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それから間もなくして、ミツコと音羽のやり取りは始まった。
音羽はすぐにミツコのいる書斎を突き止めたらしく、扉の隙間から手紙が差し込まれるようになった。
ミツコも返事を書き、決まった時間に扉に差し込む。
すると、音羽が回収してくれるのだ。
本といった扉の隙間に入らないものは、予め場所を決めて、そこに隠してお互い取りに行くようにやり取りをしていた。
扉越しの、秘密のやり取り。
いつしかそれは、ミツコにとって、唯一にして一番の楽しみとなっていた。
それから、手紙でのやり取りが始まって半年。
「こんばんは」
「お久しぶりです」
丑三つ時、誰もが寝静まる夜――二人は館の中の大広間で、 顔を合わせた。
「今日は月が出ているね」
「はい、とても綺麗です」
大きい広間の、一際大きな舞台に腰を掛けるミツコと音羽。
普段は手紙のやり取りだけだが、上弦の月が昇る日の深夜、この大広間で会う約束をしている。
それも、晴れた日という限定付きだった。
「それにしても、どうして上弦の月なんだい? 分かりやすく、満月でもよかったのに」
「半月が好きなんです。弓張り月って名前が、凄く綺麗で。それに、上弦の月はこれから満ちていく月だから……楽しみ、 といいますか」
ミツコが満月を選ばなかったのには、訳がある。
満月だと、相手の姿が見えてしまうからだ。
手紙もしくは真夜中にしか会わない二人は、お互いの姿を未だに知らない。
ミツコの真っ白なその見た目を、音羽に晒すわけにはいかなかった。
「ふふ、流石に書斎暮らしなだけあって、風流だね」
音羽は特に疑うことなく微笑む。
他の人間とは違い、音羽はいつまで経っても優しいままだった。
――お父様から、何か聞かされているかもしれないのに。
この館に出入りしている以上、何かしらの形で『化け物』の噂を聞いている可能性が高い。
頭の良い彼のことである。既に化け物の正体はミツコ、という等式が成り立っていても、おかしくはないのだ。
もしそれを分かっていて、こうして会ってくれるのだとしたら。
――優しいを通り越して、 お人好しね。
だが、その『お人好し』が 、ミツコにはどうしようもなく嬉しい。
普段は身分の高い人々のパーティーに使われる、広く華やかな大広間。
今はしんと静まり返り、二 人の囁くような会話だけが 、仄かな月明かりに照らされ、楽しげに響く。
二人だけの、ささやかな秘密の夜話会だ。
ふと、音羽が話題を振ってきた。
「そういえば、君の書斎に窓ってあるの? 外はちゃんと見える? ずっと部屋の中だと、息苦しそうだなぁって」
「ありますよ。ハナミズキの木がよく見えるんです。 家に咲いているのは、白い種類で」
ミツコは窓に視線をやると頷く。
毎日毎日見ているので飽きてしまったが、書斎からの眺めはなかなか綺麗だ。
特に五月に咲くハナミズキは、ミツコのお気に入りだった。
「ハナミズキの花、好きなんです。白かったり淡い桃色だったり。可愛らしくて 。ペンネームにも使っていて……あ」
うっかり話さなくていいことまで喋ってしまい、ミツコは慌てて口を手で覆う。
その様子がおかしかったのか、クスリと音羽が笑った。
「へぇ、何か書くんだ?」
「あっまぁ……物書きを少々。趣味の範囲ですが」
ミツコは恥ずかしくて思わず俯く。
書斎に幽閉され、本に囲まれた生活を送ってきた彼女は、物心ついた時から自分でも話を書いている。今ではすっかり趣味の一つだ。
そのペンネームが『ハナミズキ』だった。
「いいよね。綺麗で可愛く て。俺も好きだよ、ハナミズキ」
「うんうん」と頷く音羽。
やがて何か閃いたのか、「そうだ!」と膝を叩いた。
「ねぇ、君のこと『ハナミズキ』って呼んでいい? やっぱり名前が欲しくてさ。ペンネームだったら、違和感ないでしょ?」
「私が……ハナミズキ?」
「ずっと『君』って呼んでるのも、何だかやりづらくてさ。それにハナミズキって名前、可愛いし……あっ嫌だったらいいよ!?」
黙ってしまったミツコに慌てる音羽。
だが、ミツコは首を振った。
「……いえ、ハナミズキっ て呼んでください。ハナミズキが、いいです」
ゆっくりそう言うと顔をあげ、微笑む。
ハナミズキ。
初めて名づけられた、意味のある名前。
その名前は、雛鶴ミツコと いう本名よりも、ずっと温かい音をもってミツコの心に響いた。
「ふふ、ハナミズキ……」
嬉しそうに何度も呟くミツコ。
音羽は安心したのか、「よかった」と頷くと、自分を指さした。
「……俺のことも、『うつぎ』でいいよ。敬語は疲れるでしょ。これだけたくさん話した仲なんだ、普通に話そうよ」
「音羽、さん……」
「音羽さんじゃないよ、うつぎね。ハナミズキちゃん」
茶化すように笑った音羽――うつぎは、天井を見上げた。
「君の姿、見えないけどさ。穏やかで謙虚な君には、 きっと似合う花だと思うから。……いつか陽の元で、会える日が来る といいね」
「はい……ううん、そうね」
――陽の元で会う日が来た時、うつぎは真っ直ぐ私を見てくれるのかな。
そんな日が来るかは分からない。
――でも、きっと会っても 、驚かずに受け入れてくれる。
「……そう、信じてる」
「ん? 何か言ったかい?」
「いえ! 何でも」
誤魔化すように、ミツコは天井にぶら下がったシャン デリアを眺める。
窓から差し込む月明かりに照らされて、シャンデリア がキラリと光った。
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