第38話『キューポラのある街角・2』

須之内写真館・38

『キューポラのある街角・2』        



「あんた、雑誌社の人?」


 作業着のお爺さんが近づいてきた。深く刻まれた皺、節くれ立った手。いかにも昔ながらの職工の感じ。

「A出版の嘱託です。お爺さんは、古いんですか、この工場?」

「いや、今日が初めて」

「え……?」

「なんか勘違いしてんね。ボクは役者だよ。この工場取り壊すんで、関東テレビで、特集。そのドキュメンタリーだよ」

「え、あ、じゃ、それじゃ……」

 直美には、話が見えてこない。

「ボク『キューポラのある街』で、職工のちょい役で出てたの。予算少ないから小百合ちゃんに来てもらうわけにもいかないから、動員がかかったってわけ」

「あ、そうなんだ」


 ようやく分かった。


「撮影は、もう終わったんですか?」

「撮影どころじゃないんだよ」

「え……」

「取り壊し反対の市民運動の人たちが来ちゃってさ。今、そこの公民館で、市とうちのロケ隊と、市民運動の人たちと話し合いの真っ最中。ボクは苦手だから、ここで待ってるんだ」

「そうなんだ。いろいろややこしいんですね……しかし、どう見ても本物に見えますねえ」

「そりゃ、もう撮影から四十七年だよ。ボクみたいな大部屋、いつまでも役者じゃ食えないからね。普段は大道具やってんの」

 道理で、節くれ立った手をしているはずだ。

「役者は廃業ですか?」

「やってるよ。気持ちの上では、そっちが本業だからね。もっとも、ほとんどエキストラだけどね」


 直美は惜しいと思った。黙って、そこにいるだけで人生を感じさせる役者は、そういるもんじゃない。


「今でも映画専門なんですか?」

「ハハ、映画専門の役者なんて大物でもいないよ。市川 右太衛門の息子だって犬の声でCMに出る時代だぜ」

「ハハ、そういやそうですね」

「今度は、久々に台詞のある役だったんだけどね……」

「え、すごいじゃないですか!」

「ナリが東野英二郎に似てるもんでね。再現ドラマにはおあつらえ向き……あ、失礼。つい喫ちゃった」

 お爺ちゃんは、火を付けたタバコを持て余した。

「いいですよ、そのまま」


 直美は、十数枚写真を撮った。


「撮ってくれるのは嬉しいけど、一応仕事で来てるからさ、事務所のOKとらなきゃ使えないよ」

「採用になったら、編集から電話させてもらいます」


 そのとき、四十七年前の吉永小百合がセーラー服で駆けてきた。反射的に写真を撮ってしまう。


「あ、お早うございます」

 吉永小百合が、アイドルのような声で挨拶した。


「孫の小夏です。役者のタマゴ、今回は吉永小百合役」

「そうなんだ、そっくりね!」

「メイクさんの腕です」

「この子は、もう三十年早く生まれてりゃ、スターになれたんですけどね。かわいい孫だけど今風じゃない」

「フフ、どこで、どんなキャラが流行りになるなんか分からないわよ」

「そうね。あたしも、そう思って売れない写真撮ってんの」

「ハハ、売れない者同士か」

「お祖父ちゃん、撮影は中止だって」

「ほんとかよ?」

「工場の取り壊しを前提にした撮影はしないって、さっき決まったとこ」

「そうかい……」


 すると、そこに別のロケ隊がやってきた。花かごをぶちまけたようにアイドルグループの女の子たちがロケバスから降りてくる。


 新曲のプロモの撮影に、この工場を狙っていたようで、あらかじめキャンセルを狙って待機していたようだ。直美は、改めて、この業界のスサマジサを感じた。


 老優のお爺ちゃんは、その後二度とカメラの前に立つこともなく、一カ月後に脳溢血で帰らぬ人になった。

 孫の小夏は、あのアイドルグループのオーディションに合格。見事研究生になった。


 ブログで見た、小夏の顔には、あの時の吉永小百合の片鱗も無かった。


 まあ、時代なんだ……そう思う直美であった。


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