第6話裏 賢者の少女は戦慄する

 結界の賢者は緊張で震えていた。


 大理石が詰められた白床に映えるように、緋色の絨毯じゅうたんが敷かれた大広間。段差で区切られた広間の奥に、意匠の施された大理石の椅子が堂々と鎮座している。そこへ横髪を一房ひとふさだけ三つ編みにした、白銀の頭にティアラを付けた若い女性が、淡青と金の刺繍の入ったドレス姿で腰を掛け、威厳を伴った紫檀したんの瞳で見据えてくる。


 その傍らにたたずむのは水色の髪を背に垂らし、紺碧こんぺきの瞳でこちらを見つめる青制服の女性剣士。同じく神に直接創造された者としての直感か、賢者は彼女こそが水の勇者だと気づくことができた。


 やっと探し人に出会えた。しかし込み上げてくるはずの高揚感は、もはや緊張で塗りつぶされてしまっていた。赤絨毯から十歩ほど離れたところで整列している、青制服の兵士たちや文官たちから注がれる視線で、賢者の少女は身体を極限まで強張らせていた。


(ど、どう切り抜ければいいのよ、この状況……)


 逃げ出したい気持ちで心はいっぱいだった。


 ここまで連れてこられた経緯が大問題だった。地上に召喚されてからの勇者探しで彷徨ほうこうしていた賢者は、王都郊外で悪徒に出くわし、いさかいを起こし、それがきっかけで憲兵に連行され、訳が分からぬまま、この立派な大広間に連れ出されていたのだった。


 だから彼女は気が気でなかった。


 狼藉者とはいえ、ただの民間人を魔法でボコボコにしてしまった自分にいったいどんな罰が下るのか、と震えていた。



 ◇ ◇ ◇



「大丈夫なのかしら? あの子」


 広間の中央で翡翠ひすい色の瞳を潤ませて半泣きしているようにも見える金髪の少女に視線を向けながら、ヨリミエラ女王――、ミエラが水の勇者であるレイラに向けて、ギリギリ聞こえるような小声で話しかける。


「問題ないと思いますよ。服装的にもこの場で浮いていることもないですし」


 賢者の少女を城に連れてこられたとき、その姿はお世辞にも良いとは言えなかった。レイラの指示で、汚れてボロボロだった服は全て捨てさせ、賢者のイメージっぽく綺麗な白と藍を基調としたシャツとスカート、さらに上から同色のローブという姿に着替えさせたが、やはり無理やりは良くなかったのではないか、とミエラは思う。


「そうだけど、なんか不安そうなのよね」


「緊張しているだけですよ。これが終わったらまでする予定なのにわざわざ不安にさせるわけがないじゃないですか」


「今のところ連行されて着せ替え人形にされただけよ、あの子」


 すべてはレイラが、もうすぐ自分の後輩がこの王都にやってくるという話をしたのが発端だった。勇者のシステムについて詳しくは知らないミエラだが、以前もライオというレイラの後輩にあたる勇者が訪ねてきたこともあり、なら歓迎したほうがいいわねと話を進めていたのであった。


 まさか未だ無法地帯を拭いきれない街の郊外で、件の少女が憲兵に捕まえられていたなんて思いもしなかったが。


 暴漢たちが吹っ飛ばされた以外の被害は、せいぜい空き小屋に穴が開いたくらいだったので内々に処理したものの、報告を受けたときは心臓が飛び出るかと思うくらい驚いたものだった。



 ◇ ◇ ◇



「そんなに構えなくてもいいのよ? あなたのことはちゃんと聞かせてもらっているから」


(……終わったわ)


 ティアラの女性が柔和な笑みを浮かべながら口にした、下調べは既に終わっているという意味の宣告を受けて、賢者の少女は絶望に打ちひしがれる。これで完全に誤魔化しは通じない。


 顛末てんまつとしては絡んできた男たちを追い払っただけなのだが、そのために使った魔法が思いのほか強力で、付近の店小屋まで巻き込んでしまったことは賢者の少女もしっかりと記憶している。


 運が良くて賠償金。しかし払えるお金なんて当然ない。そもそも召喚されるときに持たせてもらっていない。ちょっとだけ自分の創造神を恨んだ。


 となれば待っているのはやっぱり獄中生活。一瞬、頭が眩んで目の前の景色が消えそうになった。


「ごめんなさいね、皆に見られて落ち着かないでしょ? でも、儀礼的でもやらないと示しがつかないから我慢して、ね?」


「……!?」


 温和で柔らかな響きで発されたその言葉に、賢者の少女の冷や汗はさらに止まらなくなる。隠そうとしていた体の震えすらも抑えることができなくなりはじめていた。


 公開処刑。賢者の脳裏に浮かんでいたのは、その四文字だった。


「……う、うそ。そこまでするなんて」


 もはや何をどうしたらいいのかさえ分からなくなる。



 ◇ ◇ ◇



「……う、うそ。そこまでするなんて」


(城に迎えられたことを感激してる? それにしては、ずいぶんな狼狽えようね)


 知らぬうちに何か失言をしたのではないかと疑った。言葉とは裏腹に、明らかに平静を失っている賢者の少女から並々ならぬ切迫感を抱いて、ミエラは助言を求めて隣の勇者に小声で話しかける。


「レイラ、あの子と話が微妙に噛み合ってない気がするのだけど、気のせいかしら」


「……? 感動で震えているんじゃないんですか?」


「いや、どう考えても様子が変よ。あの子のことで何か知らない? どういう性格とかでもなんでもいいから」


 事前に把握するべきだったとミエラは後悔する。賢者本人にとっても直接詮索されたくないこともあるだろうし、下調べくらいは細かくするべきだった。しかし事の発端でもあるレイラは、少し悩むような表情を浮かべて何故か首を横に振った。


「分からないです。初対面ですし」


「……自分の後輩って言ってなかった? レイラ」


「後から存在を知ったようなものなので、面識はなかったです」


「…………」


 とりあえず、この場で勇者はまったく役立たないことが分かった。


 仕方ないので形式的にしているだけの堅苦しい謁見式は、適当な歓迎の挨拶と共に早めに締めくくって、そのあとの近しい者だけでする歓迎会で誤解を解こうとミエラは決めた。


 だがミエラが言葉を掛けるよりも先に、賢者の少女がいきなり赤絨毯に頭を付けて、ひれ伏してくるとは誰が想像できただろうか。



 ◇ ◇ ◇



 賢者の少女は一か八かの賭けに出ていた。何か役立つかもしれないからと創造神からの厚意で、受け取った異世界の知識を使って、最も丁寧らしい謝罪方法を実行に移した。


「えっ……? ちょっと!?」


 ミエラは慌てて駆け寄った。後輩神が創り出したこの世界の辞書に、土下座という単語は存在しない。よって病気かなにかで床にうずくまっているようにしか見えていなかった。


 護衛の青制服たちに素早く指示を飛ばし、担架を持って来させて医務室に彼女を運ぶように命令する。


「調子が悪いのをずっと我慢してたのに、無理に連れ出しちゃってごめんなさい! 歓迎会とかそういう場合じゃないわよね」


「……? …………」


 賢者の少女はちょっとだけ疑問を感じたが、すべてが上手く有耶無耶になってくれそうなので、流れには逆らわずにそのまま運ばれることにした。


 賢者を運ぶ青制服の集団とミエラが慌ただしく大広間を出ていく。水の勇者のみが一人ポツリと居残るかたちとなった。


「……歓迎会、しないのですか?」


 今日のことを実は一番楽しみにしていた当人は肩を落とした。




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