第一章10 『そよ風』

 5月になり、桜が散る季節となった今、あれからまた1週間の時が流れた。



「―――」



 体育の授業の合間。

 月日が流れるにつれ気温が上がっていき、運動をすれば汗をかく。

 それにより、木陰の中に吹くそよ風は心地の良いもので。


「ねぇ」


 そんな中、君はふとして声を掛ける。


「大賞の結果発表って、いつ頃に出るの?」


 えーと、確か……。


「あの大賞は、雷鳴文庫が10周年記念で新設した、毎月行われる新人賞なんだ」


「ふむふむ」


「だから結果発表も、今月末にはわかるはずだよ」


「そうなんだ」


「うん」


 凄く、挑戦的な企画。

 大手レーベルが年に1回しか大賞を開かない中、漫画賞のような新世代育成計画。


 ネット小説大賞などでは、似た類の新人賞がざらにある。

 けれどそれを大手がやらないのは、やらないのではなくできないから。


 送られてくる作品の数同様、編集者の仕事は多い。

 大手ともなれば、それは尚更で。


 それを実行する雷鳴文庫は、無謀と言うかなんというか。

 ただ作家志望の者からすれば、有り難い事この上ないお話し。


 それぞれの大手が季節ごとに賞を開設していると言っても、年に1回のチャンスで結果発表すら半年掛かるのだから、これほど叶いづらい夢の待機時間しゅんかんがどこにあるというのだろう。


