第7話裏 勇者は賢者に名を与えなければならない

 かつて滅ぼされた小国アシュワノット。大陸南半分の中央より、やや北側に位置するだけの小国は、勇者の少女と王族の生き残りの少女によって建て直され、ほとんど国家機能を果たせなくなっていた周辺国を吸収し、かつてないほどの大国にまで成長を遂げていた。


 さらに結界と強化、現れた二人の賢者の二つの奇跡によって、大量出現する魔物の脅威から人々を守り、対抗していく力を手にしたアシュワノットはやっとの平和を築き始めていた。


「あの子達、よくやってるわね」


「はい、おかげで私も楽できるようになりました」


 天井のない外廊下で、この国の主と水の勇者が、胸ほどの高さのある塀に寄りかかりながら城下の景色を眺望していた。


 彼方の大空は、淡く黄金色の輝きを放つ膜のようなもので覆われている。先日、現れた少女の賢者による大結界だった。この国全土を覆い尽くす、魔物の立ち入りを防ぐ防壁であり、今や魔王領との境界線ともなった。


 一方、眼下に広がるのは、演習場で行われる訓練中の青制服の兵士たちの姿だった。一部、溢れんばかりの肉体美を見せつけている猛者どもは置いといて、全員が最近、現れたばかりの少年の賢者の指揮に従っている。彼は軍事にかかる知識を多く身に付けているようで兵士たちの統括を自ら買って出たのだった。


 ちなみに少女の賢者のほうも触発されたのか、最近は兵士団や国の内務仕事を自ら引き受けている。


「ところで、賢者が一人増えたということはアレもまた決めなければならないってことなのよね……」


「そうですね!」


「なんで、あなたは嬉しそうなのよ……」


 苦言するようにミエラが呟く。頭を悩ませる案件、それは――、名前を持たない賢者に、名前を付けなければならないということだった。



 ◇ ◇ ◇



 なぜ生まれたばかりの赤子でもない賢者に名前を付けなければならないのか。話は単純で、勇者や賢者は創造されるとき、特に名付けられないからだった。


 現に創造主たちは炎の勇者や水の勇者のように呼称しており、しかも地上に召喚すした後は、天からの啓示という形で、ほぼ一方的なやりとりしかできないので、わざわざ個人名を与えてあげる必要がないという事情があった。


 ちなみに水の勇者の『レイラ』という名前は炎の勇者が付けてくれたもので、炎の勇者もかつて一緒に旅をした仲間たちから名前をもらっている。


 もちろんそんな事情などミエラは知る由もないが、結界を扱う少女の賢者が連れてこられたとき、後から名前が無いと知って、慌てて名付けたという経緯があった。


「男の子ですから、カッコ良さそうな名前にしたいですね。エルジャーさんを参考にしてヘルジャーとか」


「被せるのはやめてあげて。一応、あの人は人類を裏切った勇者で魔王でもあるんだから」


「……ジャー?」


「文字数を減らせばいいというわけじゃないと思うのだけど……」


「ケンジャー」


「……もちろん冗談で言っているのよね?」


「――?」


 エルジャー、クラダイゴを含めた四人で旅をしていた頃、二人から散々言われていたことがあった。レイラにだけは名前を決めさせるなと。


 元勇者だったエルジャーが言うには、レイラはその場の思い付きで名付けをする傾向があるらしい。故に決めるのは早いが問題は感性。先ほども犬に『いぬ』と名前を付けるみたいな真似をやらかしているが、レイラは違和感を覚えることなく素でやらかしている。


「それならミエラはなんと名付けるのですか?」


「……ジルバルーファネル」


「言いづらいし、よく分からない名前ですね」


「あなたにだけは、絶対に言われたくないのだけど!」


 素直に格好いい響きだと思った名前にすぐ反対が入り、ミエラは口を尖らせる。ちなみにこの壊滅的なセンスを知ったエルジャーとクラダイゴは以後、レイラと彼女に名前決めを任せようとしたことはなかった。


「じゃあ前みたいに、私やミエラの名前を参考にすれば」


「確実に女の子の名前になるんじゃないかしら?」


 今回の賢者は白銀の髪と緋色の瞳を持ち、物腰の柔らかそうな少年だった。顔も中性よりなので、女の子のような名前でも似合わなくは無さそうだが、流石に可哀想だと却下する。


「クラダイゴさんは……なんかイメージが違うので参考にならないかもですね」


 日に焼けた肌と短く刈り上げた金髪で雄々しい傭兵剣士の姿は、落ち着いてそうな賢者の少年とミスマッチすぎた。


 創造されてから五年半と少しくらいしか地上で生きていないレイラと、元々はアシュワノットの王族として過保護な環境下で育ったミエラ。旅をした身といえども世間知らずはまだまだ抜け切れていない二人。常識的な名前の匙加減が分かっていない二人が、参考にできるもの無しでの名付けに、匙を投げるのは早かった。


「人の名前の一覧とかあればなんとかなるかもしれないですが……」


「それよ! 城の侍従たちや各地の領主たちをまとめた名簿がどこかにあったはず。そこから探せば似合う名前も出てくるはずよ!」


「勝手に持ち出しちゃダメですよ、お二人とも……」


 第三の声がして振り返った先には、結界の賢者でもある金髪の少女が青制服で、政務の書類を抱えたまま呆れ顔をしていた。執務室に全く居ようとしない二人に渡すためにここまで探しに来たらしい。


「強化の賢者、兵士団の皆さんから名前をもらったって言ってましたよ」


 不毛な話と暴走をこれ以上させまいと終止符を打ちこみ、書類を手渡してから結界の賢者は仕事へ戻っていくのだった。話を強制的に帰結させられて、仕事だけを手に残されてしまった勇者と女王は顔を見合わせる。


「やってきた賢者は二人共しっかり者ですね」


「そうね」


「もし私達がいなくなったとしても案外、大丈夫そうですね」


「いなくなるだけで大問題なんじゃないかしら……」


 それでも、確かに賢者二人が代わりを務めても、政務を滞りなく回せそうだなとは、ミエラも思ってしまうのであった。


「でも、全て任せられる後輩たちができたことはいいことです」


 改めて城下を見やった勇者の横顔は、また別の遠くの景色を見つめているようであった。

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