、いけるでしょうか?」


「正直、本当に能力がそれだけなら、まだ対応のしようはあるわよ」


 上に広がる黒雲を眺めて、それはないとバリエラは断じる。


 以前、出現した氷の魔人も氷結能力のことが印象強いが、実際には天候操作、氷生成など複数の能力を身に付けていた。ならば今回の魔人も、黒い霧で敵を硬化させる能力しかないという可能性は低い。


 実際に戦ってみないと勝利できるかどうかなんて分からなかった。


「――?」


 そこまで考えを巡らしたときだったせいで危うく見落としそうになった。


 黒雲の一部が一瞬、光ったような気がした。


「――まさかっ」


 刹那、降り注いだ多数の雷光と、轟音に戦場は晒される。兵士、魔物を問わずに地に立つ者めがけて、雷が放たれていた。ある者は焼かれ、ある者は吹き飛ばされ、ある魔物は体を砕かれた。


 防御結界を展開したおかげで、バリエラ周辺の兵士たちには被害はない。しかし全体を見れば、敵も味方も多くが倒されていた。


「……いくらなんでも理不尽すぎない?」


 あまりにも凄惨な光景に思わず本音を漏らしていた。これでは作戦もあったものではない。最初から魔物たちに攻めさせずとも、現れた魔人一体で、このレイガルランくらい簡単に落とせてしまうのではないか、という気がしてならなかった。


 彼方から放たれる、とてつもない強者の気配に、バリエラは痺れるような感覚を覚える。


 その魔人は鉄の仮面で目元を覆っていた。灰色の肌を露出させた四肢には、破裂しそうな筋肉が盛り上がっている。頭には三本の角が伸びていた。片手だけで背丈よりも長い三叉槍を握り、ただでさえ巨漢の大男といえる体を大きく見せていた。


『――烏合の衆の中で、とても強い気配を感じた。貴様が勇者か?』


 灰色の魔人はバリエラを見据えてそう言い放った。


「……残念だけど違うわ。私は勇者じゃない」


 バリエラは顔をしかめながら、毅然とそう答える。内心では込み上げてくる恐怖と戦っていた。


『そうか。それは好都合でもあるが非常に残念だ』


 少し興味を失ったかのように魔人は槍の先を彼女に向ける。周囲に群がる兵たちなど歯牙にもかける気がないようだった。


「戦う前に一つだけ聞いていい? 集めていた情報で、てっきり魔人は二本角だと思っていたのだけど、あなたは角を三本持っているのよね? 魔人は一人じゃないの?」


『答える必要など別にないが、もう隠す必要もない。そろそろ頃合いだろうからな』


 いったい何が?と思う間もなく、城壁の方角から何かが爆発したかのような音が耳に入る。予想外の轟音に驚いて振り向いてみれば、城壁よりもさらに奥、見える本城から煙が立ち上っていた。


「……嘘」


『彼女は優秀な私の部下だ。見事、辿り着いてくれたようだ』


「どうやって……?」


『すぐに分かる』


 魔人の背後が揺らめく。そこに夥しい数の灰色の小鬼たちが現れる。奥の森にまで広がった群れは、暗闇で総数は測れないが、万以上いるかもしれない。


 バリエラは兵隊長の言葉を思い出した。魔物たちは突然現れた、と。それはつまり、魔物たちに姿を隠す能力が備わっていたということだった。警戒中の部隊への奇襲、陥落していない城壁を通り抜けての本城への攻撃、これらもそうした能力を持つならば辻褄が合う。


「――ほんと、最悪っ」


 状況は本当に最悪だった。気づけなかったことが腹立たしかった。怒りで恐怖が少し紛れる。少し頭を冷静にしてバリエラは、隣で身構えるサユイカに話しかけた。


「どうにかルーイッドと通信つけられる? この情報、なんとしてでもあいつに伝えて」


「直通の通信石を渡されているので可能ですが、戦地から離れないと使用は難しいです」


「なら、サユイカはこの場から脱出しなさい。あなたの実力ならなんとかいけるでしょ」


「しかし――っ」


「この戦い、きっと負ける。だから次に繋げるために。……お願い」


 図らずも声が震えた。サユイカは何も言えなくなってしまったようだった。


 そしてバリエラは前へ出た。その周囲で風が動き、彼女にまとわりつく。


「――さあ、怪物。結界の賢者の名は伊達じゃないってとこ、見せてあげるっ!」


『――かかって来るといい』


 絶望的な戦いが今、幕を開けた。

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