 まぁ、僕の目的は受賞であって、そうではないけれど。


「気づいてもらえるかな……」


 ギュッと腕を握り締める僕。


 不安だ……凄く不安だ……。



 ――でも、



「やれるだけのことはやったよね……」


 空を仰ぎ見ながら、そっと呟く。

 そしてふと思う。


 目の前にいる彼女。

 その後ろ姿を眺めながら、とある疑問に着地する。


「ねぇ、どうして雷鳴文庫にしたの?」


 至って単純な疑問。


 応募するならどこでもよかったはずだ。

 態々、昔描いていた場所で書く意味があるのか。


 お世話になったからという恩情か。

 過去から逃げるなという戒めか。


 僕があそこに戻る理由なんて、何もないのに。



 僕は、薄情者だ――。



「……ほんとはね、どこでもよかったの。君がまた、あの世界に戻ってきてくれたら、どこでも」


 やめていた創作。

 君のおかげで取り戻すことができた僕の一部。

 ほんの僅かな小さな一歩。


「でも私は、あそこが君の帰るべき居場所だと思った」


 影ったその背中は小さくて、何を考えているのかはわからない。

 今彼女は、どんな顔をしているのだろう。


「だってさ、君を待っている人たちがいるんだもの」


 振り返った彼女。吹き抜けるそよ風。

 一枚の木の葉が、宙を舞う。


「待っている人の気持ちも、考えてほしいな」


 何気ない苦笑。

 その言葉が身に染みる。


 ああ……そうだったんだ……。



 僕は、やっぱり――、



「ねぇ」


「……ん?」


「君が雷鳴文庫あそこを選んだ理由は、何?」


 僕が、選んだ理由……。


 彼女が言いたいのは、それは『昔どうして僕が大手ではなく中堅レーベルの雷鳴文庫を選んだのか』というもので、その言葉に自然と頬が緩む。



 だって、それは――、



「大手レーベルには、すでに看板作品があったから。僕の居場所は、ないと思ったんだ」


 大手の由縁。巨大な壁。

 窮屈すぎて、息苦しさを覚えるけれど、険しい故に乗り越えた時の頂きから見る景色は格別に思える。


「大手の作品と並んで、文庫作品を盛り上げるっていうのも面白いと思う。その中で競い合うことも魅力的で、惹かれる要素でもある」


 凄く憧れる光景。



 ――でも、



「でも、僕には、大手以外のレーベルで活躍して、看板作品を立ち上げるほうがよっぽど面白そうに思えたんだ」


 文庫内での人気争い。

 それはまるで週刊誌の漫画のような戦い。


 けれど僕らが書いているのは小説であって、漫画じゃない。

 描く世界は一緒でも、争う世界はとても広い。



 ――だから、



「別レーベルでトップを張り、そこからラノベ界の頂点に立ったら……凄く、かっこいいじゃないか」


 井の中の蛙じゃない。


 ラノベは、レーベル内での争いだけで成り立っているわけじゃない。

 他レーベルと、そこの看板と張り合うことで成り立っている。


 大手で伸し上がれば必ず、他文庫と比べられる。

 内部争いなんて序の口。


 大手の中で人気を勝ち取るのは至難の業。

 ただ逆に、大手だからこそ他文庫と競い合うだけの知名度ちからがある。


 僕は、その先を見据えて中堅レーベルに手を伸ばした。


 大手よりも伸し上がることは簡単。

 対称に、他レーベルと比べられるのだから、知名度が低いこちらとしては力不足で。


 ラノベの内部争いなんてちっぽけだ。

 いや、争いとは名ばかりの自由気ままな戯れだ。

 何故なら皆、そんなことは気にしていないから。


 皆、描くための理由が違う。

 一緒なのは、面白い作品を描こうとする信念だけ。

 漫画とは違う、ぬるい世界だ。


 だからこそ、僕はあえて険しい道を行く。

 ラノベ界の代表作トップとして君臨することが、どれだけ難しいことで、どれほどかっこいいものか。


 新たな歴史を切り開く根源となること。

 その頂点に立つこと。

 それを実現できたとき、この世界の風景が変わって見えるのだろうと期待していたから。


 でも僕は、本当の意味で喜べなかった。

 とてもじゃないけど、そういう心境にはなれなかったから。


「子供っぽい理由でしょ?」


 何かの一番でありたい。

 子供さながらの、バカみたいな考え。

 その夢を現実にしてしまった大人びた考えを持つ僕は、全然子供のように思えないけど。


「君は、野心家だね」


 野心家……。

 確かにそうかもしれない。


 この業界に疑念を抱き、革命を齎すこと。

 ただひたすらに、いろいろな理由を取ってつけて、結局は自分のために書く僕は、どこか周りと違う。


 僕は、変わっているな……。


「お」


 授業終わりのチャイムが鳴り、声を漏らす君。

 そこに僕が立ち上がろうとすれば、君は笑顔で手を伸ばす。

 それを不思議にも掴み取り、僕は微笑して立ち上がる。


 吹き抜ける風に潜む、中尾の視線、それを眺めるトモの姿など知りもせず。



      ※



 あっという間に1か月の時は流れて、暗闇の中、自室にて僕はとあるメールに注目する。

 その差出人は案の定のもので、ドキリと心臓が脈打つ。



 ――『雷鳴文庫編集部』



 そのすぐ横に、第10回小説部門大賞結果発表と記載されており、ゴクリと唾を呑み込んで、クリックする。


 意を決して、並べられた文章に目を通す。

 ひんやりとした汗が頬を伝い、読み終わった頃には大きなため息をついていた。


 落ち込みのサインじゃなく、安堵のため息だった。


「よかった……」


 椅子に深く縋り、天井を見る。

 瞼を閉じて、落ち着かせるようにゆらゆらと揺れる。



 ――すると、



「……?」


 傍に置いておいたトランシーバーからジリリとした音が鳴り、耳元へと近づけた途端、


『やったよー!!』


「んぐっ……」


 彼女の声が、大音量で流れ出た。


『受賞だよ受賞!凄くない!?』


「ぉぅ……」


 今までにないハイテンション。

 受賞したのだから仕方のないこと。

 でも僕は、耳を致命傷に悶えていた。


『ん?どうかした?』


「いや、なんでもない……」


 そうか。つまりはこれで……。


『君はどうだった?』


「……受賞してたよ」


『やったじゃん!』


「うん」


『最強コンビ結成だね!』


「僕らが組むと決まったわけじゃないけどね」


『なん、だと……』


「だって、決めるのは担当でしょ?僕らにそんな権限はないよ」


『君が私を指名すれば済む話じゃない!』


「でも、受賞したばかりのルーキーが組めるのかな?」


『そこは君(の説得力)次第だよね』


 あ、投げた。


「わかったよ……頼めるだけ頼んでみる」


『約束だかんね!』


「うん」



 たぶん、あの人なら、きっと――。



「あ、そういえば」


『何?』


「結局、二人とも受賞しちゃったけど勝負ってどうなるの?」


『引き分けだね』


 なんだろう……容易に想像できるドヤ顔が浮かんだ……。


『まぁでもこれで、部の実績だよね!』


「これってほとんど個人活動だから、部は関係ないんじゃないかな?今更だけど」


『……マジで?』


「おそらく」


『ま、まぁ、細かいことは言いっこ無しで』


 はぐらかした……。


『とにもかくにも!これから一緒に頑張ろう!星型乃蘭♪』


「わかったよ、リナリア」


 こそばゆい会話。

 改まって呼び合うPNは新鮮で。



「―――」



 切れるトランシーバー。

 僕は一息つくと、届いたメールに目を向ける。


 その通知の最後の文章。

 そこにあるは懐かしの名前。



 ――『担当編集 北村きたむら栄士えいじ



 その文字の羅列に頬は緩む。


 偶然か必然か。

 僕はまた、あの人のお世話になるみたいだ。

 それが少し、嬉しくも複雑だった。



 ――だって、



 窓辺から星空を眺め、ベッドに横になる。

 思いがけない現状に、妹の影がまた頭を過ぎる。



 だって、あの人は――、



 僕を知る、唯一の理解者だから――。


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