第10話 勇者は魔人と激突する
訳が分からないまま、賢者は吹き飛ばされていた。氷の魔物が腕を伸ばしてきたと思えば、頭上から少女の声が聞こえて、眼前の視界が爆発したとなれば、説明になってなくてもそう表現するしかない。
「うっ……」
賢者が起き上がるまでに、既に氷を叩き割るような音が二、三回は響いていた。顔を上げると、テムルエストクの玄関口である門で、寒波の元凶である氷の魔物が立ち、向き合うように半袖で小麦色の素肌を露出させた銀髪の少女が立っていた。
この戦場には不釣り合いな軽装の彼女は、肩にただ一つだけ白い巨大な槌を抱えて異様な存在感を放っていた。
「君たち、大丈夫? できれば離れていてくれると助かるんだけど」
背中を向けたまま話しかけた少女に、賢者は目を
「君は……?」
「私は勇者。よく分かんないけど、そう聞かされてる」
「勇者、ソウ言ッタナ……?」
不協和音を伴った無機質な声と共に、魔物が初めて表情を変えた。歪んだ氷が笑みを浮かべていた。
「ククククク、ソウカ勇者カ! 嬉シイゾ勇者。我ハ魔人。勇者ヲ倒スタメニ生マレタ者ダ」
「……私狙い? むしろ好都合だけど?」
前へ跳んだ銀髪の少女が氷の魔人へ迫る。槌が猛威を振るう前に、魔人は地中より出現させた氷の茨で少女の進路を塞ぐ。
「それが?」
どうしたと言わんばかりに、軽く振るわれただけの槌から爆裂音と衝撃波が飛ぶ。破壊された氷と地面が即席の
氷混じりの土砂の礫は、魔人によって生み出された氷の障壁が全て受け止める。それでも白槌を抱えた少女の前進までは止められず、呆気なく割れて、氷の魔人への接近を許す。
勇者が振りかぶった瞬間に、氷刃の雨を降らせて邪魔しなければ、魔人はその一撃から飛び退くことはできなかった。それほど素早く動く勇者が、街の外へ逃げた魔人を追いかける。彼女が駆けるだけで砂塵が舞い散り、街の玄関が乾いた砂色に覆い尽くされる。
外で行われる戦いは瞬く間に第三者が介入できない嵐と化した。
兵士団は完全に取り残された。
◇ ◇ ◇
「あれが勇者の力なのか」
賢者は自身の不甲斐なさに歯噛みした。それでも街の入り口付近で戦いが始まった幸運に感謝する。戦場はしだいに街の遠くへ押し出されるように移っているようだった。
住人や怪我した兵を巻き込まないよう、あの銀髪の少女は戦っているのだろう。賢者の記憶の中にいる水の勇者もそのような人物だった。
あの少女に自分の知る勇者の面影が重なり、賢者は共に戦いに街を出ようとしたが、すぐにとどまることになった。賢者の使命は勇者を支援することである。だが……
「僕たちは今から住人の避難、怪我人の救助。それと氷像の解析を進めていきましょう」
氷の猛威から辛うじて逃れ、賢者の元へ駆けつけていた兵士たちに困惑が広がった。
仕方がなかった。あの二者の激突を見て、行っても足を引っ張るだけと賢者は確信していた。とてつもない力をあの両者は秘めており、自分たちの力量では近付くことすらままならないと悟ることができてしまった。
「どのみち魔人の氷を溶かす手段が分からなければ、援護をしに行ったとしても氷人形を増やすだけ。僕たちにできることをやりましょう……」
胸中で渦巻く無力感を押し殺しながらも賢者はそう指示を下した。
◇ ◇ ◇
降り注ぐ氷を巨大槌が打ち砕き、衝撃波が周囲の砂塵を吹き飛ばす。勇者が接近戦を仕掛けようとするたびに、魔人が遠隔から妨害し、結果逃げられる。
街から遠ざかるようにしたのまでは目的どおりだったが、そこから先は思うようにできていなかった。
「威勢ハドウシタ。動キガ鈍ッテイルゾ勇者」
「うっさい」
勇者としては巨大槌をぶち当てるなりして、魔人を物理的にぶっ飛ばしてやる算段だった。しかし氷の魔人は足が速いうえ、必ず安全圏から氷を撃って一定の距離を稼いでいる。
「ほんと嫌らしい。正々堂々やれ」
「戦イニ美学ナド必要ナイ」
少女の左肩は凍りついていた。不意に軌道がねじれた氷塊が命中したのだった。逃げる魔人と追う勇者という構図だが、実際のところ削られているのは勇者のほうだった。
(このままじゃジリ貧、それなら……)
勇者は足腰に力を込める。槌から流した奇跡の力を足裏に込めた。彼女に与えられた奇跡は全てを壊す力。物体だろうが魔法だろうが空間だろうが関係なく破壊する能力だった。
跳び上がった彼女は足裏の空気を破壊して爆発させ、これまでにない速度を叩きだす。さらに空中でステップを踏むように軌道を変える。
「ム?」
氷弾を宙で避けた勇者に、魔人が驚いたように声を漏らす。一歩間違えば自壊という危険を承知で、勇者は上から高速で魔人の背後を取った。そして振り上げられた巨大槌が猛威を振るわんとす。
「――潰れて」
ほとばしった衝撃波は乾いた大地をいとも簡単に砕いてしまい、巨大なクレーターを生み出した。しかし勇者の顔に余裕はない。彼女は気づいていた。
ぶつかる直前に魔人が氷の剣を作り出し、それを身代わりにして吹き飛ばされたということに。
「マトモニ防御デキヌ一撃トハ、勇者モ恐ロシイモノダナ」
「そうかもね」
撃たれた大氷柱を勇者は跳んで避ける。
「ダガ、コノ戦イハ、コチラノ勝利ダ」
「――!?」
跳び上がるはずだった足が氷で縫い止められていた。ほんのわずか遅れた反応。それでも仮にも彼女は勇者。足を固定されたまま、放たれた氷柱を槌で粉砕することなど造作もない。
「これくらい――っ」
彼女の胴に小さな氷塊が着弾した。
「……え?」
「油断シタナ勇者」
勇者は気づいていなかった。氷柱の破砕の裏で、既に第二波が放たれていたことに。
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