第一章11 『君のために』

「サイン会終わったねー」



 伸びをする青年――『きたむらえい』。



 でも、目の前にあるもののことを考えると、こっちはそうは言っていられない。


「店の売れ残り感が凄いな……」


 視線の先にあるもの。

 彼女と描いた一つの物語。


 賞に応募して、それぞれが運よく受賞し、必然のように組まされた。

 まるで、運命だとでも言うように。


「まぁ、まだ人気作家とは程遠いからね」


 そう、今の僕は人気作家じゃない。



 ――何故なら、



「1万部か……先は長いな」


「逆に、昔が異常だったんだよ。刊行1か月で10万部なんて、驚きの数値だよ。しかも、次月にはその何倍……。今でも1か月で1万部は超えてるんだから上々だよ。それに、皆喜んでいたじゃないか。そんな若くてこんな作品が描けるなんてって」


「そうですけど……」


 今の僕は、PN《ペンネーム》を変えている。


 彼女の指示というのもあるけれど、人気が出ないのはたぶん、今まで顔出しをしていなかったから、誰も僕だと気づいていないというのと、レーベルの誰もそこに触れようとしていないから。



 ――そしてもう一つ、



「想像力があれば誰にでもできますよ。僕はただ、いわゆる現実逃避をしているだけです」


「それでもだよ。こんな世の中だから、不安を感じる者がいる。不毛でも、そういう『もしもの世界』を、夢を見せてあげることで頑張れる人たちだっているんだ」


「可哀想な人たちですね」


「いや、君に言われたくないな」


 編集者である北村さんと、何気ない会話ができているのは、前の僕の担当でもあったから。


「僕は……まぁ、うん。複雑ですね……」


 可哀想というより、哀れだ。



 ――だって、



「それにしても……君がまた、この世界へ帰ってきてくれるとはね。正直、驚いたよ」


「……やっぱり、バレてたんですね」


「そりゃあ、あんな周りとかけ離れた独特の作品を見せられたらね」


 僕は、昔のように物語が描けない。

 今は唐牛で描けている状態。


 だから、読者には僕が書いたのだと知られていないし、売れていないのは、才が枯れるように、今の僕が昔の僕ではないから。


 でもやっぱり、その独特感が消えないのか、偶然にも審査員だった北村さんの目に留まって、昔の僕の担当だったからなのか気づかれていたみたいだった。


「どうして、戻ってきたんだい?」


 北村さんは、僕の事情を知っている。


 妹がこの世から去った事実を、共に聞かされていたから。


「彼女に言われたんです」



 そこから立ち上がることができたのは、きっと――。



「僕の存在で、あの景色は変わった。道のりは険しくなって、果ては遠のいた。そんな頂をもう一度見れば、探し物は見つかるって」


「君の探し物って?」


「……わかりません。それすら、見失ってしまったものですから」



 ――でも、



「もしかしたら僕は、誰かに愛されたいのかもしれません」


「愛されたい?」


「人を思うのは簡単です。でも、思われるのは難しい」


 どれだけ思っていようと、それだけの思いが返ってくることはないに等しい。


 僕は家族を失った。

 僕が鈍間のせいで、妹は死んだ。


 僕は、酷い奴なんだ。


 なのに、そんな僕を君は必要だと言った。


 ずっと独りで、一人でいいやって投げやりになっていた僕に、君は、隣にいてくれると、そう言ったんだ。


 唐牛で描けているのは、きっと彼女のおかげ。



 ――『描く理由がないなら、私のために描いてよ』



 彼女のおかげで、描く理由は見つかった。



 ――だから、



「彼女が僕を思ってくれている。なら僕も、彼女を思って描いてみようって、そう思うんです」


「それが、今描いている理由?」


「はい」


 あやふやで不鮮明なものだけど、今はそれだけで十分だった。



「なんだか、あっちが騒がしいね」


 賞を受賞し、刊行から1か月。


 1万部突破記念ということで、今まで表舞台に一度も顔を出さなかった僕が、表彰台にさえ立たなかった僕が、今日、初めてサイン会をした。


 読者から直接触れ合う機会なんてそうそうない。


 だからとても新鮮で、ためになった……と思う。


「ちょっと見てくるね」


「はい」


 やりたかったと言えば嘘になる。

 ただ彼女の指示で、やむを得なかった。



『――まずは、己を知ることから始めよう。今の君の作品が、周りにどう映っているのか、何が欠けているのか。感想を聞いて考えるのが一番だ。今の自分がどうかとか、何が足りないかどうかなんて、そんなの、君自身が教えてくれるよ』



 何故か不思議と、彼女には逆らえない自分がいる。

 それはきっと、彼女が昔描いていた物語のヒロインに、妹にそっくりだから。



「――ぉい」



 こんなことになるなんて、思いもしなかったな……。


「……おいって!」


 耳元に響く誰かの声。


「は、はい……?」


 ふとして顔を上げれば、目の前に立つ青年が一人。


「やっと気づいたかよ……」


「え、えっと……」


 逆立った髪。力強い風格。ガタイのいい体型。


「サイン会はならもう、終わりました、けど……?」



 僕はこの人を――、



「変わらねぇな……」



 知らないはずなのに――、



「ぇ……」


 脳裏に過ぎるのは彼女。


 もしかしたら彼も、僕のことを知っている?


