第2話裏 炎の勇者と魔王

「――魔王討伐なんてしなくても世界は平和だったのかもな」


 そんな言葉を口走って、勇者は仲間に殴り飛ばされた。



 ◇ ◇ ◇



「冗談に決まってるだろ。痛いな」


「ったく、質の悪い冗談言うんじゃねえ、くそガキ」


 日頃から喧騒が絶えない酒場で、紅眼赤髪の少年と褐色肌で黒眼金髪の青年が、同じ席についていた。テーブルには肉をスライスした料理や、マッシュポテトなどが並ぶ。少年への配慮か、酒は頼まれておらず、代わりにジュースや水が置かれていた。


 しかし、ならず者の溜まり場に旅姿の青年のほうはともかく、未成年の少年がいるのは不相応が過ぎた。まして少年の服装は、帝国の上位騎士たちが身に付けるような華麗な装飾の入った儀礼用の制服。道端にいるだけで目を引くようなものだった。


 そんな少年が突然、殴られて酒場は騒然とするが、青年が虫の居所が悪そうに周囲を睨み返すと途端に静かになった。落ち着いてから青年が座り直すと、殴られた少年も席へと戻る。


「エルジャー。お前、勇者なんだからもうちょっと自覚持て」


「仕方ないだろ。なんか偉そうな人たちに挨拶回りしたところからの帰りなんだ」


 頬を打たれたことなど気にも留めていない、とでもいうように少年は肩をすくめながら答える。


「せめて着替えてから来いっつってんだよ」


「んなことしてたら見送りができなくなる。もうすぐ出発なんだろ?」


 青年は舌打ちをした。彼は故郷に帰るための馬車を待っているところだった。勇者には伏せていたはずだが、どこから聞きつけたのか、いきなり席に現れて今に至る。


「忙しいくせに何してんだ、お前は」


「何しようが俺の自由だろ。頭おかしいのはお偉い連中のほうだ。魔王が滅んだわけじゃないのにパーティーを強制解散させやがって」


「怒んな。仕方ねえだろ。どのみちもう勇者パーティーは続けられねえ」


 青年が言うと勇者の少年はそっぽを向くように顔を反らす。だが、事実だった。もはや二人しかいないパーティーでどうやって魔王を倒せというのか。


 魔王との戦いで、勇者は仲間をほとんど失った。唯一生き残ったのが、ここで席を共にしている青年だった。だから勇者が魔王討伐しに行ったことを後悔したような真似をしたとき、即座に殴ったのだった。犠牲を無駄だったと言わせないために。


「ま、お前ならメンバー変わってもやっていけるだろ」


「……やってはいくさ。けど、いやなんでもない」


 未だ憮然とした表情のまま勇者の少年は言葉を切る。納得がいっていないのは目に表れていた。若いなと青年は思う。年長者としての言葉をかける。


「理不尽だと思うだろうが慣れとけ、世界ってのはこういうもんだ」


「世界か……。まぁ、そういうものなんだろうとは思ってたよ」


 まるで別れを惜しんでいるかのように、見方を変えれば何かに諦観を抱いているかのように勇者が呟いた。青年は定刻であることに気づき、馬車がそろそろやってくると告げた。


「じゃあな、エルジャー。南部にまで来ることがありゃ顔でも見せに来い」


「ちゃんと帰れよ、クラダイゴ」


 見送る奴が帰るのを急かすなよ、と胸の内で笑いながら青年は酒場を後にする。そしてこれが青年にとって最後に見た勇者としての少年の姿だった。


 帝国が滅亡したのはそれから五日後のことだ。



 ◇ ◇ ◇



 灼熱の炎で滅亡していく大国を、炎の勇者は眺める。恐怖への叫びや嘆きの悲鳴、理不尽への怒声。諸々全てを無視して勇者は炎の中を進む。


 生み出された炎は彼に触れることはない。代わりに憎しみから彼の前で立ち塞がろうとする者たちに容赦なく牙を剥く。


 二つほどできた人の形をした灰の塊を無関心に見つめ、造作もなく手で払い退ける。触れた途端に灰は砕けて霧散した。


「世界って理不尽だよな。なあ、クラダイゴ」


 ゆっくりと歩を進める炎の勇者は、生きる者のいない焼野原で、仲間の名前を呟く。あいつは無事に故郷へ帰れているか、と遠くを見つめる一方で、かつての自分が仕官した、栄華を誇った大国を炎と灰の海へと変えていく。すべては平和の為だった。


 魔王の脅威を忘れた傲慢な帝国は、勇者の知らないところで、争いの火種を他国に与え、戦争の口実を無理やり押し通し、世界を戦火に包み込んでいた。


 魔王との戦いで消耗し、かつて勇者たちに協力を申し出てくれた国々がいつの間にか滅ぼされ、かつての仲間たちが生まれ育ち、愛していた国が気づけば消え去っていた。


 帝都で勇者は何も教えられず知らされていない。勇者を飼い殺しにするつもりでもあったのか、意図的に国内に入る情報が操作されていたようだった。違和感を覚えて勇者自らが調べて真実を知ったときには全てがもう遅かった。


 なぜこうなったのかという疑問を自らに呈したとき、勇者は一つの結論に到達した。


 そうか、自分が魔王を封じ込んだからだと。


 魔王という枷が目に見えなくなり、人間の内にある強欲を目覚めさせてしまったのだと。


「――っ」


 自己嫌悪から思わず口元から笑みがこぼれた。赤髪の勇者の少年は小さく笑いながら、視界に入る全ての建物を、逃げ惑う全ての人々を平等に焼き払う。形が消えて滅びきるまで。


 勇者の少年はそれから魔王を名乗ることにした。

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