第9話 賢者は氷の魔と邂逅する

 神たちが創造世界に生み出された魔の者への対策を進めている一方で、創造世界では既に異変が起きていた。


 ◇ ◇ ◇


 照り付ける日差しが乾いた大地を焼く、乾燥地帯に位置するテムルエストクの街。水の勇者の国の南部にある、小さな砂漠にできた街に冷え切るような風が吹いていた。


 強い日差しをもたらすはずの太陽は雲によって隠され、足元から沸きあがるはずの陽炎は一切見かけない。異常気象の報告を受けて兵士団が派遣されていた。


「賢者様、報告はこれにて以上です」


「ありがとうございます。その件についてはあとで自分でも確かめてみます。……報告書にするのが大変そうだね、これ」


 思わず素で本音を漏らす少年に、隣の隊長格とおぼしき兵士が話しかける。


「それで、これらの氷はどうされますか?」


「これからする調査の結果次第です。正直、バリエラにも相談しておきたいところなんですが」


 並べられた氷像の前で稀に本音を漏らしながら、強化の賢者と呼ばれる銀髪の少年が先遣隊からの報告を受けていた。


 年齢は十六才くらいだろうか。背は高いとはいえないが、よくよく観察すれば全身の筋肉が程よく引き締まっており、鍛えられているのが見て取れる。


 彼は連れてきた兵士たちと共に、テムルエストクに発生した謎の氷塊を調査しているところだった。


 先行調査の報告を終えた兵たちに礼を述べ、実際にその目で確かめるため、強化の賢者は数人の兵士を引き連れて街を巡回する。


 街の住人は現在、避難場所にいるため兵士と賢者以外には人はうろついていない。代わりに謎の氷塊はいたるところにあった。


 氷には時々、異物が混じりこんでいるときもある。瓦礫の一部であったり、店の看板であったり、そして街の住人であったりした。


 人的被害が出ているにもかかわらず、手の打ちようがない状況に賢者は頭を悩ませていた。


 氷塊には熱魔法も物理的な炎も通じなかった。しかし触れると確かに冷たく、水晶ではなく、明らかに氷の類であることは間違いない。融解しない氷という理不尽な物質としか言えなかった。


 解呪にも精通しているもう一人の賢者ならば、氷像になった住民を助ける方法を何かしら編み出すことができるかもしれないが、その可能性は今ここで考えても仕方ないことだった。


「事前の連絡で聞いていたより厄介じゃないか……」


 賢者は息をついた。すべての始まりは一週間前、結界が大きく破られた一件にあった。


 すぐ近くの街の兵士団が対応し、さらに魔物侵入の報を受けて別の街からも増援が送りこまれたが、援軍が駆けつけたときには既に戦闘もなにもなく、ただ氷像になった衛兵たちが残されるという奇妙な事件。


 結局、未解決のままだが、その事件も今回の件と同じように一切の熱を受け付けない氷だった。


「もし、あのとき侵入した魔物の仕業とすれば今いる兵たちじゃ戦力的にヤバいか。せめて勇者のレイラ様がいれば……、というかあの人どこ行ったんだ、本当に」


 この世界の神より遣わされた水色髪の勇者のことを賢者は思い起こす。


 自由自在に水を操って魔物を一網打尽にしてきた彼女の後姿は共に戦う者たちにとって大きな拠り所となっていた。その彼女が行方知れずになり、現在は賢者の彼が代理として前に立っているが、心許なさは常にあった。


「兵たちは訓練を欠かさずにしているけど、あの人に及ぶなんて全然思えないし、……もし氷塊を生み出した魔物が現れたらどうします、兵隊長?」


 途中で合流して、いきなり愚痴をこぼされた兵隊長は半笑いしながら首を横に振る。


 いざ、戦闘になってもいいように準備はしてあった。しかし敵の強さが未知数で対応の取りようがないというのが共通の認識だった。


「兵隊長のほうは周囲の警戒と他に避難していない住人がいないか、調査をお願いします。あとこっちのほうにも数人回せますか? もう少し氷像を調べるのに人手が欲しいので」


