第5話裏 そして魔王は再び立つ

 こういう最期を迎えるのも悪くない。


 自身が飲み込まれかけているにもかかわらず、炎の勇者だった青年は思う。


 大地の勇者との戦いで火山地形が変動した結果、溶岩の奥底に封じ込めていたはずの、――灼熱のおりの中から脱出する機会をうかがっていた魔王が復活してしまったのは、青年にとって誤算ではあったが。


 ガスでもなければ液体でもない、黒々とした闇の渦に囚われて、手足も腕も感覚が無くなっていた。闇は首元にまで迫り、やがて全身を覆い包むように青年を喰らう。自分が呼吸をしているかどうかも分からなくなった中で、魔王を名乗った炎の元勇者は静かにまぶたを閉じた。



 ◇ ◇ ◇



 黒々とした闇は一度、元の形である翼の生えた獅子を再現しようとして、途中でやめて、取りこんだ赤髪の青年の肉体をベースに再構築を始める。


 手に入れた素体を一時は消し去ることも闇は考えた。しかし、かつては敵として戦い、脅威だった炎の能力を永遠に失ってしまうのは惜しい。肉体の主を目覚めることのない眠りに就かせた以上、その能力を有効活用してやるのが合理的だと闇は判断した。


 神々から魔王と呼ばれる世界のバグの集合体である闇は、やがて人間に近い姿となった。もやがかった全身は、あたかも雷雲が人の形をとったようで不均一だが、少しずつ直していけばいいだろうと闇は仮初の姿をさらす。


 唯一、人顔の造形だけは闇にはうまく表現できなかった、――もやで細かな部位を再現するのは厳しかったので、無地の白い仮面を創り出して顔の代用とする。


 新しい姿となった魔王は余った闇を漂わせながら、人間でいう笑いを表現するかの如く全身を震わせる。


 創造世界を蝕むバグとしての、魔王としての本能が、滅びへの欲を加速させる。



 ◇ ◇ ◇



 局地的に発生させた大洪水が魔物たちを呑み込む。続々と中央山脈から出現する魔物たちをどうにか追い返しつつも、水の勇者の表情は険しいままだった。


 大陸を中央にそびえる山脈、また山脈から大陸の両端へ流れる大河は魔物たちといえども、容易く越えられる要害ではない。しかし現実におびただしい数の敵が、山から下りてくるのを目の当たりにして戦慄するほかなかった。


「これ、正直厳しいです、ミエラ」


 山の麓全域を浸すように水害を発生させ、事実上の防壁を生み出したが、勇者と言えど大量の水をそのままの状態で、いつまでも保ち続けることは容易くない。


 有志を募って結成した兵団とともに待機しているミエラに通信魔法を飛ばして、レイラは状況を細かに伝える。出現した魔物の規模、強さ、展開している水の防壁を維持できる期間。


 返答したミエラの声色はりんとはしていたが、明らかに普段よりも曇っていた。


『各都市や街に通達を飛ばして、籠城の用意をさせます。それが不可能な町や村は放棄して住民に避難してもらいましょう。それらが完了するまで維持してください』


「できるだけ急いでください。魔物たちが水の壁を突破する前に」


『それくらい分かっているわ。だから耐えて、お願いだから』


 通信魔法はそこで途切れ、レイラはただ黙って頷いた。食い止められなければ何千何万という命が滅びる。勇者としてさせるわけにはいかなかった。


 高台から俯瞰するように魔物の動向を察知し、必要に応じて水上を走り抜け、激流に逆らって進軍しようとする敵を剣で切り捨てる。


 身を戦場に立たせながら、レイラはふと天高く連なる山脈に意識を向ける。あの向こう側で何が起きたのだろうか。


 旅立ったライオという勇者の少年は無事なのか。エルジャーを説得することはできたのだろうか。この魔物の軍勢はいったい……。


 そして何もしなかった自分は…………


「――浸っている場合じゃないですよね」


 胸中に沸きあがる不安や後悔を全て無視して、水の勇者はただひたすら魔物たちを薙ぎ払った。


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