 なんとなく思った、疑問だった。



 ――けれど、



「そっちには復帰しといて、こっちには復帰しねぇってか――『竜胆』」



「……っ!」


 その一言が確信へと変える。


 聞き間違えようのない言葉。

 彼の視線がそっと、テーブルに広げられたサイン本へと移される。


「しかも、PN変えての顔出しでこれかよ。《神童》も落ちたもんだよなぁ!」 


 もっともな意見。

 それ故に言葉が出ない。



 僕は――、



「けっ、だんまりかよ」


 近づき、本を手にする彼。

 が、何故か突然大人しくなり、表紙を見て固まっている。


「……?」


「ちっ」


 舌打ちと共に顔が強張り、苛立ちと不満でますますいかつさが増していく。


「絵まで人任せとか、どんだけクソなんだよ……テメェはよぉ!」


 溢れんばかりの怒り。

 いきなり現れて、何様かと思うこの言動。

 仕方ない。これが普通の反応なのだから。


 彼はきっと、僕を知っている。気づいている。



 昔の僕のPN――『竜胆』の名を出してきたのだから。



 僕は、どれだけ罵倒されようと構いはしない。

 それが当然の報いだと思っていたし、覚悟もできていた。


 でも、彼の言動には唯一許せない部分が一つある。



 ――それは、



「自分の名前も名乗らないで、あんた何様ですか」


「……っ!」


 驚愕の顔。当然だろう。

 黙り込んでいた大人しそうな僕が、こんな一面を見せたのだから。


「さっきから僕の事、好きかって言ってますけど、それは別にいいです」


 そう、許せないのはそこじゃない。


「でも、その絵に対する冒瀆だけは、許すわけにはいかない!」


「……許さねぇだと?」


「謝れよ……今すぐ謝れ!」


「へっ、なんでこんなちんけな絵に俺様が謝らねぇといけねぇのかわっかんないね」


「なんだと!」


 荒れる空気。あがる怒鳴り声。

 彼は彼女を馬鹿にした。彼女の絵を馬鹿にしたんだ。


 僕に描く理由を与えてくれた、救ってくれた彼女を侮辱した。

 だからこいつを、許すわけにはいかない。


「お前ら何やってんだ!」


 途端、北村さんの声がロビーに響き渡り、間を挟むように駆けつける。

 ひとまず落ち着き、内容を把握しているのか北村さんは口を開いた。


「困るねー、待田先生。うちの新人にちょっかい出してくれちゃー」



「新人?はっ、どこがだよ。こいつはどう考えたって『りゅう――」



「おいガキ。早く失せねぇとファンだってことバらす上に、お前んとこのレーベルにチクんぞ……」


「ち、ちげぇし!俺こいつのファンじゃねぇし!」


「ツンデレかよ……。まぁいい、さっさとそれ持って帰んな?特別にやるから」


「わ、わかった……」


 立ち去って行く青年。


 血の気が引き、珍しくも怒鳴ってしまったことに嫌気がさしつつも、許せない思いが消えることはなかった。


「で、どうしてこうなったか、説明してもらえる?」


 北村さんの性格として、僕に対して比較的優しい。

 けれどそれは、僕が締め切りを破らないという真面目な印象があるから。


 でも、他の作家さんの間では『二面の鬼』と呼ばれている。


 だから今、北村さんの鬼の一面がとても怖かった。



      ※



「まったく、気持ちはわからなくはないけど、こういうのはこれっきりにしてよねー?」


