第12話 勇者は魔人と激突するⅡ
腹部を中心に氷が広がり始める。勇者に元から備わった、あらゆる属性への耐性が邪魔しているのか、凍結の進行が遅いのは幸運だった。
「このくらいは」
凍りきる前に壊せばいい。槌の力を拳に流して殴り壊すという暴挙で、勇者は全身凍結を回避しようとするが、魔人も見逃すはずがなかった。
「――っ!」
次々と腕に突き刺さる氷の針。一本ごとに氷結の力が宿っていた。すかさず無事な腕で払いのけるが、新たに刺さる数のほうが多い。動きが鈍ったのも追撃を許す原因になっていた。
勇者は魔人を睨みつけた。執拗な追撃を受けていることもさることながら、完全に戦いのペースを掌握されたが故のもどかしさからだった。
(このままじゃ、やられる。なにか手は……?)
強制破壊の奇跡を付与された巨大槌が直撃すれば、おそらく魔人を仕留めることができるだろう。しかし当たればの話だった。近付いて一撃必殺をぶつけなければならないのに手段が乏しい。
(うちの神様なんて言ってたっけ……?)
ちぐはぐな体をした自分の創造主のことを思い出す。地上への召喚の手前で、与えた武器と能力について語っていた神は、最後にこう言い残していた。
『難しく考えずに本気で戦えばいいよ。いざとなったら奥の手も備わっているから。じゃ、頑張ってね』
あの言葉は本当に信じてもいいのだろうか。その奥の手が現状を打開できるものなのだろうか。しかし打てる手がない以上、信じて全力で戦うしかない。
そして勇者は覚悟を決めた。
「……うっ」
セーブして拳に流していた強制破壊の力を、加減無しで全身に流し込む。
体の内側から軋むような音がした。力の供給を全開にすると、自分自身も崩壊していくらしい。
しかし全身を巡った能力が、彼女に敵を破壊する力と速さをもたらす。体は五分と保てないだろう。それまでに片をつけねばならない。
「――勝負っ!」
勇者が一歩踏み込んだ瞬間、全身を覆いかけた氷が粉砕霧散する。そして二歩目は魔人の目に捉えられることはなかった。すでに背後に勇者が回り込んでいた。
「ナニ?」
初めて魔人の声色に焦りが伴った。咄嗟に生み出した氷壁を犠牲にして、転がるように勇者の巨大槌を避ける。知覚できない速度で間合いに入られたことに動揺を隠せない。
一方で勇者も焦っていた。この一攻防だけで全身にひびが入りはじめ、体表面が徐々に朽ち落ちている。動ける時間は想定以上に短いかもしれなかった。
魔人にも勇者にも余裕はない。勇者の初速がそれほどでもないこともあって必然的に攻防は激しい近接戦へと切り替わった。
横へ振り回された勇者の大槌を、魔人が屈んで避け、魔人の氷製の短剣を、勇者が腕だけで破壊する。
地中より飛び出した氷の槍を勇者はあえてぶつかって壊し、その全力の体当たりを魔人は三重に生み出した氷壁で勢いを削ぎ、上空から降らせた大質量の氷塊で押し潰す。
勇者が力任せに放った衝撃波が周囲の氷を吹き飛ばし、魔人が引き起こした猛吹雪が相殺する。余波や衝撃で魔人はひび割れていき、勇者は壊れていく。
エネルギーの衝突で生じた粉塵の中を勇者は駆け抜ける。槌を手放して加速し、ついにその拳が魔人の胸を捉えた。
「――ガアァ!?」
「――ぶっ飛べぇっ‼」
手が槌を離れていても、未だ勇者の中で巡っていた破壊の力全てが、その一撃で魔人の左胸を突き抜けていく。同時に勇者の右腕も限界を迎えて砕け散った。
巻き起こった爆風が止む。そこに人影が一つ立っていた。氷の全身の四分の一を奪われた魔人が残っていた。欠損部分は魔力で補強され、徐々に新しい氷の身体へと変わっていく。
「……最後ノ最後デ仕損ジタナ。危ウク我ノ核マデ
「……」
「腕ガ途中デ吹キ飛ンダリシナケレバ、衝撃ハ拡散サレズ、間違イナク我ハ倒サレテイタデアロウニ」
「まだ、終わりじゃない……」
吹き飛ばされて倒れていた勇者が立ち上がろうとする。しかし右腕は失い、左脚も半分欠損した状態で起き上がることはできなかった。
