第39話『風ひかる』
須之内写真館・39
『風ひかる』
子犬のファンタは見違えるくらい大きくなっていた。
今日の直美は、ヒカリプロの会長の家にやってきている。
住み込みのアイドル候補生の杏奈と美花が、甲斐甲斐しくパーティーの用意の手伝いをしている。
「あんたたち、怪我は治ったの?」
「はい、捻挫と……」
「肋骨のヒビだけでしたから」
二人は、レコード大賞のとき、受賞者の大石クララと服部八重が、ステージの階段を踏み外し、あわや大惨事になるところを二人で体ごとクッションになって名誉の負傷を負ったのである。しかし、それも癒えたようで、じゃれつくファンタをいなしながら、要領よくデビュー記念パーティーの用意をしている。
デビュー記念パーティーと言っても、杏奈と美花ではない。主役は壁にかかっていた。
「もう三十年になるんですなあ……」
いっしょに呼ばれた父の玄一が呟いた。壁の写真の主は、三十年前にデビュー直後に亡くなった宮田弘子であった。
「事故だったんですよね」
直美が、気を遣って先回りをした。
「いいや、わたしが死なせたんだ」
ヒカリ会長が、穏やかに、でもキッパリと言った。
玄一は、思い出していた。
三十年前、ヒカリプロ期待の新人宮田弘子が亡くなった。事務所前で迎えの車を待っているときに、急に車道に飛び出し、車に跳ねられて亡くなった。事故説と自殺説の両方が流れたが、結論は出ていない。
ただ、ヒカリ社長は「自分が死なせた」と思っている。
三十年前の今日デビューして、桜の花が満開になった四月の八日に亡くなっている。
「早くデビューさせすぎたんでしょうなあ……ここで杏奈や美花と同じように同居させて、全てを分かったつもりでデビューさせたんですが……」
「伝説の新人でしたね。デビュー二か月でオリコン一位『風ひかる』は、発表と同時にレコード大賞の下馬評でしたなあ」
「十七歳で、あの変化と人気……ついていけなかったんだと思ってます。わたしも弘子のデビュー後は構ってやれませんでした。マンションで一人住まい。心のバランスがとれなくなってしまったんでしょう……弘子のことは一生忘れません。でも、ケジメはつけようと思いましてね」
暗くて痛い話は、玄一にしかしなかった。
用意ができると、ヒカリ会長と奥さん、杏奈と美花、玄一と直美、そしてファンタの六人と一匹でパーティーになった。会長中心にオッサンとオバハンの馬鹿話と思い出話。理解できないところで、若い三人の間の抜けた質問。
――こういうことを、弘子にはしてやらなくっちゃいけなかったんだ――
会長は、やりきれない想いでいたが、おくびにも出さず、ただただ明るかった。
「一つ発表がある」
いきなり会長が立ち上がった。
「だいじょうぶですか、あなた?」
奥さんが気に掛けるが、本人は入っているアルコールの割には正気である。
「杏奈と美花を四月にデビューさせる。デビュー曲は『風ひかる』だ」
「「え、宮田先輩の……!?」」
美花が素っ頓狂な声をあげる。杏奈は驚きで声も出ない。
「アレンジはするけどな。二人とも弘子に誓え。必ずヒットさせるって! そして、二人はデビュー後も、一年間はここで暮らす。いいな!」
「は、はい!」
二人の声が揃う。
ここまでに、直美は百枚以上の写真を撮っていた。そして、パーティーの終わりに、テーブルを片づけ、弘子の写真を真ん中にして記念写真。これは、デビュー後の最初のアルバムと、プロモに使う。
「四月八日には、正式な弘子の三十回忌を事務所でやる。でも、それは外向き。本当の記念会は今日だ!」
会長が、そう言って、最後の乾杯をした。
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