「……わかってますよ」


 説明が終わり、同情されるも不貞腐れてしまう。



「――北村さーん。ちょっといいですかー?」



「はーい」


 ロビーで呼び声が響き、返答する北村さん。


「次からは気を付けてよー?」


「……」


その言葉を置いて、北村さんは再び立ち去って行った。



「――あのっ……すみません……」



「……?」


 息を切らしながら、突然にも現れた彼。

 見た目的には同年代のようなのだが。


「こちらに……待田先生は……ぜぇ…ぜぇ……いますか……?」


 待田……。


 脳裏に蘇るは先ほどの光景。

 苛立ちと嫌悪を胸に、それを出さぬよう優しく答えて上げる。


「その人なら、今さっき帰りましたけど……」


「え……っ!?じゃ、じゃあ、星型先生のサイン本は、まだありますか?」


「まぁ、一応……」


「ほ、ほんとですか!?」


「え、ええ……」


「よかった~……」


 慌ただしくもそこに、崩れ落ちる彼。

 安堵によるその姿からして、そうとう疲れているようだった。


「大丈夫ですか?」


「はい~……」


 顔を上げ、涙を流す彼。


 全然大丈夫に見えない……。


「ところで、せ、先生は……っ!星型先生はどこにっ?」


「僕ですけど……」


「あ、あなたがほしかたらん先生!」


「はい?」


「すみません、いろいろあってサイン会に遅れてしまって……」


「まぁ、そういうときもありますよ。はい、これ」


 彼の言葉に苦笑しながら、数冊余ったサイン本を手渡す。


「わぁ、ありがとうございます!」


 すると彼は本当に嬉しそうにしてくれる。

 さっきの彼とは大違いだ。


「その、一つ聞いていいですか?」


「はい?」


「凄い聞きづらいんですけど……あなたは竜胆先生ですか……?」


 鋭い意見。


 さっきの彼といい、今まで顔出しはしていないはずなのに。

 昔の僕はもう、いないはずなのに。


「……どうして、そう思うんです?」


 心優しい彼。

 その彼に少し興味が湧いている。


「ネットの試し読みで、あらすじと中身をちょっとだけ覗いたんですけど、なんて言うんでしょう……勘?」


 勘って……。


 聞いたことは、何とも曖昧な返答で。

 不確かな感覚的意見で。


「でも、疑問があるんですよね」


「疑問?」


「どうして今回はラノベだけで、しかもイラストも自分で描かないのかなーって。あんなに凄い作品を描けるのに……」


「……」



 それは――、



「あっ、す、すみません!失礼でしたよね……」


「いえいえ。気にしなくて大丈夫ですよ」


 だって、事実なんですから。


「ん?ちょっとすみません」


 バイブ音が鳴り響き、携帯を取り出す彼。

 メールのようなのだが、その文章に沈黙を浮かべていた。


「ねぇ、先生……」


「どうかしたんですか?」


「さっき、待田先生が失礼なこと言いませんでしたか……?」


 三度出てくる名前。

 その第一印象から思い出すたび、毛嫌いする。

 耐え兼ねた感情を抑え、言葉を絞り出す。


「……どうしてそんなことを?」


「えっと僕、一応小説家やってるんですけど、待田先生と組んでラノベ描くことになって……。今日のサイン会に誘ったのも僕なんです。なんか待田先生、星型先生の作風が『竜胆』先生に似てるって言ったらすごい興奮して……」


