7―3

扉を開けると、「何故!」と父親の驚く声が飛んできた。


「何故、お前がここにいる!? あの書斎の扉はしっかり鍵をかけるよう、言いつけ ているはずなのに……!」


「知りません。……そんなことは、どうでもいいわ」


口から発せられた言葉が、ゾッとするほど暗く冷たいことに、ミツコは自分でも驚く。

それでも、溢れる暗い気持ちを抑えられなかった。


「どういうこと? お姉様と、うつぎが結婚? …… お父様は、どこまで私の大切を奪うの?どこまで私の幸せを、潰すの……?」


父親とは何度か衝突したことがあるが、ここまで強く出たことはなかった。

くちごたえして、父親に怒鳴られすすり泣くことがほとんどだった。


だが、今は違う。

うつぎには目も暮れず、ミツコは悲痛な声で叫んだ。



「もうやめて! 私の『大切』を、これ以上奪わないで !!」


「君、は……」


うつぎの声が聞こえる。

父親は虚を突かれたような顔をしていたが、やがて「ふっふふふ……」と笑いを洩らした。


「大切を奪うな? 幸せを潰すな?――お前は、何を言っている? 化け物の分際で、なに贅沢な夢を見ている?」


嘲笑を浮かべた父親は、冷たい視線でミツコを見つめた。


「音和君は、お前とは違う優秀な人間だ。どこで彼を知ったのかは知らんが、お前のような者が近づけば穢れてしまう。婚約の話も、お前が死ぬと分かったからこそ切り出した のだから」


「は……? 私が、死ぬから……婚約を……?」


――意味が分からない。


呆気にとられるミツコに、父親は「当たり前だ」と言葉を続けた。


「音和君を迎える以上、我が家には一点の曇りもあっ てはならない。だから、お前の食事にも毒を盛り、寿命を早めた。汚点は消え、将来の雛鶴家を担う人間がやって来る―これ以上、めでたいことはないだろう」


食事に毒を盛って、寿命を早めた。これ以上、めでたいことはない。

今にも死にそうな実の娘の前で、しゃあしゃあと喋る父親。


ミツコの中で、プツンと何かが切れた。



「……いで」


「ん?」


「ふざけないで! 私は……道具でも、化け物でもない! 私は、私は……!!」


いつの間にか、手にナイフを握っていた。

ミツコの人生に転機を与えてくれた、思い出のナイフ。


冷たくヒヤリとした、鋭い刃。

今からすることに、ミツコは何のためらいもなかった 。


――どうせ、私も死ぬのだから。


「お前、何をしようとして いるのか分かっているのか !?」


初めて見る、父親の恐怖に 引きつった顔。

ミツコはつるつると、無機質な声で答えた。



「貴方が、これまで私にしてきたことに比べたら、可愛いものですわ」


「子が親に刃向かうなんざ……!」


「あら、私は真っ白で醜い化け物なんでしょう? 化け物は、人間から生まれない――なら、貴方は父親ではありませんね」


「屁理屈を……おい、やめっ!」


――ザシュ!

血の滴る音がした。


首から溢れる血、助けを求める目。

だが、ミツコは止まらなかった。


苦しみを腕に自傷して刻んできたのと同じように、これまでの憎しみを父親の体に刻む。



――ザシュ! ザシュ!!


「―― !!」


父親の、声にならない悲鳴が木霊する。


いけないことだと、頭では分かっていても、ミツコは刺す手を止められない。

やがて、父親だったものは、血潮の中でぐったりと動かなくなった。


「死ん、だの……?」


思わず触れるミツコ。

生温かいぬるりとした血が手につく。


「ひっ……」



どう見ても、それは死んでいた。


「あ……あ……」


ようやく理性が戻ってきたのか、己がしでかしたことの重大さに気づいて、震えるミツコ。

そのすぐ横で、ドサリと何かが落ちる音がした。


「ひっ……血が、血……死んで……」


床に座り込み、口をパクパクさせている青年。

栗色のさらさらした髪に、優しそうな瞳。


その声は、紛れもなく音羽うつぎのものだった。


「うつぎ……?」


「……ハナ、ミズキちゃん?」


怖々といった様子で尋ねるうつぎ。

ミツコは黙って頷く。


月明かりでないこの場所で 、二人は初めてお互いの姿を晒した。

今のうつぎには、ミツコの真っ白な姿が見えている。


「ごめんなさい。その…… 今のは、気にしないで。私と……家族の、問題だから」


気まずくなって俯くミツコ。

血塗れのナイフを背後に隠すと、「あの!」とうつぎに声をかけた。


「最後にどうしても会いたくて。話が、いろいろあって。それと……」


「……くれ」


「え?」


「近づかないでくれ……!」


その言葉で、ミツコの全てが止まった。


「どう、して……」


「頼む、俺に近づかないで ……近づかないで、くれないか」


それだけ言うと、うつぎは頭を抱えて口を閉ざしてしまった。

まるで、見たくないとでも言うかのように――


拒絶された。

ふわりと優しくて、全てを受け止めてくれた、あのうつぎに。


――嫌われて、しまった。


ミツコの深紅の瞳から、涙が溢れた。

返り血と混ざって、赤い涙に変わる。


「私はただ、忘れられたくなかった、だけなのに」


父親を殺した時より、動揺が酷い。

手足が震え、心が落ち着かない。


――どうしたらいい? どうしたら、繋ぎ止められる? このまま死ぬのは、嫌……。


ミツコは一生懸命記憶を辿る。


どうしたら、もう一度振り向いてくれるか? どうし たら、忘れられないか――


走馬灯のように駆け巡る記憶の中、ある言葉が脳裏をよぎった。


『恐怖は、人の記憶に残りやすい』


本で見つけたあの一文が、 頭から離れない。


恐怖は人の記憶に残る。

今のミツコには、恐怖を与える術がある。


「私、は……」

ミツコは、ナイフを構えた。


「私は……私は忘れられたくない! 例え貴方に嫌われているとしても、それでも私は! どんな形であれ、貴方の記憶の中に残りたいの !!」


机から、灯りが音を立てて落ちた。

暗くなった部屋に 、冷たい月光が差し込む。


――死んでしまうから、生きた証を残せないから。


誰かにとっての一番になりたかった。

替えのない、たった一人の人間でありたかった。



だから、私は――



「……貴方は、私のお友達よ」


「やめて、来ないでくれ… …」


「どうして? 私が白いから? 目の前で、人を殺してしまったから?」


ミツコが一歩進む。うつぎは、後ずさった。


「お願いだ……」


もう一歩、ミツコが進む。

涙をぽろぽろと流しながら、苦しそうに言葉を吐いた。


「……怖いの。私は死ぬことよりも、貴方に忘れられるほうが怖い」


「来ないで……」


うつぎは顔をあげない。下を向いて、怯えきった表情で、ひたすら首を振る。


拒絶するうつぎを見て、ミツコは悲しそうに首を振った。


「……嫌われてしまったなら、それでいい。でも、どうかこれだけは」


ミツコはナイフを振り上げる。

初めて友が出来た夜の 、思い出の品を――



「!! 頼む、やめてくれ……ハナミズキ!」


気配で顔をあげたうつぎの 、恐怖に支配されたその表情。


ナイフを振り下ろす瞬間、 ミツコは今夜初めて笑みを浮かべた。


色の違う瞳を細めて、血塗れた口元をほころばせて。

上弦の月に照らされたその顔は、どこまでも優しく、悲しみに満ちた微笑みだった。




「私ね、きっと貴方が大好きだった」


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