第一章13 『君と僕』

 誰もいない仕事場。


 彼女がいない中、一人で訪れるこの場所はたくさんの思い出で溢れ出す。


 そこに感慨深く浸っていれば、向かい合った画面越しの文章、その物語を眺めながら先ほどの会話が蘇る。



『なるほどね~。そういうことだったのか』


 携帯から流れ出す、北村さんの声。


『道理で編集長がノリノリだったわけだよ』


 ペラペラという音から、おそらくは企画書でも見つめているのだろう。

 そしてそれは、会話の流れからして、


『《緊急発表! 白鳥×待田コンビ VS 星型乃蘭×リナリア! ~新人ルーキー対決~》だってさ』


 僕らの対決企画で間違いなさそうだった。


『はぁ……まったく、君はまたやってくれたね……』


「すみません……」


『2年前の《月例賞企画》といい、今回も君は……。ほんと、物好きだよね~。うちみたいな弱小文庫を引っ張ってくれるんだから』


 物思いに耽った感謝。

 そこに少し、心苦しく思う。



 ――2年前。



 小学生ということから、デビューを見送られそうになった頃。


 雷鳴文庫は10周年記念の企画をしようとしていたのだが、中々いい案が見当たらず、そんな時に僕が人知れず『こんな案はどうですか?』と企画書をさり気なく提出すれば、見事にそれが採用された。


 それが僕らの応募した『月例賞』だった。


 10年が経ち、未だ大手レーベルと並べない中堅レーベルで居続ける雷鳴文庫が伸し上がるには、徹底した何かが必要だった。


 そこで僕は、月例賞の設立、締め切りの徹底、絵師の厳選。大手と並ぶだめの企画を考案した。


 そうすることで僕は、考案した条件にデビューを認められ、その翌年、雷鳴文庫から8作ものアニメ化作品が生まれ、前代未聞の所業を成し遂げた。


「でもほとんど、自分のためですし……今回だって偽善的な理由ですよ?」


 凄く、自分勝手な申し出。



 ――そう、



 ただ自分が駆け上がるための階段、その土台を作ったに過ぎなくて、それが成功するなんて思っても見なかった。


 それを呑んでくれた編集長にもどうかと思うが、希望が叶って幸いだった。


『それでもだよ。君は野心家だな……』


 耳元に聞こえる呆れ声。

 僕は自然と頬を緩ます。


『そんな君に一つ朗報』


「何ですか?」


『なんと、今回の対決で勝った者、つまりはより多く売れた方の作品をアニメ化するという確約がついてきます』


「……まじですか?」


『ああ』


 何とも嬉しい案件。

 僕は雷鳴文庫の看板になることはできても、まだアニメ化までは行っていない。

 正確には行きかけていた、だけど。


 創作活動2年目にしてアニメ化までの話は来た。

 それを呑んで、僕も舞い上がっていた。

 けれどユキの一件以来、何も手を付けることができず、破棄となった。


 凄くもったいない話。

 だから今、またもこんな機会がやって来たことに正直嬉しかった。


『でも』


 込み上げる高揚感。

 その浮かれを取り除くように、北村さんの声が遮る。


『今のままじゃ、君は勝てない』


「……」


『君は、昔とは違うんだ』


 言い聞かせるような物言い。

 仕方ない。それが真実なのだから。

 僕はその言葉に、冷静さを取り戻す。


『君が今回刊行した作品。あのレベルじゃ白鳥・待田コンビに勝てない。あれを超える今の君にしか書けない作品をぶつけない限り……』


 今のままじゃダメ……。

 今の僕にしか書けない作品……。


『君が書いたあの異世界もの。あれにはどこか昔の君の面影があったから、あそこまでギリギリで売れたんだ』


 確かな分析。

 だってあの作品は、2年前に発案したものだったから。

 