 同年代の作家、か……。


 目の前にいる存在。

 そこに少しの高揚感を覚える。


「あなたも創作家だったんですね」


 だから自然と、手を伸ばして笑みを溢す。

 すると互いに手を取り合い、握手を交わして自己紹介する。


「はい。『しろもりたく』、PN『はくちょう』。14歳です」


 PN通りの白髪の少年。


 同い年でこんな美貌の持ち主にファンになってもらえるなんてと、少し複雑な思いでいっぱいだけど、ただ素直に嬉しかった。


 同志であり好敵手ライバル。同じ穴の狢。

 そんな彼と、僕の作品を通じて出逢えたことが。


「えっと、『間遠敬護』。PN『星型乃蘭』、14歳です」


「あ、同い年だったんですね」


「そうですね」


 類は友を呼ぶとは、このことを言うのだろうか。


「あの、それで……」


「……?」


「こんなメールが送られてきたんですが……」


 届いたメールを見せる彼。

 そこには、先の青年の名前があった。



『ダメだなありゃ。特に絵が合ってねぇ。ま、俺ならもっとうまく描くけどなぁ!』



「……」


 あの野郎……。


「す、すいませんでした――っ!!」


「いえ、えっと、あなたのせいではないですし……」


 本当に優しい彼。

 逆にこちらが申し訳なくなる。


 だからとりあえず、『今度あいつに会った時はただじゃ置かないぞ』という、真っ黒な誓いをここに立てた。



「えっと、それじゃ……」


 申し訳なさそうにあいさつをして、手を振り帰っていく白森。

 見送り、いなくなったことを確認すると、僕はポケットから携帯を取り出す。


「もしもし……はい……ちょっとお願いがあるんですが……」


 何度も、何度も、彼女の姿が頭の中から離れない。



 たぶんそれは――。



 確かな気持ちと共に、新たな覚悟が胸の奥にはあった――。



      ※



「――あのー、すみませーん」



 あれからまた、数分が経つと彼女たちは現れた。


「……っ!」


 ありえない光景。

 目の前には、絶対に並び立つはずがない二人の姿があった。


「あれ?間遠君……?」


「え、知り合い?」


「はい。クラスメートです。小学校から一緒の幼馴染?みたいな」


 嘘だ……どうしてここに……。


「何でここにいるの?」


「それはこっちのセリフなんだけどな……」


 右隣に佇む幼馴染への返答。

 すると、反対側に立つ20代中盤の美女が口を開いた。


「私たちはここでサイン会があるって聞いて……あ、もしかして終わってる?」


「いや、その……もしかしなくとも十分くらい前には……」


「嘘っ!?じゃあもう、星型先生のサイン本はないの!?」


「いえ、あります……けど」


「あー、ならよかった~……」


「一安心ですねー」


 目の前に立つ二人の女性。



 一人は同小同中の幼馴染――『なかえい』。



 隣に立っているのは、アニメ好きなら誰でも知っているであろう人気女性声優――『たか』さんだった。



「それよりも、なんで中尾があの高田さんと一緒にいるんだよ……」


「あれ?君、私のこと知ってるの?」


「そりゃ、まぁ……」


 逆に知らない方がおかしいだろう。


 ヒロイン役を10人掛け持ちしており、出演した作品は人気作となる。

 その見た目も美しく、時折見せる表情に一喜一憂。

 憧れずにはいられない女性声優ランキング1位の魔性の女。


 そんな彼女が、中尾とバッタリ出会うのだからおかしな話。



 だってーー、



「高田さんって有名人か何かだったんですか?」


「えっと、声優やってるんだー」


「へー、そうだったんですか♪」


「うん♪」


 目の前で広がる暖かな談笑。


 なんか、凄く仲いいな……。


「えっと、さっきカフェで高田さんが入りにくそうにしてたから声を掛けてね。そしたら意気投合しちゃって……」


 おかしな偶然。運命の悪戯。引き付け合う二人。

 巡るべくして出逢ったとでも言いたいのか。


 面影が似ている彼女たちが出逢うのは、僕にとっては『人生なにがあるかわからないな』という思いを抱かせるだけだった。


「えっと、間遠君だったけ」


「はい?」


「星型先生はどこにいるか知らない?」


「ああ……それ僕です」


 言葉いきが詰まった。

 今まで学校内の人物には、バレたら面倒という理由から創作活動をあまり話していない。


 だから、昔の僕について知っている人物は少ないし、話したいとも思わない。


「はい、これ」


「あ、ありがとう」


 目的のサイン本を渡す僕。

 二人は案の定、驚きを浮かべている。


 ただ一人は、怪しい微笑みをしていることに不思議に思う。


「ねぇ、間遠君。君ってさ、好きな人いる?」


「えっ!?」


 予想外の質問。

 ただ驚いたのは僕ではなく、その隣にいる中尾だった。


「……どうしてそんなことを聞くんです?」


「私はね、もう原作持ってるんだー♪今日ここに来たのはね、この本の作者である君の真意を聞きたかったからなの」


 何となく、こんな日が来るんじゃないかと思っていた。

 自分も昔、よくやっていたことだったから。



 それはつまり――、



「ここに描かれているのは、本当の話なんじゃないかってね」


 そういう考えを持った人種に出逢うこと。

 想像力豊か故のおめでたい発想。


「描写が妙にリアルなんだよねー。凄く感情的な面が組み込まれているからさ。もしかしたら、そうなんじゃないかなーって。で、どうなの?」


 そう疑いたくなる作品に、僕も幾度となく出合ったことがある。

 そんな怪しい匂いを漂わせる作品を僕が描けるなんてと、思ったりもする。



 ――けれど、



「……さぁ、どうでしょうね」


「え~」


 彼女の言葉に微笑するも、僕は答えることができず、お茶を濁すだけだった。



「それじゃあねー」


「はい」


 彼女たち二人とお別れを告げ、三度、静寂と共にする。


 見送っていく彼女たちの背中を見ながら思ったこと。

 脳裏に過ぎるは先ほどの言葉で。



 ――『ここに描かれているのは、本当の話なんじゃないかってね』



 あの質問の答え。それは正直なもの。

 だって、自分でもわからないものなのだから。


 書いた時に会った感覚は不思議なもので、書いた後に気づいたのは紛れもない僕の物語で。

 それがとても現実味を帯びていた。

 ただそれだけの話。



 でも――、



「……?」


 ふとポケットからバイブ音が鳴り、取り出してみる。

 そこにあったのは彼女からのメールで、


「……っ!」



 告げられたのは、残酷な余韻だった――。


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