2

それは、あまりに突然の出来事だった。


普段通り、ノックと共にドアが開く。

だが、そこにいたのは白髪を撫でつけたあの男ではなかった。

「え、あの、貴方は……?源十郎さんは……?」


源十郎――あの素っ気ない執事の名を口にする。

源十郎より一回り若そうな黒髭の男は、「はい」と笑顔で答えた。


「彼は亡くなりましたので 、今日から私が執事を務めます」


「え……」


想定外の答えに絶句するミツコ。

状況が飲み込めない 。


「亡くなった、の? 何故……?」


「心臓のご病気だったようで。病院に行く間もなく、亡くなったと旦那様から」


「……葬儀は?」


「しないそうです。源十郎様のご家族に、その旨は伝えてあります」


「……」


「仕事は丁寧にさせていただくので、問題はないかと。それとも、源十郎さんに 何か未練でもおありで?」


「いえ、そういうのではないのだけど……」


口ごもるミツコ。


あんなに身近だった執事が死んだ。


それもショックだったが、 笑顔でそれを報告する目の前の男と、何より何も言わず葬儀にも出席しない父の冷たさにゾッとした。


「執事は、引き継ぎさえちゃんと出来れば、替えが利きますから。お嬢様は、何も心配しなくていいですよ」


張り付いたような笑みを浮かべたまま、ミツコの肩に 手を置く男。


「ひっ……」


ミツコは思わず身を引いた 。


――この男は信用ならない 。


執事というのは名ばかりで 、きっと権力や財産目当てでやって来たに違いない。

そうやって近づいてくる人物を、彼女は何度も見てきた。


――部屋には、入れたくない。


ミツコは男の背中を押すと 、ドアを開けた。


「分かりました、食事もありがとうございました。時間内には、食べ終わりますから」


それだけ早口で言うと、男の返事を待たずにドアをバン!と閉める。

かなり強引なやり方だったが、それがミツコに出来る最大限だった。

ノックがないので、男もいなくなったのだろう。

ドアにもたれると、そのままヘナヘナと力無く床に座り込む。



「死んで、しまった……」


報告された言葉を、自分の口で繰り返してみる。

だが、その実感がまるでわかない。

死ぬということは、ドラマチックで重々しいはずなのに、こんなにもさらりと流されていいものなのだろうか。


ふと、執事の言葉が蘇る。


『所詮他人は、他人ですから』


「……みんな、そうなの? 他人は他人。そこに、心はないのかしら」


普通の人の気持ちが、ミツコには分からない。

彼女はいつだって、蔑まれる側だ。

見た目が特異な彼女は、まだ人の心のあたたかさに触れたことがない。

普通の見た目だったらきっと、憧れた心の繋がりに触れられたに違いない。


そう思っていた。


だが、普通の人でさえ、それは叶わないのだろうか。

人と見た目が変わらなくても――


「愛されることは、ないのかしら」


ミツコは素っ気なかったあの執事を思い出す。


好きではなかった。

だが、その突然の死を、父や男のように、日常の一部として流すことは出来なかった。


書斎の引き出しに仕舞われた線香を一本取り出し、火をつける。


「どうか、安らかに」


細く頼りなくのぼっていく煙を、ぼんやりと眺める。

仕事上での替えは、いくらでもいるかもしれない。


でも――

命は一つしかない。

きっと、命の替えはないはず。


「そうで、あってほしい……」


両手を組んで祈るミツコ。

その祈りは、執事に向けたものか、はたまた願いに対するものか。


腕に巻かれた包帯が解け、痛々しい自傷の傷跡が、その隙間から顔を覗かせる。

ミツコだって、いつ死ぬかは分からない。


――自分は、誰かにとって替えのない命でありたい。


「そう、願わずにはいられ ない……」


ミツコは一人、静かに線香の前に頭を垂れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る