『Eonian Gait』とは別の、2作目を書いてみないかという進め。

 そこに指名されるは『異世界もの』のジャンルで。


 僕は乗り気じゃなかったけど、ふと思いついたのがあれだった。


 当時作り上げたプロットらしきものから、北村さんに気づいてほしい一心で、あの時の感覚を思い出しながら書いてみた。

 結果は案の定のもので、今がある。


 世界観としてはありふれた中世ヨーロッパじゃない異世界で、剣と魔法で英雄を目指すヒロイックファンタジー。


 主人公最強なんてつまらない。

 チート?ハーレム?そんなものクソ食らえだ。


 やさぐれた思いで、ラノベの固定概念に囚われない思想で描いた漫画のようなバトルもの。


 ヒロインの魅力。仲間との友情。失っていく悲しみ。


 僕はイタいのか、名言ばかり生まれて。

 伝えたい想いが溢れて。

 読者にいろいろなメッセージを込めて、訴えかけるように文章を綴った。


 それが、あの作品だった。


 確かにこの手法は、過去の僕のもの。

 今の僕にもできないことはないけれど、明らかにレベルが落ちている技術だろう。


 時代の流れは変わる。

 人の思想や流行によっても、感じ方は変わってくる。


 それを押し切って、皆に認めさせるのが真の創作家。


 今の僕に、それができるだろうか……。


『……こちらから伝えられる助言はここまでだ。あとは君次第だ』


 切れる電話。

 凄く素っ気無い。

 けれどこのアドバイスの仕方も、僕がレーベルに頼んだもの。


 作者と編集が二人三脚で頑張るこの業界。

 編集ができるのはアドバイスだけで、それ以外の指示は控えることで作者の作品としてより個性を発揮させる。


 原石を磨けば綺麗な形になる。

 でもそれは、削って綺麗に見せるだけで、形は小さくなる。


 シンプル・イズ・ザ・ベスト。

 そのもとに、作者本来の力を発揮させるための案がこれ。


 どうしても二人で作ろうとすれば、意見のぶつかり合いや私情が挟まったりしてつまらなくなることがある。


 だから最低限の助言だけをすることで、そうやって現実を叩き付けることで、作者の実力を急成長させる。


 ただその分、脱落していく者もいる。

 そこを這い上がって来たものが集う文庫。


 それが雷鳴文庫。

 今も戦い、生き残れている理由。


 無駄なものは書かない。

 真に面白いと思える売れる作品、当たり本しか店に並べない。

 その教えが今も残っていることに、おかしく思う。


 まるで、僕の居場所を残しているみたいに。

 僕がいた証明を、残し続けているみたいに。


「さて」


 回想を終えて、キーボードに指を置く。


 これからどうするかという迷い。

 内心、これでもかというほど焦っている。


 全く持って、筆が進まない。

 本当に、手詰まりだった。



 ――『君の描く理由は、何?』



「……」


 ふと、彼女の言葉が脳裏を過ぎる。


 僕の描く理由……。

 それを思うだけで何故か、僕は不思議と笑みを溢す。


「そんなの、決まっているじゃないか……」


 風景が水彩画のような淡い光に包まれる。


 そろそろ夏も終わろうかという季節。

 ただ熱くはなくて、暖かいといった感じ。


 そこにどんどん、今までのことが流れるように映し出されていく。

 そして自然と、指が踊るように動き出す。

 たくさんの思い出がこの部屋の中を埋め尽くす。


 今まで本当にいろんなことがあった。


 挫けそうになったこともある。

 泣いた日もある。


 希望を抱いた日。たくさん笑顔を溢した日。

 いろんな人との出逢いもあった。

 凄く、充実した日々だった。


 失ったものもたくさんある。


 何かの代償。

 僕が一体、何をしたというのだろう。


 何度も自問自答した日々。

 葛藤や罪悪感に苛まれた日だってある。


 今だってそう。


 僕は彼女に何をしてあげられるだろう。

 彼女は僕にたくさんのものをくれた。取り戻させてくれた。


 だから今度は、僕の番。

 おかしな話、僕はこんな時でさえ君のことばかり考えている。


 いや、こんな時だからこそ、か。


 僕の描く理由……それは……。



「―――」



 絶えない笑み。

 世界を紡ぎ、描いていく中で思ったのは、君への感謝で。

 気づいた頃には、あの時と同様、書き終わっていて。


「これは……」


 出来上がった文章に目を通し、少し頬が熱を帯びる。

 そのデータを彼女へと送り、感想を問う。

 しばらくして既読が付き、2時間ほどがして感想が来た。


『これは告白かな?』


「Oh……」


 やっぱりそうなるか……。


 僕も何度も読み返して思った感想。

 それは彼女と一緒で。

 でもそれが、悪い気がしなくて。


 僕は正直、恥かしかったけれど、そのデータを北村さんへと送った。


 まさかまさかの1日にして、1作品描き上げるとは。

 自分で自分が信じられない。


 ただひたすらに彼女のことを思って書いた作品。


 ただ、何だろう……。


 自分で言うのもなんだけれど、読んでいて凄く心が温かくなる。

 文字にすることで、今までのことが全部、一気に頭の中を駆け巡るから。


「……ん?」


 送ってすぐ、北村さんからの返信が来る。

 そこに目を通せば、


『成長したな』


 僕は、驚きの表情を隠せなかった。

 その言葉が凄く、嬉しかった。

 そして最後に、何やら間をおいてまたもメッセージが届いて、


『まるで告白だな』


 追い打ちを掛けられる僕だった。


 そこに思うのは、『今の感動を返してほしい……』という萎えた気持ちと、それでもやっぱり嬉しさの方が相まって、僕は空を仰ぎ見ていた。


 これで彼らに勝てるかはわからない。

 けれど精一杯のことはやった。

 あとは読者の判断に任せるだけ。


 でも、何だろうな……。


 自信がないというわけじゃないけれど、改めて思った。


 僕は、彼女のために。


 その確かな思いだけが、僕を支えている。


 感謝と恋心。

 僕らの刊行日けっせんのひまで、残り数週間。

 果報は寝て待て。


 僕は何をもってしてか、何の心配もせずに彼女のもとへと走り出している。

 あの頃同様、毎日彼女のお見舞いに行っている。


 そんな日々が繰り返され、あっという間に月日は流れて、



 僕らは――。


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