「イヤ、モウ終ワリダ」
魔人が上空を指差した。黒雲が立ち込めるかのようにさらに日が陰る。
空に出現したのは新たな氷塊。今までとは比べようもなく巨大で厚みのある氷の岩盤が、今にも落下せんと待機していた。魔人は仮面の下で笑う。
「ヨク戦ッタ。ダガコレデ、トドメダ」
空を覆うような氷塊が勇者めがけてのしかかった。
潰されて砕かれる身体。もはや成す術はない。だが彼女の意識の深層領域の奥深くで何かがカチリと音を立てた。それが何か彼女自身も知らない。
しかし、それこそがゴーレムと呼ばれる魔導人形である彼女に、人形の神が施した非常事態で起動する切り札だった。
「――損傷率、規定値以上。再起動、開始」
彼女の口は意思にも関わらず、勝手に動いていた。
「……ム?」
勇者を押し潰した氷山が、急に音を立てはじめる。氷から発される摩擦音を魔人は訝しんだ。地震でも起きたように、震える氷の山はひび割れながら自壊していく。
「――再構成中」
氷山のど真ん中に、無理やり抉り抜いたかのような黒穴がぽっかりと開く。勢いよく音を立てて周囲を吸い込んでいく大穴に、氷の破片や周囲の砂塵が次々と取りこまれていく。
そして穴の中心に白い人影が現れた。うずくまるように両膝を抱える銀髪の勇者が、ほのかに光りながら宙に浮かんでいた。
小麦色の素肌は白みがかかり、露出させていた肌は長袖の白服に包まれている。その瞳には生気は感じられず、様子も無防備そのものだった。
それを見逃すほど魔人は優しくはない。
「――起動中」
しかし魔人は攻撃を放ってから後悔した。目の前の少女がその全身から冷気を発していることに気づいたのだった。
氷塊を逆に取り込み、自らの属性としていることまで思い至る。現に放った氷の槍は勇者の身に届く前に分解され、吸収されたように見えた。
「――完了」
そして勇者が地面に降り立ち、その瞳に光が灯る。
「……。自分でも驚いたけど、だいたい分かった。今度こそ勝負決める」
砕けた右腕も欠けた左脚も肌色以外は元通りだった。転がっていた白い大槌を拾い上げ、氷の魔人に向き直る。
「コレハ、劣勢カ……」
無数に分裂させた氷柱を勇者にぶつけて魔人は呟いた。全ての氷は勇者に触れる前に砕けて消失する。
魔人自身にも氷の攻撃を無効化する力はあるが、相手側も同じであるならば泥沼化は必至。
そして相手には全てを砕く能力がある。まともに戦ってどちらが勝つかなど明白だった。
魔人が撤退を選択しようとしたとき、勇者は既に跳んでいた。足裏の空気を破壊してこれまでにない高度で槌を振り上げる。そして槌からのエネルギーを逆流させる。
元のエネルギーに勇者自身の魔力が置換して加わることで、白い大槌が唸るように音を立てる。槌が震えているのではなく、溢れる力で空気が震動していた。エネルギーが槌の周囲で新たな輪郭となり巨大な光の槌を創り出す。
地上では氷の魔人が逃走していた。上空で発せられる圧倒的な力の気配に、本能的に危機を悟っていた。巻き込まれるだけでもただでは済まないと。
「全力全開。もう、逃がさない……」
光の巨大槌には勇者の全ての魔力が注ぎこまれていた。まともにぶつかりあっても戦いが長引くことは勇者自身も理解していた。
力はあっても技量が足りない。長引けば魔導人形である自分は、魔力切れを引き起こす。復活の時点で残り魔力は2割を切った。だからこそ、この一撃に全て賭ける。
「全部まとめて、――くだけちろっ!!」
閃光となった巨大槌が魔人めがけて地に落ちた。その瞬間、砂漠に巨大な亀裂が生じ、激しい砂嵐が巻き起こる。余波はテムルエストクの街にも達した。
暴風が止んだあと、街の入り口にいた兵士たちは巨大なクレーターを目撃することになった。その中心には白い大槌が刺さっていたという。
銀髪少女の勇者を見つけられた者は、誰一人としていなかった。
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