化け同心捕物帖・一鬼夜行

山吹弓美

化け同心捕物帖・一鬼夜行

 夏もそろそろ終わるであろう、天気のいい日の昼下がり。

 小料理屋「かさね屋」もほとんど客がいなくなり、看板娘であるかずらは残った客である相川辰馬にお茶を運んでいる。


「ごめんよっ」

「いらっしゃい! ……あら」


 からりと表の戸を開けて入ってきた客人、その顔を見てかずらが目を見張った。辰馬も、見るともなしにそちらに目を向ける。

 総髪に、右の目を布で覆った隻眼。残された目はぎょろりと鋭い眼光だが、それでいてどこか柔らかい物腰を感じさせる。骨ばった感じの、黒っぽい着流し姿の二本差しの男。


「旦那、お久しゅう」

「ああ。かずらは相変わらずだな」


 どうやらかずらとその男は顔見知りらしく、短い挨拶を交わす。辰馬の座っている側、空いた席に腰を下ろしながら、男は簡単に注文をつけた。


「一本つけてくれ、肴は適当に」

「あいよ」


 かずらとの会話を終わらせた男の隻眼が、ふいと辰馬の方に向けられる。それで、辰馬は気づいた。

 ああ。このひと、あやかしなんだ。


「何だ? 坊主」

「いえ。失礼を」


 己の視線に気づいた男が、訝しげに眉をひそめる。慌てて謝ってから、辰馬は先程かずらがもってきたお茶に口をつけた。


「宵の旦那、若い子睨むんじゃないよ」

「おう、そりゃ悪かった……なんだ、かずらのお気に入りかい」

「まあね。常連さんだし」

「なるほど」


 かずらと男の軽い感じの会話に、辰馬の視線はどうしてもそちらに向かう。どうやら、自分の事を話しているようでもあるし。

 今度はさすがに苦笑を浮かべ、男は目を細めて名乗った。


「宵中草吾っつうんだ。どうぞ、お見知りおきを」

「相川辰馬です。ここにはよくお世話になっていて」

「そうか」


 相川、の名に一瞬反応したその男を、辰馬は見過ごしていた。




「宵の旦那」

「宵中さん」

「おう。辰馬っつったっけな、坊主」


 辰馬が草吾と再会したのはその数日後、夜のことであった。

 かずらと共に、夜中に街道を駆け巡る炎のたてがみと尾を持つ馬を探していたときのことだ。


「やっぱり、旦那の馬かい?」

「ああ。『首に』乗っ取られてな」

「首に?」


 目の前にいる馬の姿を見ながら、辰馬はかずらと草吾の会話に疑問符を打つ。怒り狂った赤い目を持つ馬の、首の付け根ではっきりと切り替わる色味。胴体は濃い土色、首は黄色がかった白。


「馬に化けてはいやがるが、ありゃただの亡霊だ。俺の馬になんてことしやがる」


 ぶつぶつと文句を言いながら、草吾が刀を抜き放つ。ぬらぬらと、夜のかすかな光を受け止めて光るそれはただの刀ではなかろう。


「坊主、悪いが引っ込んでな。これは俺のやることでな」


 辰馬を押し止めるように踏み出し、草吾は地面を蹴って構える馬の前に立ちはだかる。その背からぶわりと広がる妖気に、辰馬は思わず一歩退いた。


「化け同心に、あんまり貸しは作りたくなくてな。天狗がうるせえ」

「紅山様が怒るよ? いくら古い付き合いだからって」

「怒らせとけ。顔が真っ赤になって似合いだ」

『ギヒヒヒヒイイイイイイン!』


 対して平然としたままのかずらと言葉をかわした草吾が、地面を蹴る。ほぼ同時に馬は一声大きくいなないて、後ろ足で立ち上がった。


「甘えんだよ。よその身体を借りなきゃ暴れられねえ、盗人が」


 草吾は音もなく飛び上がり、背の高くなった馬の更に上から剣を振り下ろす。ずばん、と肉を切る音がして白と土色、その色の分かれ目を正確に刃が切り裂いた。


『ギヒャアアアアア!』


 白い馬の首は、身体を失ったというのに鳴き声を上げ、宙に浮いたかと思うと草吾を飛び越えて辰馬に突っ込んできた。だが、そちらには。


 やれやれ。くびなしうまのくびをとらねばならんとはな。


『ギャアアアアアアアアアアア……』


 ぼやくような声が風に流れる間もなく、辰馬が刀を振るう。脳天から真っ二つに割られ、馬の首は白い煙と凄まじい叫びを発しながら消えていった。

 ふう、とひとつため息を付いて刀を鞘に収めた辰馬に、草吾が一つしかない目を丸くした。その横には首を失った馬が、先程まで首のあった場所にたてがみや尾と同じ焔を宿した姿で寄り添っている。


「妖刀使い……にしちゃ、仲が良いんだな。お前さんと刀」

「え、そうですか?」

「普通はどっちかがどっちかをねじ伏せて使うもんだからな」


 苦笑を浮かべた後、草吾はひょいと首なし馬の背にまたがった。たてがみを手綱代わりに掴み、器用に操る。


「迷惑かけた。こいつは俺の馬でな」

『ヒヒイン』

「そうだったんですか」

「夜行さんだからね、宵の旦那は」


 夜行さん。かずらが口にしたその言葉に、ああやっぱりと辰馬は思う。

 首のない馬に乗り、厄日の夜を彷徨うという妖。それが、宵中草吾の正体で。


「夜行さんでも、お昼にお酒飲むんですね」

「そりゃお前、妖だって飲みたいときもあらあな」

「確かにそうだ」


 それでも、大して人と変わるものではないんだなあ、というのが辰馬の中での結論だった。

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化け同心捕物帖・一鬼夜行 山吹弓美 @mayferia

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