5―2
「うつぎの夢は、何?」
ミツコの突然の質問に、うつぎは笑った。
「どうしたの、藪から棒に」
「いえ、ちょっとね……」
ミツコはバツが悪そうに下を向く。
あれから彼女が目を覚ましたのは、夕方だった。
辺りが血まみれなのに驚き 、その血が自分の口から出ていたことに、さらに驚いた。
体もだるく、明らかに調子がおかしい。
急に『死』という言葉を身近に感じるようになり、ミツコは不安で仕方がない。
うつぎはミツコの様子には特に気づかず、「そうだなぁ」と手を顎に当てた。
「やっぱり医者になることだな。そのために今、勉強を頑張っているからね」
いつもと変わらない、穏やかな声色にミツコは少し安堵する。
「揺るがないのね。……そういえば、何で医者になりたいの?」
医者になりたいのは知っていた。だが、その理由までは聞いたことがない。
「言ってなかったね」と、 うつぎが笑った。
「医者を目指しているのは 、人助けがしたいと思ったからなんだ。その昔、自分が助けられたことがあってね。恩返しみたいなもんかな。それと……」
いったん言葉を切るうつぎ。少しの間のあと、ポツリと呟いた。
「それと、罪滅ぼしかな」
「罪滅ぼし……?」
ミツコは首を傾げる。
善良を人にしたようなうつぎが、何か罪になるようなことをしたとは思えない。
だが、うつぎはそれ以上何も言わず、「ハナミズキちゃんは?」と聞き返してきた。
「ハナミズキちゃんの夢は 、何?」
「私……私の夢は……」
まさか聞き返されるとは思わず、思案するミツコ。
しばらくして、「……ダンス」と答えた。
「社交ダンス。誰かと一緒に、社交ダンスを踊ってみたい」
「へぇ、ダンスね」
「よくこの広間でパーティーしてて、みんなが社交ダンスを踊っているのを見たの。キラキラしていて、綺麗で、楽しそうで。でも私、教えてもらっ たことも……やったことも 、ないから」
高貴な身分の者達が集うパーティーで、社交ダンスは欠かせないものだ。
身近であるにも関わらず、 ミツコは参加するどころか 、教えてももらえなかった。
誰かと社交ダンスを踊る――1人だった彼女にとってそれは、遠い憧れの夢だった。
「お人形さんと踊ってみてるんだけど、やっぱり一人じゃ出来なくて。うつぎといつか、踊ってみたいわ」
ミツコの言葉に、うつぎは苦笑いした。
「俺、運動神経悪いし、社交ダンスしたことないからなぁ。リードするどころか 、されちゃいそうだ」
「私もきっと上手くないわ 。でもね、いいの。誰かと踊ることが、大事だから」
ミツコにとって大事なのは、踊ることではない。
誰かと共に時を過ごすことが重要なのだ。
「でも、楽しそうだな。いつか踊ってみようか。練習、しなきゃだめだけど」
「ふふ、待ってる。うつぎと一緒に踊れる日が来るなら、私いつまでも待てるわ」
立ち上がり、その場でくるりと回転するミツコ。ふわりとスカートが広がる。
うつぎが慌てて手を振った。
「期待はしないでくれよ~? 俺、本当に運動できないからさ」
「大丈夫よ、きっと」
「根拠ないなぁ、もう」
どちらからともなく笑う二人。
だが、ミツコが激しく咳き込んだ。
「ゲホッゴホッ!」
そのままうずくまる。
うつぎがその背中を支えた。
「咳、大丈夫? 調子が悪いなら、もう寝なきゃだめだよ」
「ごめんなさい、ちょっとした風邪だと思うから。あ りがとう……ね」
「おやすみなさい」の挨拶をすると、ミツコはよろよろと歩いた。
暗くてうつぎは気づかなか ったらしいが、ミツコの手には血がべったり付いている。
咳き込んで、口から出たものだ。
「思った以上に悪くなっていく。本当に、急がないとだめかもしれない」
夢を喜々として語っていたうつぎ。
夢が叶うその時を、見届けられないかもしれない。
――その隣にきっと、私はいない。
そう思うと、酷く寂しく、心がどうしようもなく苦しくなる。
「うつぎとダンスを踊る。 それまでは、死ねない」
言葉と共に、ミツコはギュッと拳を握り締める。
隠せない不安が広がるように、包帯にじわりと血の滲みが広がった。
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