第20話 賢者は敵陣を駆け抜ける
炎や砲弾が降り注ぐ石造りの城壁を灰色の群れがよじ登る。小鬼たちは傷を負っても、仲間が倒れても、気に留めることなく第二城壁へ押し寄せてきていた。
レイガルランの三つの城壁は内側へいくほど高くなり、外側の城壁を落とされても内側の城壁から直接、攻撃を叩きこめるように設計されているが、どんなに数を減らしても突破された第一城壁の上から、あるいは門から際限なく出現する新手の小鬼には高低差の有利は意味を成さなかった。
城壁の合間を埋め尽くす小鬼の海を焼き尽くすべく、広範囲魔法や砲撃が放たれているが、小鬼自身に何かしらの耐性があるのか有効打となりえていない。そのため防衛部隊は壁を登る小鬼を叩き落としつつ、城門付近の敵を減らして時間を稼ぎ続ける。作戦の時が来るのを待ち続けていた。
――そして城壁の西側で作戦は始まった。
「ギャアアア!?」
悲鳴を上げて小鬼たちの一部が吹き飛ばされる。城壁外から放たれた魔法の砲撃によって、小鬼たちは混乱に陥る。騒ぎに乗じて森林の中から兵士が次々と姿を現した。重装兵と魔法兵、弓兵の混成部隊。遠距離かつ広範囲に放たれる爆撃と矢の雨は小鬼たちの隊列を瓦解させる。
「ギイイイイイイィィィィ!」
隊長格の小鬼が甲高い鳴き声で叫ぶ。乱されていた隊列が再び整えられ、小鬼たちが攻撃の雨に構うことなく、兵士たちへ突撃をかける。兵士団からは重装兵が前列へ出て、押し寄せる敵を食い止めるが、彼らが倒されれば残りは簡単に蹂躙されてしまうだろう。
隊長格の命令を受けて、灰色の小鬼たちが重装兵たちへと飛びついていく。それでも兵士らの円形の防御陣はなかなか崩れることをしない。しかし今までの城壁の戦いでも似た光景は何度もあった。
「ぐっ……」
重装兵の誰かが呻きを漏らす。守備は崩れないが、兵士たちの動きは確実に鈍くなっていた。鎧や盾で防ぎきれなかった魔物の爪牙が、硬化の呪いを与え続けていた。呪いに治癒魔法を浴びせれば即座に、そうでなくとも何度も攻撃を受け続けていれば、負傷部位は硬直していく。硬化が全身まで及べばもはやただの石像と相違ない。
第一城壁は呪いに対応できなかったために陥落した。そして今の戦いもその再現であるかのように進行していた。それゆえ最初こそ奇襲を受けて怯んだ小鬼たちも勢いづいた。
「――魔法士隊っ! やってくれ!」
一つの号令で突如、兵士団全体を光の結界が覆い包んだ。小鬼の群れの一部も巻き込みながら、展開された光壁の中で、重装兵たちに治癒魔法や石化解除の魔法が掛けられていく。硬化し始めていた兵たちが再び機敏さを取り戻していった。硬化の呪いは確かに作用したが、魔法士隊によって全て解かれていた。
一部の小鬼たちは疑問を感じたようだが、たいして気に留めることはなく、これまで通りに牙や爪でもって兵士たちを倒そうと次々と襲いかかる。同胞の屍すら踏みつけ、重装兵の壁を打ち破ろうとした。
一方で兵士団は猛攻を重装兵たちが引き受け続け、魔法士隊が巨大火球で敵の後続をまとめて薙ぎ払う。
守りを貫けない小鬼たちと決め手に欠ける兵士団の戦いは、拮抗状態へと移っていった。
◇ ◇ ◇
「陽動部隊はうまく敵の大部分をうまく引きつけてくれているようですね。包囲していた魔物の大部分が西側に流れたおかげで、こちらの動きに反応した集団はありません」
森の中から小鬼たちの様子を確認していたサユイカが報告してくる。
「そう、良かった。名乗り出てくれた防衛部隊の有志たちに感謝しないとね」
「そうですね」
「――それで、今の数は?」
「ここから見える城壁の前には五百匹くらいです。例の硬化した部隊は壁より少し離れて布陣していたためか、その付近に敵影は確認できません。そこまで接近して、敵に全く気付かれないということはないでしょうが……」
「……サユイカ、先行して私を誘導することってできる?」
「バリエラ様が目的地まで到達するのを護衛する、という解釈でいいなら問題ありませんよ」
「じゃあお願いね」