「あの、賢者様、……空が」


「うん?」


 それほど高くない街の屋根の間に広がる空には一段と濃い黒雲が広がっていた。そこから白い粒が降ってきている。それが雪であることを理解するのに賢者は少し時間を取られた。


「この砂漠の街で? いったいこれは……」


 街には貴重な水源である泉とその周辺を除けば乾いた地面しかない。普段の気温や湿度からして雪が降るのはありえないことだが、現実に空から氷の粒が舞い落ちている以上、なにかしらの異常が起きていることは確かだった。


 風が冷気を纏っている。予想外の身を凍らせるような寒さに、賢者や兵士たちは身震いした。


 そのとき、邪悪な気配を感知して賢者が声を荒げた。


「――――!? 散開ぃ!」


 巨大な氷塊が真上から鎧をまとった兵士たちを押し潰そうとした。かろうじて避けても今度は暴風とひょうに襲われる。


 街全体で起きている現象らしく、物陰でやり過ごそうとした者でもいたのだろうか、ときどき巨大な氷塊が上空に出現して建物ごと潰すと、同時に誰かの絶叫が聞こえた。外で逃げ惑う者たちにも狙いすますかのように、虚空より現れた氷柱が撃ち込まれていく。


 絶えずに響く断末魔に、賢者たちは必死で駆けまわり、まだ身動きがとりやすい街の入り口の開けた場所まで移動した。


「――近くにいる者たちは皆、集合してくれ!」


 自身の判断の遅さに歯噛みしつつも、賢者は近くにいる兵士たちに冷気への耐性を付与する。そして身体強化の奇跡を発動した。これにより一般兵でも中位の魔物に引けをとらない身体能力を得ることができる。


 途中、巨大な氷塊が落ちてきたが、強めに放った炎弾でなんとか軌道をずらすことに成功した。さらに賢者は氷が出現した位置から魔力を辿って敵の居場所を探知する。


「――よくもっ!」


 賢者が上空へ向けて、魔力を最大限まで込めた炎弾を放つ。黒雲の最も濃い一点に吸い込まれた火炎は何かに衝突して霧散した。その代わりに一つの影が地に降り立つ。


 それを一言で表せば仮面と紳士服を身につけた氷塊の人形。砕かれた氷がそのまま固まってできたような手足は端正とは程遠く、顔も仮面がなければどこが目なのか分からないだろう。しかし賢者は、こいつがこの全ての現象の元凶であると確信した。


「そいつに何もさせるな!」


 その声が合図となって二人の兵士が即座に賢者の前に躍り出る。賢者がその背中に手を触れた途端、変化は起きた。全身が肥大化し、膨張された筋肉が鎧をまるでそれが布きれであるかのように突き破る。


 人間としての限界を突破した兵士が、それぞれの得物を手に魔物へ襲いかかった。


 身体強化の完全上位互換。一時的に生物の限界を突破した肉体を与える奇跡。それが賢者の存在強化の奇跡の力だった。


 もはや獣と変わらぬ巨漢二人が氷の魔物へ突撃した。強化された故の高速移動からの剣や槍の一撃。たとえ刃が通じなくとも、そのときは中途半端な守りを容易く粉砕する拳や蹴りがまだある。……そのはずだった。


「――――!?」


「コノ程度カ……」


 賢者は自身の目を見開いた。魔物が言葉を発したことも衝撃的なことではあったが、氷に少し触れただけで、強化されたはずの兵士たちはただの氷塊となって無力化されていた。


「嘘だろっ――――くそっ」


 次に狙われるのが自身と悟って、賢者は目くらましのつもりで炎魔法を撃ちながら退避する。


 しかし氷の魔物はまったく意に介さずに一直線に距離を詰める。通り過ぎざまに、近くにいた兵士たちを凍らせるという余裕すら見せつけていた。


 自身に強化をかけて素早さを上げていた賢者の顔に苦悶の色が浮かんだ。


(これで振り切れないとか、速過ぎる……)


 ついに眼前まで届いた氷の腕に賢者は自分の死を覚悟した。


「――――これが敵かな?」


 唐突に知らない誰かの声と共に、大地に鉄槌が下された。

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