第4話裏 大地の勇者と元勇者の魔王
天から灼熱の雨が降り注ぐ。防火耐熱の魔法式が組み込まれているはずの軽鎧が、プレートを歪ませ、焦げた臭いを纏わせる。吸った空気が業火のように肺を焼き、熱が意識を眩ませようとしてくる。剣はあるが既に中折れしていた。焦茶の髪を軽く燻らせながら、勇者は顔を歪めながら耐え、地面に拳を突き立てる。
「守れっ!」
隆起した岩壁が、降り続ける炎の弾丸から勇者を守り抜く。大地の勇者と呼ばれる少年が行使する地形を操作する奇跡だった。
「――っ!?」
背後からの急な爆風を浴びて、勇者は自分が生み出した壁に顔面から叩きつけられた。振り返るともはや少年と呼べなくなった赤髪の魔王が、ローブをはためかせながら勇者に見下す視線を向けている。
「ここまで来たことは褒めてやるが、実力が足らなすぎる。死にに来たのか?」
勇者は苦々しく首を横に振る。口内で出血したのか鉄の味が広がる。血混じりの唾を吐き捨てて、大地の奇跡を与えられた少年は魔王を見据える。
「あんたを止めに来ただけだよっ……」
大陸の北半分、魔物が
かつて最初の魔王が出現した地で行われる戦いは、序盤はともかく魔王がほとんど主導権を握っていた。勇者は積み重なった経験の差を覆すことができないでいた。
勇者に与えられた大地を形成する奇跡。その能力は地中の鉱物を自在に操り、それらを盾や武器に変え、地形を強制変動させて、敵を地の底まで落とすことも可能としていた。
雪崩落ちる土砂は当然のように炎を掻き消す。その重みは生半可な爆風すら押し潰す。焦茶髪の少年もまた、神たちによって魔王に対抗して生み出された勇者だった。
しかし勇者としての経験もある魔王は、その相性の差を全て簡単に覆す。鉱物の剣盾は衝撃波で打ち砕き、地形変動による地割れは爆風を利用した飛行で回避し、雪崩れ込む土砂は魔王自ら地形を破壊して、流れの方向を操作して見せた。
そのうえで、魔王が生む炎の嵐は的確に勇者の位置を捕らえ、発生する爆風波は必ず勇者の不意を打つ。接近すれば全てを燃焼させる炎の奇跡を込められた魔王の五指の餌食となる。
勇者の少年は覆せないほどの劣勢に立たされていた。
火傷まみれの身体を奮い立たせて、勇者が足に力を込めて立ち上がる。その間、魔王は猶予を与えているかのごとく撃ってこない。
「ガキにできることは何もない。さっさと帰れ」
「魔王を滅ぼさなきゃ世界は崩壊するってことぐらい、あんた知ってるだろ!」
「当然だ。だから世界が崩壊するのを俺は待っている」
「勇者が世界滅ぼしてどうするんだっ!」
猛るような慟哭にも、魔王はただ薄い笑みを浮かべる。かつて失くしたようなものを見るような眼差しで。嘲笑も悲憤も、そして絶望も、そこに全て込められているようだった。
「滅ぼすさ。俺は魔王だからな」
「――違うだろっ!」
勇者に共鳴して大地が鳴動する。火口に亀裂が入り、そこから可燃性のガスが溢れ出す。間近で噴射した高温のガスに魔王が体を跳び退かせる。
「あんたを止めて、弱りかけの本物の魔王に止めを刺す。強引だけど悪く思うなよ!」
もとより魔王は攻撃を止めていた。しかし正面から立ち向かっても先手はもぎ取れない。二度とない機会と踏んで勇者は全力で畳みかける。
自身の奇跡でもって火山地形を操作する。魔王がたじろぐ隙に地面を無理やり陥没させ、その周囲を逆に隆起させた土砂で囲む。ドーム状の風も光も通さない大地の牢獄が完成する。
炎の勇者を封じ込めたと確信した。
「残りは、――魔王っ!」
かすかな気配をたどって勇者は火口へ振り向く。その先には立ち上る白い煙しかない。いったいどこに、と目で探すより先に背後で巻き起こった爆風に戦慄した。
「じ、ばく……!?」
「なわけないだろ……。何年戦ってきたと思ってる? これくらいで止めれると思うな。その調子じゃ、本物の魔王と対峙しても勝てはしないぞ?」
淡々と、けれども教え子に説教するかのような語り口で、赤髪の青年が崩れたドームから出てくる。しかし勇者に見せた表情は非常に冷然としたものだった。
怖気すら漂わせる殺気を身に感じて勇者は反射的に足を退かせる。
「俺相手に躊躇できるほどの実力は、お前は持っていない。それでも勇者だと言い張るなら本気で殺す気でかかってこい」
「なんでそこまで……。あんただって大事な人ぐらいいるだろ。昔、一緒に旅した仲間がいたんだろ? クラダイゴさんとかミエラさんとか、それに、レイラさんとか!」
「知るか」
「レイラさんに至ってはまだあんたのこと慕ってるぞ! 口にはしてくれなかったけど絶対確実に!」
「あいつがどうあろうが、俺の意思には関係ない」
言い終わる否や、勇者の眼前が真紅に染まる。噴き上がる火柱が鼻先を掠める。あからさまに不機嫌な表情で、魔王が紅瞳を
「――剣山っ」
先の先をとるように発動させる地形操作。鋭利な岩が魔王を身動きできないように囲み、遠くで隆起した大地から石杭が次々と撃ちこまれる。魔王は囲みを爆風によって破壊し、放たれた石杭も同時に壊しつくす。
攻防が止まる寸刻の間に、勇者の眼前に現れた魔王は冷やかに勝利を宣言した。
「もう諦めろ」
魔王の腕がついに、勇者の少年の首を完全に捉えた。
◇ ◇ ◇
「呆気なかった」
赤髪の魔王、――元は炎の勇者だった青年は、抱えた少年の亡骸を一瞥しつつ、火山の麓に掘った大穴に安置する。黒焦げた肉体からはもはや勇者の力は感じられない。
勇者と言えど、命を落とせば塵に還る。たとえ神に直接生み出された存在だったとしても。
掘りだした土を穴に戻していく。そして最後に勇者としての後輩ともいうべき彼が愛用していたらしい、――もはや中折れして使い物にならなくなった長剣を墓石代わりに立てておく。
少し感傷を覚えるものと思っていたが、感情の起伏は平坦だった。それほど人の命を奪うことに慣れてしまっていたのかと魔王は淡々と自覚する。
もしも水の勇者である彼女がやってくれば自分は同じように燃やすのだろうかとふと思案に浸り、それから浮かび上がりかけた思考を捨て去る。
相手が誰であれ、封じた魔王を倒そうとする者の前に立ち塞がる。そう自分に定めた以上、結論は最初から出ているようなものだった。
魔王と共に滅ぼされるか、世界の崩壊を見届けてから滅ぶか。迎える最期としてはどちらだろうなと青年は鼻で笑い、名前も知らない勇者の墓の前から踵を返した。
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