部隊の大部分をサユイカに受け持たせ、残りはバリエラの護衛に回す。サユイカたちが道をこじ開けて、目的地に到達したバリエラが奇跡を行使する。硬化中の兵士団を復活させることができれば、戦いで小鬼たちに押し負けることはないだろう。作戦部隊の最終編成を完了させて、バリエラは全体に声を飛ばす。
「今から突撃します! 敵とは無理して戦う必要まではありません。けど、私が通る道を切り開いて下さい。必ず作戦を成功させましょう!」
兵士たちが頷くのを確認してから、バリエラは誰にもばれないように大きく息を吸い込んだ。高まってきた心拍音が直に感じられた。大丈夫、うまくいくと念じてからゆっくりと息を吐きだした。
城塞都市であるからこそ緊急時に備え、レイガルランには脱出用の地下避難通路が複数用意されている。それらの出入り口は本城に設置され、結界のある北を除いて三方位へ伸びている。
作戦では、西から持久戦に特化させた部隊を出して囮とし、東から脱出したバリエラたちが北上して硬化中の大部隊と合流、バリエラが大部隊を復活させるという流れだった。
成功すればこの街が失っていた半分以上の戦力が復活することになる。
――絶対に失敗するわけにはいかない。
――失敗すれば、この街は終わる。
――失敗すれば、自分も生きては帰れないかもしれない。
ずっと心の内側で反芻していた不安と恐怖が、改めてバリエラの肩に重くのしかかっていた。
ルーイッドと違って、バリエラには実戦はおろか戦闘訓練をまともに受けた経験もない。多様な魔法は扱えても実戦で役立つかは未知数。むしろ足手まといの可能性のほうが高い。
しかし立てた作戦上、バリエラに逃げるという選択肢はない。だから覚悟だけは決めていた。
「――行きましょう」
賢者の戦いは今、始まった。
◇ ◇ ◇
作戦部隊が街の北側に接近するや、小鬼の群れが反応して会敵する。サユイカが真っ先に最前列から飛び出した。
目に留まらぬ素早さで敵の群れに突入し、剣の軌跡を伴って縦横無尽に駆け回る。ほんの十数秒で切り刻まれた小鬼たちが崩れ落ちた。敵の十数体が倒れたのを皮切りに他の兵たちも小鬼たちと交戦をはじめる。
前列を切り崩した敵に動揺が広がり、現状はこちらが優勢だった。時折バリエラの元まで灰色の小鬼が飛び出てくるが、護衛の兵士がすぐに反応して、降りかかる爪牙から守り抜く。
しかし、部隊全体を見れば、傷を負う味方は出てくる。
「――ごめんっ! 今、治すから!」
「いえ、このくら……」
返事をさせる
「他にもいるみたいね……」
周囲を見渡せば硬化の影響を受けている兵士がところどころにいる。未だ脱落者は出ていないようだが、時間の問題と見切りをつけて、結界を発動した。浄化の奇跡を織り込んだ結界に治癒と石化解除、加えて複数の身体能力向上の魔法を併用する。
囮部隊が張っていたのも同じく浄化の奇跡を入れ込んだバリエラの結界だった。あちらは奇跡の力を一部貸し与えただけだが、バリエラが本気で直接、結界を張ったならば性能も効果も持続時間も段違いとなる。
展開された結界内で味方のみに光が降り注ぐ。呪いが無効化され、傷が瞬時に塞がる。強化された兵士が押し勝って小鬼に止めを刺す。
犠牲者が出ていない現状にバリエラが安堵したところで、小鬼の群れの一角が閃光によって切り崩された。阿鼻叫喚の悲鳴をあげて消滅する数十の小鬼たちと共に、涼しい顔をして彼女が現れた。
「バリエラ様、道を切り開きました。目的地まで全力で直進してください」
「サユイカ? えっ、さっきのなに? って、説明させている場合じゃないわね」
指で示された場所には先ほどサユイカの閃光でできた大きな道ができていた。今、部隊の兵士たちが近付かせまいと、必死に小鬼たちと戦っている。
「みんな、ありがとう。――行ってきます」
風の魔法を自身に纏って、速度を上げたバリエラが魔物の群れを突き抜けていった。
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